【エッセイ】40歳過ぎたら親の愛情を独り占めしたくなった

「お姉ちゃんだから我慢しなさい」
 弟や妹がいる人なら必ず一度は言われたことがあるだろう。私もこの言葉の呪縛に長く囚われていた一人だ。しかも四歳離れた妹が二人もいる。私は双子がこの世に生まれた四歳から両親を独り占めできなくなってしまったのだ。
 
 妹たちを最初に見たときのことは覚えていないが、母が出産のために入った手術室の前のベンチにずっと座っていたことは記憶に残っている。途中で父が医師から呼ばれて席を外したため、一人になった。このまま母が帰ってこないのではと、薄暗い病院の片隅で不安になった気持ちが今でも蘇る。
 
「お医者さんから双子やって聞いたときは泣いたわ」
 今でも時々母が言う時がある。それは偶然だった。診察を受けていた母がたまたま机の上にあったカルテに視線を落とす。すると、カルテの上の端っこに「twins」と書いてあった。不安に思った母が恐る恐る医師に尋ねる。
「これってなんですか」
「これ。ああ、双子を妊娠してますよ」
 その瞬間、母は人目もはばからず泣き出した。決して嬉し泣きではない。不安と恐れが涙として出てきてしまったのだ。
「一人やと思っとったのにいきなり二人って言われて。あんたもおるし、お父さんの給料だけでこの先、生活できるやろかと思ったら泣けてきてまって。お医者さんにもどうしようって言ってまったわ」
 きっとお医者さんも目の前の妊婦が双子と聞いていきなり泣き出し、怒り出したら困惑したに違いない。もしかすると私はすでにこの時から母の愛情が独り占めできなくなっていたのかもしれない。
 
 母が早くに入院したため、しばらくは父と二人だけの生活となった。公務員であった父は、朝、私を幼稚園に送り、夕方迎えに来る。夕飯を食べると、近所の知り合いに私を預けて、また仕事に戻り、夜遅く、また迎えに来る。決して裕福な生活ではなかったが、残業代がかなりついた時代だったので、父なりに必死で働いてくれていたのだろう。私にとっては、母もおらず、父と過ごす時間も少なく、かなり孤独な期間だった。けれど、ただ耐えるしかなかった。「お姉ちゃんになるから」と何度も言われ、変に大人びていた私は、泣いたり、我儘を言って親を困らせたくなかったのだ。そして帝王切開をする母の手術日を迎える。
 
 妹たちは可愛かった。しかし双子に振り回される両親に甘える機会は益々減った。今では批判が出そうであるが、当時、私は母に頼まれ、一人でよくおつかいに行っていた。アパートの横にある大きなスーパーだったが、行くには水路を渡る必要があった。道路はかなりの遠回りになり、車も多かったため使わなかったのだ。よく考えると水路の方が確実に危ないのだが、当時の私や近所の子どもたちは怖いもの知らずだったのだ。子ども一人入れるくらいの穴がフェンスにあいており、そこを通って壁を降り、水路をまたいでまた壁を登り、反対側のフェンスを潜り抜けるというルートだった。パンや牛乳、卵などを何度も買いに行ったが、それは苦痛ではなかった。単に楽しかったのもあるが、おつかい後に「お姉ちゃんすごいね、ありがとうね」と母に褒められることが嬉しかったからだ。4歳の私にはそうやって愛情を確かめるしかなかった。
 決して両親から蔑ろにされていた訳ではない。厳しいながらも愛情を注いで私と妹たちを育ててくれた。けれど、なにか物足りない、焦燥感を抱えて私は大人になった。
 
 海外駐在を経て、帰国した私は四十歳を過ぎ、時々両親と出かけていた。妹たちはそれぞれすでに結婚し、子どもも生まれていた。一人気ままに生きている私は両親を誘いやすく、両親も私一人ならと気楽だった。最初の頃は日帰りで、それが段々と1泊旅行もするようになった(ちなみに旅費はすべて私が負担だ)。話題は甥っ子や姪っ子の話が多かったが、数ヶ月に一回会うか会わないかの頻度の関係なので何を話しても面白い。それに両親が温泉や料理を楽しんでいる姿を見ることはとても嬉しかったのだ。
 
「私、両親の愛情を独り占めしたいんだ」
 そう思っている自分自身に気が付いたのは、ある旅行から帰ってきた時だった。妹たちも子どもを連れて頻繁に実家に遊びに来ており、孫のイベントには両親は参加していた。しかし、私のように単にドライブや旅行に出かけるということはない。私は普段会えない分、旅行の時間は両親を独占することができる。その間、私は「お姉ちゃん」だから我慢しなくてもいいのだ。それは両親に甘えることができなくなった四歳の私の心を少しずつ埋めていくようなものだった。
 
宿で寝る準備をしている際に母が呟いた。
「歳とったで、こうやって旅行に行けるのもあと五年くらいやわ」
 それを聞いて、可能な限り、両親を旅行に連れて行こうと心に決めた。私は四歳の女の子ではない。もう何も我慢をする必要はないのだ。
「じゃあ、それまでにいっぱい旅行行こうね」
 私が言うと、母は「楽しみやね」と微笑んだ。

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