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大変さんのなう

人と濃い話をするまでになるには、私でもはじめのうちは身構えるようになった。
この歳になってやっとだ。
大体自虐ネタになってしまうという理由が大きい。

一昔前のその場をとっ散らかして爪痕残すというバラドルのような立ち回り。
食いついて頂けたらこっちのもの精神のはさすがにやらない。


ネタの出し惜しみと言うべきか。
自分を知って欲しいために出すカードは、大体noteに書いたエピソード。
次から次へと関連づいてペラペラと出てきてしまうことになる。
それだけ全てをありのまま書いているのだけど。


私のこれまでは普通じゃないから。
何もかも、ほとんどが。
大体の苦労をクリアした今、毎日こんなに楽しい!なんて気もさらさらないけれど、あえて主張する自分に飽きてきた所があった。


聞き上手な、しかもそれをわくわくしながら聞いてくれるような相手ならこちらも作戦など吹っ飛んでうっかりスラスラと、気づけば2時間くらいで私の四半世紀の歴史を話してしまうのだけど…。
話しているうちにやがて、やっぱり不運で愚かな自分にだんだんと嫌気がさして悲しくなってくる。

こんな私ですがとへりくだるメンタルの強さまでは持ち合わせていない。
図々しさに死にたくなるだろう。
そして、もしここまで言って引かれて離れていってしまったなら。
私はあんなに個人情報を伝えたのに…と物凄い痛い被害妄想をしてしまうのだ。

同情をされたり、「そんな辛いことを乗り越えてきたから今の大変さんがあるのですね。」と上手いことまとめられたくないのだ。


だから、余計なことは言わずに今はやり過ごそう。
当たり障りのない、気持ちのいい時間が過ごせるようなやり取りができるようつとめよう。となる。

けして、偽りではないけれどよそ行きの私だ。

ボーイフレンドは、まさに聞き上手でワクワクしながら聞いてくれるからストレスなどは無く。
締めくくりには「ばっかだねー」「あなた最高だよ」と言ってくれるのだから病みつきだ。
頭の中で不器用に整頓してアウトプットして整頓して、彼の前で披露するという流れがここ数ヶ月続いている。

謙虚さというのを凄く大切にしているようで、たまに「嗚呼、今の謙虚じゃないっすね」とこぼすのですかさず聞いてみる。
へりくだることは相手を無理に持ち上げるようで、あざといと言うかなんかずるくない?と、意見を言う私。心の中で「きまったぜ」

だけど何度目かのそのやり取りの日、帰りの電車に揺られている時にふと考えてみた。
相手の言うことを反転させて気づかせる話し方ばかりする私に気づく。

ついこの前100個以上の好きなところを披露したのに、1つ2つの辛辣な意見でしぼんでいく彼を見て、してやったりな私は悪魔かよ。
ばかばか、泣きたい。

私だから本音もみせてくれたのかもしれないのに…ばかだあたしゃ。
少しでも無礼ととらえると説き伏せようとするSっ気がムクムクっとしてくる。

決して前のめりに自分の意見を主張することなく、ニコニコしながら相手の話を聞くことにつとめたい、誰にでもフラットな姿勢でいることがポリシーである彼にはすごく大切な事なのだろうと考えを改めるに至った。
謙虚さは自分に正直に向き合えることにもなるということか。
誠実だけが正義だと思っていた私には目からウロコ。

私はラッキーなだけ、受動的にここまで来たの。なんて言える様では無い。
今ただの燃え尽き症候群から脱却できたことは確信している段階にある。
でも何者にもなれていない私は、振り返り過去を正当化するにはまだお粗末な現状。
私は波打ち際に佇んでいて、足元を行ったり来たりする波が周りの人たちや物事で。
自分が海に引きずりこまれるようなあの錯覚の感覚。
海に行った日の夜に波に足がさらわれるあの感触が夢に出てきて寝ながら足がビーンとなるやつ。
海原に流されてどこかへ流れ着くなんてかっこよくてなんだかいいなと思うけど、私は波打ち際に立ってあたふたしていただけなんだ。
自分で舵をとってるつもりが、飛び出した岩に乗り上げてるのに気づかないままずっと前に進んでる気でいる…って画を浮かべたらめちゃ滑稽でそれもいいな。

なんて、自分語りばかりしていると視野の狭さに驚かされる。
自分語りは自分しか見えないのだからね。
普段仲よくつるんでいる友人ならこの気づきはなかったかもしれない。
そうだ、縁を切ろう。

ウソウソ。

私は私ではない何者かになろうとすることをそろそろ諦めなきゃいけないのだ。
私でありながら視野を広げて、もっと豊かに生きなきゃいけない気がしてきた。

〜しなきゃいけない、がそんなに辛く思えないので今はその時なのだと思う。

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