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東京スペキュラティブデザイン

少し前の話題作だが、スペキュラティブデザインという考え方がある。

問題を提起するデザイン。そのデザインが存在することで思考や議論が発生するデザイン。

形として提示することで、社会が抱えているジレンマを浮き彫りにするのですが、その中のプロセスとして未来はこういうシナリオになる可能性があるというPPPPというフレームがある。




Probable/Plausible/Possible/Preferable
(起こりそう/起こってもおかしくない/起こりうる/望ましい)




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※書籍から抜粋

決して良い未来だけがあるわけではないというのがこの考え方のポイントで、その中でも『Prefarable:望ましい』にもっていこうよ、というのがメッセージになっている。

大都市ってそういう発想で始まってるのではないか

課題提起をする発端になるスペキュラティブデザインだが、問題にフォーカスするための社会生活において最もベースとなる部分は何かというと自分は街や移動などの経済環境じゃないかと思っている。

特に都市部でおりなされる営み、交通、住居、1日の疲れを癒す食事やそのお供となる音楽、映像作品などはひとまとめにカルチャーとして10年単位くらいで歴史に記録されていく。80年代だとか90年代だとか。
※なんで10年単位なのかは10代後半〜20代後半の10年間の世代がその初期衝動が強くて、カルチャーを生み出すエネルギーを持っているからだと思うのだけど、これについてはまた別の機会で書こうと思う。

そして、その単位は都市という規模で築き上げられる。都市は人々のより良い未来へ計画され、そこに爪痕を残したい周辺地域の人たちがそれぞれの思い描く未来を目指して集まってくる。

東京やニューヨーク、パリ、ロンドン、上海などなど多くの大都会が地方出身者で回していることは周知の事実で、比較的に大都市出身者の方が問題提起についてあまり関心のないことがあるように思える。

こういう世界にしたいというエネルギーの集合体がカルチャー

地方出身者が何かしら考えられる自身の人生の選択肢の中で、地元では足りない何かを求めて都市に移り住む。都市にくる初期衝動がスペキュラティブであると思える。

つまり、カルチャーという歴史のラベル単位を生み出す下地が都市には生まれやすい土壌があって、カルチャーが生まれるのはいつだってそういったそこに集まる人々が、こうありたい、を体現したデザインのプロダクトやファッション、音楽などがあるからなのだ。

こうありたい、の価値観の多様化が進む中、都市にだけは今でも人が集まり、集合体の中での多様性を表現する。それは集合体の中での比較対象がないと、アイデンティティがわからず、自己承認ができないからだ。

だから比較対象が集まる都市というプラットフォームは必然だ。

コロナはそれらを違うフェーズにシフトさせた

だけども突然人々がディスタンスを取らないといけない事態になった。

ディスタンスは必然的に集まることで生み出されていたエネルギーをパワーダウンさせる。

人類はきっといろんな英知を集結させ、こんな世の中は数年で解消させ、新たなるカルチャーを生み出すんだ、と努力するだろう。

手始めに爆発的に感染者を増やしながら、それでも世界中からアスリートを集めてオリンピックというフォーマットで、2020年代のカルチャー発信をスタートさせた。

安全かどうかなんて誰もわからないワクチンを、尋常じゃない速度で開発して社会実験的に全世界の人々が体に注入し、カルチャーを生み出すため、そのための酒を酌み交わすために街に出る。僕だってそうしようと思っている。

正直どうなるか誰もわからない。

また昔のように何も気にせず集まれるかもしれないし、もしかしたらもう集まれないかもしれない。

1回1回の機会が意を決して集まるからそこに発生するエネルギーはもしかしたら今までよりも強力かもしれないし、もうそんな気が起きず、遠く離れた場所に移り住む(もう移った)人たちもたくさん出てくるだろう。

こうしたモヤモヤも思い過ごしかもしれないので3年後に苦笑して読み返せる日が来ることが良い未来だとは思う。

スペキュラティブにアフターコロナをデザインするならば

話は変わって、昔会社の研修で『ダイアログ・イン・ザ・ダーク』という純度100%の暗闇の中でチームメンバーとさまざまなミッションをこなしていく、という今も心に残る研修を受けたことがある。

暗闇の中での対話の大切さを学べる素晴らしいプログラムなのだが、Zoomやオンライン文化の中でのコミュニケーションはこのダイアログ・イン・ザ・ダークに似ているかもしれない。

暗闇の中で仲間と対話していると、視覚以外で情報を得るために、いつも以上に頑張って周囲の状況を"言葉"で理解しようとする。その時に生まれるのが『対話』だ。

感覚としては自分はもう肉体がなくなり、魂だけで仲間と理解し合おうとしている感覚だ。みんな同じ状況なので、おそらく同じ感覚になっているはずで、必然的に歩み寄ろうとするし、他人の主張を受け入れやすい状態になる。

あの不思議な感覚は未だに心に残っている。

いつものメンバーの心の中にもっと深く入り込めた感覚だ。
今は状況的にはあの時一緒に参加したメンバーとは会わなくなってたりもするが、深いところで繋がったことがあるような感覚があって、おそらく会ったら安心感を感じる気がする。

カルチャーを生み出すのは都市ではない新たなプラットフォームが必要かもしれない。と思った時に、もしかしたらこのダイアログというフレームは鍵になるかもしれないと思っている。

ダイアログ・アバター・承認

暗闇という状況が『ダイアログ:対話』を生み出すのだとしたら、ZoomのMTGはカメラオフが正解?で、その中でたくさんの問題を乗り切るような状況が再現できないか。

しかしカルチャーを作る、というレベルになると相手の顔や、視覚的感覚の最重要要素のファッションや、それを認めて賞賛する人々なども大事な要素だ。

それについてはこれからのメタバースを目指す時代においては、アバターがカルチャーを作るのかもしれない。

そしてメンバーとの対話をツールに、課題を乗り越えるというプラットフォームとしてはゲームという世界で織りなされる、という可能性は高いのではないか。

ゲームはゲームという世界ではなくなるかもしれないし、ビジネスはビジネスという世界ではなくなるかもしれない。

いついかなる場所や状況でもオンラインで繋がり、仲間同士で、魂のつながりを持って難局を乗り越え、承認欲求を満たされるためのファッションや、そこから生み出させるカルチャーを実現できるフォーマットとは。

それは今ゲームとして世の中にアウトプットされているもので、スペキュラティブな都市として転用できる可能性があると僕は思っている。

このフォーマットの中でビジネスや会社運営をやったらどうなるのか。

すごく試してみたいし、徐々にそんな準備は整ってきているのではないか。

一方でビジネスサイドも進化していて、例えばSlackもコンテンツ化が進んでいる。

ビジネスユースなSlackがコンテンツをインターフェイスに生活の中に入り込んでくるとすると、これはこれで面白い。

スペキュラティブな都市構築はこういったビジネスサイドがインフラとして使うデジタルツール側からのアプローチなのか、娯楽であるゲームサイドのからのアプローチなのか。

それとも両方が歩み寄って融合していく世界なのか。

僕も末端ながら少しでもスペキュラティブな都市構築に関わりたいと思っている今日この頃。

続きはまた。

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