(怪談)食器棚

 わんこ(兄)よりお送りします。

 僕が小学五年生の頃のことです。家を建て替えたのですが、新しい家に住むときになって前まで使っていた食器棚が不要になったんです。と言いますのも、新しい家にはすでに台所の反対側のスペースに元から食器棚がついていたのです。今使っている食器は全部その棚に入るので今まで使っていた古い食器棚は使うこともなくなったわけです。
 ですが食器棚を捨てるのももったいない、と考えたのでしょう。母は僕に「この食器棚いる?」と言ってくれたんですね。本棚に使ってもいいし、他にもなんかいろいろ置くことにも使えるよ、と。
 その棚っていうのが明るい木目の食器棚で、で上下にそれぞれ別の収納スペースがありました。上のほうはガラス戸がついていてそのスペースの真ん中に板が取り付けられていて上下に食器が置けるようになっていました。下の方は両開きの扉になっていて、中を開けると大きめの鍋とかが入りそうなくらい大きなスペースがある、というものでした。
 僕はその棚を部屋に入れることにしました。やはり自分だけの棚、しかもきれいで立派なもの、が増えるっていうのは子供心にもうれしいものがありました。
 しかしもらったはいいものの、入れるものがあるのかといえばまだそんなにはありませんでした。こちらもこれまでに使ってた勉強机の棚や本棚でこと足りるといった具合でした。持ち物が特に増えたというわけでもありませんでしたし。
 結局上のスペースは何もいれないまま、下の棚には普段は使わない裁縫箱(授業で使うことがあってドラゴンの絵がふたにプリントされたやつ)だけ入れてました。
 その棚を置いた場所は部屋から入って右側奥でした。そしてその反対側の壁にベッドがありました。しかもベッドで頭を向けている向きが元食器棚のほうなので、横向きで寝ているとちょうど食器棚が視界に入る具合になっていた。
 さてそんな風なことがあって新しい家、新しい部屋、新しい家具を手に入れた僕は新鮮な気持ちと新しい環境に慣れないという気持ちを抱きながらもベッドに入りました。
 荷ほどきやなんかをやったり、お風呂に入ったりごはんを食べたりなどとやっていたら時刻はもう夜の十時を過ぎていた。まだ小学五年生だったということもあり、それと昼間の疲れもあり、夜の十時でももうすでに眠いと感じていました。それで気が付くとすっと眠りに落ちていました。
 ふっと目が覚めたときにはまだ暗い状態でした。僕は当時、暗闇が怖いからということで照明の豆球をつけたまま寝ていたんです。豆球をつけたまま寝たことがある人ならわかると思うんですが、豆球だけつけると天井の照明から夕暮れみたいなオレンジ色の光が出ている状態になるんです。照明はついてるんですが豆球だけだと夜みたいに暗くなって、まるで陽が落ちた後の、夕暮れの赤い光がかすかに空に残っているときのような状態になるんです。暗闇は怖いけれども明るいと眠れないという僕にとっては非常に都合のいい明かりだったんです。
 ですから時計の針などもうっすらですが見えました。時計の針は深夜の二時を少し過ぎたあたりを指していました。
 ああ、変な時間に起きちゃったなぁ、なんて僕は思いました。もう一回寝ようにも一度寝てしまうとなかなか寝れないものです。布団を頭にひっかぶっても目をつむってもちっとも眠くなんかなりません。
 ごっ。
 何かかたいものをたたいたような、くぐもった音がしました。音のした方向はどうやら食器棚が置いてあるほうのようでした。僕は顔を布団から出して、食器棚の方を見ました。夕暮れ色の光に照らされて食器棚がうっすらと見えました。けれども食器棚には特に変わった様子がありません。
 聞き間違いかな、と思っていますとまた
 ごっ。
 という音が聞こえてきました。今度は聞き間違えなどではありません。壁か棚をたたいたみたいなくぐもった音が確かに聞こえました。
 そのあとも音は断続的に聞こえてきました。そのとき僕はネズミかな、と思いました。家の中に入り込んで音を出すものといえばそれぐらいしか思いつきませんでしたから。
 それから毎日、夜になると決まって音がするようになりました。最初こそ怖いと感じていましたが、次第に慣れていきました。音がするばかりでこれといって害があるわけでもありませんでしたし、ネズミのせいだと思っていた僕からすればまた暴れてる、ぐらいにしか思わなかったのです。
 ただ本当にネズミだと確証があったわけではありませんでした。恐怖も消えてくると今度は好奇心が湧いてきました。音はどこからしているのか、本当にネズミの出している音なのかと。
 夜、また音がし始めるころ、僕はベッドからそっと抜け出しました。夜の十一時を過ぎたあたりでした。もうそのころには音のせいもあってなのか、夜更かしをするのが日常になりつつありました。
 僕はネズミを驚かさないよう、忍び足で壁のほうへ近づいていきました。それから壁に近いぎりぎりのところ、食器棚の横あたりに立って耳を澄ませました。
 ごっ。
 音がしました。しかしその音は壁からした音ではありませんでした。食器棚のほうからしたのです。聞き間違いかと思って僕はもう一度音を聞こうとしました。
 ごっ。
 叩く音が食器棚の下の両開きの扉から聞こえてきました。音がしたときに食器棚が震えるのも見ました。
 僕は恐怖のあまり、その場で固まってしまいました。これまで音を出し続けていたものが食器棚にいたということにも驚きましたが、それだけではありませんでした。僕はまったく別のことに気づいたのです。
 最初に音を聞いてから今日までもう一週間が経っていました。一週間もの間、食器棚のなかで、水も食料もなしにネズミが生き延びられるはずがないのです。
 それだけではありません。ネズミは生き物ですからひとつのところにずっととどまっているなんてことがあるはずありません。ネズミが毎日、律儀に同じ壁のところに帰ってきて音をさせるなんてこと、そもそもありえないのです。
 僕はこのときはじめて、この音が幽霊の仕業なのではないかと思い始めました。
 しかし幽霊の仕業かもしれない、とわかったところでできることなどありませんでした。当時の僕は幽霊といえばお祓い、ということぐらいのことはわかっていたのですが、お祓いをするためには霊媒師を呼ばなければなりません。霊媒師を呼ぶにはまず親に幽霊がいるということをわかってもらわなければなりません。ですが僕は親が幽霊を信じてくれるはずがないと思っていました。アニメやドラマなどで、幽霊がいるとわめきたててる人を別の人がそんなのいるわけないでしょ、って言うシーンを何回も見てきたことがありましたから。
 僕は震える足でベッドへ戻って行きました。とりあえずベッドに戻ろう、そしてさっさと寝てしまって音のことは忘れよう、そんなようなことを考えていたように思います。
 ベッドの布団にもぐり、僕はひとまず安心しました。さあ寝よう。もう幽霊のことなんて忘れよう。
 ごごごごごごごごごごっ!
 突然、強い力で何回も棚をたたいたみたいな音が聞こえました。僕はもうびっくりしてしまって、布団を頭までかぶって中で震えていました。布団から顔を出したらすぐそばに霊がいるのではないかという気がしてしまって、布団から出ることもできませんでした。
 その日の夜はほとんど眠れず、ようやく眠気が来たのは外が明るんできたころでした。そのころには音もしませんでした。
 その日は学校でも眠いわ、怖いことは思い出すわで散々でした。こうなったのもあの音のせいだ、そんなことを考えていると次第に怒りに似た感情が湧いてきました。幽霊なんか怖くもなんともない。現れたらぶん殴ってやる、殴れなかったとしてもそれなら向こうも触れないのだから平気だ、などというようなことを考えていました。
 家に帰ってから、僕は家にある武器になりそうなものを探しました。それで結局、包丁を持ち出して(親は共働きだったので午後五時までは家にいませんでした)棚の前に行きました。
「変なことしたら承知しないからな! もし襲ってきたりしたらぶん殴ってやる!」
 そんなようなことを言ったように思います。実際はもっと汚い言葉を使っていたような気もしますが、あまり乱暴な言葉を書くのもよくないですからこの程度の表現にとどめておきます。
 その日の夜ですが、僕はベッドに入らず明かりを消してしばらく食器棚を見ていました。そのときは夜の十時でしたが、音はしませんでした。
 五分くらいなにもないのを見て、怒鳴った効果が出たのかもしれない、と僕は思いました。幽霊も怯えて音を出さなくなったのだろうと。
 それで僕はベッドに入り込みました。けれどもやはり昨日のことがありますからなかなか食器棚のほうから目を離せません。なにか少しでも音がしたらすぐにでも部屋から出て母のところへ行くつもりでした。
 昼間の学校にいる間に僕は考えたのです。母にあの音を聞かせればきっと幽霊がいると分かってくれるだろうと。母を連れて行ったせいでおびえた幽霊が音を出さなくなればそれはそれでよい結果になる。そう思って耳を澄ませていたのです。
 そうして食器棚を見ていますと、突然小さな音を立てて扉が開きました。扉は風にで吹かれてるみたいにすーっと開いていきました。そして限界まで開いたところでぐっ、と端にぶつかって止まりました。それで扉の中の真っ暗闇の空間が僕のいるところから見えるようになりました。
 なにかがくる、暗闇を見ていた僕はそんな予感を僕は感じていました。
 暗闇の奥に白いものが見えた気がしました。はじめは光かな、と思いました。光がだんだん大きくなってきて、というかそれが前に出てきたあたりでそれが光ではないと分かってきました。それが棚から這い出てきたとき、僕は出てきたものが人の手だと分かりました。その色は生きている人の手とは違うように思えました。その色には生気がなく、灰色に近い色をしているように見えたのです。
 そこから記憶が途絶えています。気が付くと僕は病院のベッドに寝ていました。起きたときは特にどこかが痛い、ということもありませんでした。幸い、変な病気が見つかるということもなく二日で無事退院できました。
 家から病院に行くまでの間に何が起きたのか。これは僕が家に帰ってから母に聞いた話です。
 両親が寝室で寝ていたら、夜中に突然、ぎゃーっという甲高い悲鳴が聞こえてきて、なんだうるさいなあということで父と母で僕の部屋を見に来たのです。
 父がドアを開けますと僕がベッドで横向きに寝ていて、ガタガタ震えているのが見えたそうです。最初はなにかにびっくりして震えているのかな、と思ったそうです。
 父が照明の明かりをつけました。そしたら僕が白目をむいて体をがたがた痙攣させている様子が見えたそうです。
 それで父も母もびっくりして、救急車を呼んで急いで入院させたそうです。幸い、命に別状もなく、変な病気になることもなく無事退院することができました。
 それであの食器棚なのですが、退院して家に帰ってきてみますともうありませんでした。僕はそれを見てまずほっとしたのですが、同時に不思議に思いました。なぜ突然棚が消えたのかと。
 それでそのことも母に尋ねてみました。
「あの棚ね、ぼろぼろだったしなんか臭ったから捨てちゃったよ」
 母はそう言いました。
 その時はそれで納得する、というところまでは行きませんでしたが棚がなくなって困るどころかむしろ助かったわけですから何も言いませんでした。幸い、棚がなくなってからは音がすることもなく、幽霊らしきものを見ることもありませんでした。
 ただ当時ですら母の言動にはおかしなところがあると気づいてはいました。棚が臭った、ということですがボロボロで臭かったにしても一度は息子にあげたものです。何も言わずに勝手に捨てるなんてことがあるでしょうか。しかも僕が入院していたほんの二日の間に急に捨てたのはなぜなんでしょうか。
 何度聞いても母は先ほど言った話を繰り返すだけでしたから真相はわかりません。
 ただ、一度だけ母にこう尋ねられたことがあります。
「最近、夜中ちゃんと静かにしてた?」
 多分、両親もあの音を聞いていたんだと思います。




 

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