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【人道支援ハイチ】「相対的」に命を救う〜僕たちは消して諦めたわけじゃない〜

みなさんこんにちは
人道支援家のTaichiroSatoです。

前回の記事では、短期休暇での自分の頭の中の整理やモチベーションに関するところに触れました。今回の記事では、休暇後に現場に戻り、たくさんの患者とジレンマ、救えない命と対峙する上で感じるがままに文字におこした内容になります。

==この記事は11月中旬2022年 ハイチ活動中の記事です==

※救急医療の話で、体のことについて一般の方で少し過激に感じる方もいるかもしれません。神経質な方は、次の「無理、限界、諦め」の章は読み飛ばしてもいいかもしれません。

それでも前へ進め
様々なジレンマを抱える現地活動。
毎日直面する納得しようにもしきれない現実。
そんな僕らの気持ちとは対照的に、暴力で傷ついた患者は老若男女問わず救急室に運ばれてくる。
減ることなく、運ばれ続ける銃創患者。終わりの見えない治療と救えないたくさんの命。
僕らチームはモヤモヤした気持ちを持ち続け、少しでも心のわだかまりを軽くしようと時に互いに胸の内を打ち明け、それでもぬぐい切れない思いを腹の奥に押し込んで日々に活動へと戻っていく。
そう。僕らは、 前進 するしかないのだ。

僕自身は明るく楽しい投稿が好きだ。
僕の投稿を読んでくれる皆さんが、少しでも人道支援を身近に感じることができ、そして楽しんでもらうことができたらいいな。
そう考えてはみるものの、ここ、ハイチに来てからはぶち当たる壁が多く、苦悩する日々が続いている。
自分の中にたまっている何かを少しでも軽くしたい。とにかく何かを出してしまいたい。今の僕にとって頭の中を文字にすることは、単純に「思考整理」といった言葉以外のものも含まれているのだと思う。

僕たちは、神様でも仏でも全知全能でもない。
一人の人間が、世界のどこかで起こっている、人間が引き起こす惨状に飛び込んでいく時、抱えるであろう歪み、説明のつかない感情。
これもまた人道支援医療現場の日々のリアルかと思い、書き進めることにする。

無理、限界、諦め
とある日午後の救急室。
11月とはいえ、30度をゆうに超えるハイチの気候。
病院の救急室は外と一番近いところにあり、人の出入りも多いため、エアコンが効いているはずだが暑い。

見た感じは10歳くらいだろうか。
いつものように一人の少女が救急室に到着する。
痛がってはいるが、「今は」まだ意識はしっかりとしていて会話ができる。
僕らは手際よく少女の血だらけになった部分の服を切りとる。

隣にいたドイツ人外科医のハンズと一緒に傷口を覗き込む。うん、よくない。

左後ろの背部から被弾し、側腹部を通って前腹部を突き破る形で貫通した銃弾は、少女のあらゆる臓器を破壊した。
少女の繊細で柔らかな体には、あまりの固く強すぎる銃弾の衝撃のせいで、体の外に臓器が飛び出してしまい、周囲の人たちが懸命におなかの中に戻したのだと言う。
傷口と破壊された臓器の周りは漆黒でぬるっとした液体であふれ、大量の砂利がこびりついていた。

なかったことになれ。
どうか、なかったことになってくれ。

その場にいた人たちは、そんな願いを込めてとっさに行動したのだろう。
射出口(お腹側の傷口)と損傷した臓器を見ながら、僕は現場を想像し、少女はもちろん、その場にいた人たちのことを思うといたたまれない気持ちになる。
なんとなく僕の腹部までえぐられたような感覚に襲われたのだった。

すぐさま緊急手術の手配がされ、少女は手術室へと運ばれる。

少女がいなくなった救急室。
救急室中に残る、生臭い鉄の匂いと
スタンドにかかったままの空っぽの点滴ボトルと
散らかった酸素マスクなどのゴミ
床一面の血と砂利、そして肉片が落ちている。

手術室から帰ってくるのを信じて待ってるからね。
そう少女へ呟いてみる。
ただ、僕の経験からくるものなのか、人間の本能的なものなのか、
つぶやく僕自身の思いには自信がなく、
少し先の未来、数時間後のことを考えると、
僕のおなかの中の臓器を誰かがぎゅっと握りつぶすような、そんな苦痛が広がっていくのがわかる。

一体、僕たち医療者は、ここで何ができるというのだろうか。
救いたい。けど救えない。
この地では、毎日当たり前のように大勢の患者が被弾しここへ運ばれてくる。
いつかこの社会が変わるのか、争いはなくなるのか。
世界には未来はあるのだろうか。

無理、限界、諦め。
そんな言葉たちが、僕の頭の中でぐるぐると歩きまわっては、向こう側から僕をじーっとみているかのようだった。

相対的に命を救え
僕の働く場所。
限られた医療資源、充分とはいえない医療者の数。
目まぐるしく変わる社会情勢とそれに影響されて運ばれてくる患者たち。
たくさんの患者たちを前に、僕たちは、
相対的に治療方法を選ぶ。
正確に伝えるならば、選ばざるをえない。

救急室にあふれる患者
刻一刻と変わる現場の相対的な状況。

この日も腹部に被弾した若者が大量失血し運ばれてきた。緊急輸血が必要になる。急いで輸血をオーダーし、今か今かと、輸血の到着を待つ。
しかし連日、銃創患者が多く病院に運ばれてきていて輸血が足りない状況で輸血を確保するのはとても困難。それがここハイチでの今だった。
2時間後。何とか輸血を確保し、僕らの手元にやっとこの患者の為の輸血が届く。しかし残念ながらこの時、輸血が必要なこの患者は、状態が極めて悪くなり治療による回復の見込みが殆どない状況になっていた。

そんな時に次の大量出血の患者が運ばれてくる。右胸に3発被弾している。エコーでは血だらけで胸の中の状況がよくわからない。
胸にチューブをいれると、瞬く間に1リットルの排液バックはいっぱいになり、それと同時に患者の血圧も下がる。
やばいな、時間がない。
今すぐにこの患者に輸血しなければ手術室まで持たない。僕の頭の中では、今のバイタルサインと出血量から予測できる残りの時間を計算し始めていた。

一人目の患者と二人目の患者。人の命に重さはない。
輸血の必要性はどちらにだってある。
各々ここまで生きてきたストーリーがあり、それぞれに家族だっている。
僕たちが考えるのは、救急室の患者たちだけではない。輸血を必要としている他の患者たちもいる。集中治療室でぎりぎりのところで戦っている患者たち。時間を未来に進めると、この不安定な情勢で明日運ばれてくるであろう患者たち。彼らもまた輸血を必要としている(かもしれない)。
5人も10人も輸血を必要としている人がいる中で、僕らのチームは意思決定を迫られる。そのための時間は少ない。
この貴重な輸血を誰に投与するのか。
限りある資源をより効果的に、少しでも治療効果の高い患者へ、助かる可能性のある患者に。
そういった発想が浮かんでくるのも、毎日たくさんの悔しい思いをしている僕たちチームにとって自然なことなのかもしれないと思うのだった。

チームでディスカッションの時間がとられる。
今、誰に輸血を行くべきか。
相対的に患者を選ぶ。
結果的に「当初輸血を予定していた患者に輸血を行かない」という意思決定がなされた。
そして、その決定を僕らのチームは家族に説明しなければならない。

想像できるだろうか。
もし、あなたがこの患者の家族だったら。
自分の家族がケガをし輸血が必要な状況なのに、自分の家族以外の患者に輸血をいくことになるという信じがたい現実。

私の大切な家族はこの後どうなるのか。
なぜこんなことにならなければならなかったのか。
一体誰にこの怒りをぶつければいいというのか。
目の前にいる医療者?
輸血をいくことになった別の患者?
銃を撃った人?
ギャング組織?政府?
はたまた、国際社会か?
枯れるほど泣き、叫んだら、大切な家族はかえってくるのか。

誰が悪いのか、そんなことは僕にはわからない。
世界は僕たちは想像しているよりもはるかに複雑だと、この仕事をしながら考えるようになった。
ただ、世界がどうであれ、
誰かにとっての大切な人の命が理不尽に失われてしまうことは、僕には到底理解できない。
だからこそ僕はこの地に来ているわけなのだが、
その僕自身が誰かにとっての命の決定を下す「審判メンバーの一人」であることに、僕は逃げ場のない重圧を感じるのだった。

一人ひとりの命の時間にストーリーがあるからこそ、
そのストーリーを知れば知るほど、
相対的に命を救うことは、辛い。
それでも僕たちチームは、
現実を「相対的」に判断し決定をする。

たとえそれが、
目の前の患者に輸血をしないという決定であっても
たとえそれが、
患者たちの命を救えない判断であるとわかっていたとしても

それは僕たちにしかできないことであり、
その先にある 一人でも多くの命を救う という使命の為に、僕たちはジレンマを抱えながら進むしかないのだと思う。

僕たちは消して諦めたわけじゃない
たとえ今この現状で
目の前の患者にできる治療が限られてしまったとしても、
必ず何かできることはある
そう信じて僕は活動を続けている。

悔しい、悲しい、無力感。
そんなこと毎日感じている。
突然社会の大きな動きに巻き込まれ受傷し、
回復の見込みが限りなく低く、もしかしたらあと数時間の命かもしれない。
そんな患者や家族にも
医療者として、一人の人間として、
できることは必ずあるはずだ。

僕は、救急のプロフェッショナルとして
「絶対に諦めないを態度にする」ことにしている。
たとえ、医師から生命にかかわる厳しい説明がされた後でも、僕は可能な限りのケアを今までと同じように続ける。
僕から家族へ言語的に 希望を持ちましょう、と表現することではない。
僕自身の態度や行動として、諦めていない、ということを示すのである。

突然の理不尽で大切な人が重傷を負い、
何が何だかわからないうちに厳しい状況を説明され、
到底理解しがたい現実を本人も家族も突き付けられる。
そんな中、僕たち医療者が諦めたら、
いったい誰が前を向けるというのだろうか。
家族の時間は、きっとそこからずっと止まったままになり、
彼らに残るのは、絶望 だけになる。

今現在の僕は、スイス人麻酔科医と二人で
朝も昼も夜も、患者の横に立ち
ひたすらに僕たちにできることを考える日々だ。
この患者はどこに向かっていけるのか。
たとえ満足いく治療が選択ができなかったとしても、
人間の持つ生命の力強さを信じて、
僕たちにできることを全力でやる。
現実にとても困難だと思われる症例でも
驚くような回復をみせることもあるのだ。

どんな状況であっても
僕らが諦めることを選択する ことはない。
だって、僕らは
彼らにとって最後の希望なのだから。


僕たちには、相対的に命を救う使命がある
ただ、僕たちはすべての患者に対して
決して諦めることはない

頑張れ、
患者も家族も
負けるな、
未来をなんとか掴み取れ
今を 生き抜け


暴力に傷ついた世界中の人へ 
Haiti, Tabarreから エールを送る

Best,
Tai


2022年4月より

最後まで記事を読んでいただきありがとうございます!!

皆さんの「知らない世界🌎」を少しでも身近に感じてもらうきっかけになったら幸いです。
全文公開にしていますが、有料記事設定してみました。
自身の収益目的ではなく、所属団体にまだ寄付したことがないので、頂いた金額を団体への寄付として還元しようと考えています。
応援して頂けた場合、皆さんへの感謝😌と頑張れ👍気持ちを込め、より一層投稿への活力になることと思います。お互いに取ってwin-winで応援し会える関係を築くことができたら、こんなに嬉しいことはありません。
是非とも応援よろしくお願いします☺


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いつも記事を読んでいただきありがとうございます!!記事にできる内容に限りはありますが、見えない世界を少しでも身近に感じてもらえるように、自分を通して見える世界をこれからも発信していきます☺これからも応援よろしくお願いします🙌