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【人道支援ハイチ】ハイチ帰国と新宿の夜景 ~友からみた僕の心~

みなさんこんにちは
人道支援家のTaichiroSatoです。

例えば、皆さんは海外から日本に帰ってきてまず最初に何と思うだろうか。
嗚呼帰ってきたなーとか、懐かしいなーとか、これだよ、これ、などと日本食に舌鼓みし、今まで当たり前に感じてきた場所を懐かしむ、そんな気持になるのかもしれない。
僕はといえば、海外旅行経験はさほどないが、海外での活動が多いため日本帰国後に特別な感情を持たないのか常になりつつある。
しいて言えば、今回ハイチからの帰国の際は、前回記事の最後に挙げた
帰国後最初の食べ物は、コンビニのツナマヨおにぎりと決まっているし、
・どこでも100%トイレットペーパーが補充されている。
・シャワーからお湯がでてくる。
・道が気持ち悪いほど真っ平らで、車が全く揺れない。そのことが僕を気持ち悪くする。
これら3点は、僕が今回感じた事である。

国境なき医師団(以後MSFと省略する)としてはイラク、パレスチナ、イエメン、ハイチへと行った。その他の団体でも、たくさんのプロジェクトに関わり、何ヶ国に行ったことがあるかは、もはや数えるのをやめた。
そんな僕だが、今回の帰国ではいつもと違ったことがどうやら起こったようだ。
その一部始終の思考整理を兼て、noteへ文字化しつつ、何本かに分けてまとめていこうと思う。

==この記事は、2023年12月下旬の記事です==

時差ぼけ?リバースカルチャーショック?
ハイチのでの活動期間である3か月間を終え、12月下旬に僕は日本に帰国した。いつものように夜中に目が冴えわたり、日中や夕方に眠くなる。何に対してもやる気がでず、こたつと同化したいなぁ、なんて思いまで頭の中に出てくるほどの時差ぼけに毎度ぶちあたる。僕の場合、大体ひどいところは帰国~4日間。だるさなどを含めると1週間くらいは、時差ぼけと向き合うことになっている。
僕の持論では、時差ぼけと戦う必要はない。頑張って勝とうとしても絶対に勝てないからだ。僕と時差ぼけの関係は、僕自身のやる気をすべて吸い取られ、そもそも戦う気すらも失う。それが僕の時差ぼけなので、僕は素直にやる気が上がってくるのを待つことにしている。だらだら続けていれば僕の場合勝手に上がってくるものだった。

しかし、今回は何かが違った。帰国から1週間がたったころ、僕はまだ無気力だった。

ある一定の期間別の場所で活動をし、元居た場所に戻った時、生活感や文化、様々なギャップにより元居た環境に適応で着なくなってしまうような状態になることがある。これをリバースカルチャーショックという。

そういったことが起こった時に適切に対処し、燃え尽き症候群(バーンアウト)などにつながっていかないように、MSFでは海外派遣スタッフの心の健康のため、出発前と帰国後に必ず心理士によサポートの時間がとられる。僕のキャラクターを知っている人であれば想像がつくかと思うが、圧倒的な楽観主義者で、説明通り過去3回の派遣では、心理士さんとの時間は、ただのおしゃべりの時間として終わった。
今回はどうだったか。結論から言うと、いつものようにただのおしゃべりで終わったのだった。なんとも思わなかった。帰国翌日にサポートの面談を予定していたため、時差ぼけで頭もぼやぼやしていて、まだ日本を感じていなかった、誰とも会っていなかった、何の外部からの刺激に触れていなかったのだ。

帰国後の時差ぼけが抜けつつある頃、帰国してきた旨を友達たちに知らせ、皆とあったりいろんなところに出かけて日本を満喫する、はずだった。
が、どうもうまくいかなかったのだ。

帰国直後の当時の僕はとてつもなく集中力がなく、友達の家に行くのに電車で目的駅を3回も乗り過ごした。目的駅を通り過ぎる、戻るために乗り直しまた乗り過ごす、そしてまた乗り直し乗り過ごす。なんとおっちょこちょいであることか。その時はそんなくらいに思っていた。
しかし、外出時に毎回なんかしら忘れ物をした。また、電車にのり、目的地をまた何回も乗り過ごした。そこら辺から何かおかしいと思い始める。

更には、いろんなことが必要以上に気になった。
新宿駅でタイムズスクエアを見ては、きちっとならんだ窓やまっすぐに伸びる精巧な建物の、異常ともいえる精密な人工物が気になってしょうがなかった。この鉄骨は、日本ではなんであそこまで、精巧に造れるのだろうか。なぜ窓はあんなにきれいに並んでいるのだろうか。それがすごく気になった。
ハイチではあんな建物は建たないだろうな、とも。

ある日、クリスマスイルミネーションをみた。そして、胸の中がざわついた。イライラした、そんな感情が一番近かったように思う。イルミネーションを見に来たたくさんの人込みをみて、なんとなく、むなしくなった。
日本に帰ってきた。体は日本にある。でも、僕の心はなんとなくまだハイチにあるような。心と体があっちの国とこっちの国で、バラバラに存在しているような、そんな気がした。

忘れ物したとき、目的地を乗り過ごした時。
最初は、時差ぼけなんだと思っていた。
いつものように時差ぼけが治れば、全部元に戻るんだ、と。
でも、全然変わらなくて、僕は焦りだした。何に対して焦っていたのかもわからない。なんとなく日本で居心地が悪かった。心が落ち着かなかった。
よくわからない自分の心のざわつきに驚いた。
僕にとってこれは初めてのことだったから。

新宿駅でうずくまる
自分の心のざわつきを抱えたまま1週間が過ぎたころ。
その日は、僕は約束のため新宿駅にいた。

駅を通過する人たちは、何をそんなに急ぐのか。
誰一人後ろを振り返らない猛烈なスピードで 大量 の人が行きかう駅。
僕は、猛烈に疲労を感じ、イライラし、その場に座り込んだ。

何かがおかしい。説明ができないが、心がおかしい。
この時初めて、これは時差ぼけなんかじゃなく、自分の心に異変が起きているということに気が付いた。
壁に寄っかかって座り込んで、思いっきり目をつぶった。
直ぐにイヤホンを両耳に押し込み、爆音でお気に入りの音楽をかけた。
できるだけ長い深呼吸を繰り返した。

ふぅー

自分の吐いた息は、ため息であるのか、ざわついた心の中の何か邪悪なものなのか。
得体のしれない何かを、できる限りたくさん吐き出して、なくなれ。
そう願った。

少しして、僕はまた歩き出し、何事もなかったかのように友達と会って話した。
しかし、その日は全然楽しいと思えなかった。
僕は、パレスチナで一緒に活動をしていたこともある、友であり心理士でもある友人のマサさんに連絡することを決めた。

友からみた僕の心
なるほど。なるほど。

気軽にマサさんにメールを送ったつもりだった僕だが、
マサさんは、すぐに話しましょうと、翌日に僕と話す時間を作ってくれた。黙ってひたすら僕の話を聞いてくれた。

タイさん。僕はね、タイさんのSNSをフォローしていますが、今回のハイチでは、11月くらいから、タイさんいつもと違うなと感じていたんです。今回のメールをもらったときに、おやっ、と思ったんですよ。タイさんの心には何かが起こっていると思いますよ。
寝れていますか。食べれていますか。ほかに気になることはありますか。

マサさんは僕のことを気にかけてくれ、MSFの心理士の人に相談してみましょうよ、とアドバイスをくれ、僕の背中を押してくれた。

ーー マサさんとの会話の前夜。仲良しの後輩との会話 ーー
おにぃさま!おかえりなさい!

いつからそう呼ばれるようになったのかわからないが、彼女はとてもユニークな後輩看護師で、職業柄もあってか僕の入出国情報を誰より把握している後輩である。彼女はとても気さくで、あたたかく、いつも僕を送り出してくれ、そして迎え入れてくれる。

おにぃさま、体調は大丈夫ですか。休まれていますか。
僕の帰国後、後輩に会うといつもそんな話で質問攻めにされるが、今回は最後のコメントが1つ多かった。

おにぃさま、大丈夫ですか。今回のハイチはいつもと違っているのがわかります。つかれていますね。

後輩からのコメントに意表を突かれた僕は、きょとんとし、そんなことはないよ、と説明した。

翌日のマサさんとの会話の時に、この時の会話と後輩の心配そうな顔を思い出し、初めて今の自分の心で起こっていることをきちんと知ろう、そう思った。友から見た僕の心は、明らかに警告を発していたが、当の本人はというと、自身の心の警告に気が付くことができていなかった。
大切な友達の言葉によって、やっと気づかされたのだった。

人道支援派遣スタッフ専門の心理士サポートが始まる
マサさんから電話の最後にこう伝えられた。

4週間。その期間のタイさん心の動きを、担当心理士と一緒に追ってみてください。焦らず、まずは4週間です。時間が解決することもたくさんありますから。

そういわれ、僕はMSF海外派遣スタッフ専属の心理士のマキさんとコンタクトを取り、定期的に心理サポートを受けることになった。
以前、MSFで活動する僕の友人がマキさんの心理サポートを受けていると聞いたことがある。その時の僕は本気で僕には無縁で、必要ないと思っていた。

人道支援。
世界中で医療が必要な人へ医療を届けるために、無理や困難、理不尽の中で活動する海外派遣スタッフにとって、その舞台は肉体的にも精神的にもインパクトがあるものとなる。どんなスタッフにでも心のケアが必要なんだ、そういい続けている団体の意味がこの時初めて分かった気がした。

連絡いただいたこととても嬉しく思いますよ、佐藤さん。
是非、お話ししましょう。
帰国後にどんなことがあったのか、お聞かせ願えますでしょうか。

いつもの通り、柔らかく落ち着いた声のトーンで担当心理士のマキさんが話始める。
ひと呼吸をおいてから僕は、ハイチ帰国後の僕からみた新宿の景色のこと、電車乗り過ごしのこと、マサさんとの会話や僕の心のざわつきについて話始めたのだった。



※投稿内容は全て個人の見解です。
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また次回お会いしましょう。

Best,
Tai

✎2022年5月より✎
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