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『親ガチャ』の時代に。親子関係に悩むひとに役立つ、8つのヒント。
神聖で、ありがたいとされてきた出産も、いまや『親ガチャ』とまで呼ばれ、「生まれてこない方がよかった」「どうして私なんかを産んだの?」なんてことを叫ばれる悲しい時代に、親子関係に悩むひとはたくさんいる。
これまで僕は4000人に奢られてきて、それ以外にも、ライブ配信では若いリスナーの苦悩を電話で聞いたり、メッセージでも悩み相談を受けつづけながら生活している。扱ってきた苦悩も、もう数万件を超えるだろう。(呪詛師なのか・・・?)
その中で、「親ガチャ時代の親子関係」について、見えてきたことを共有してみよう。あくまで浮浪者の偏見だと思って読んでほしい。実際そうなので・・・。
Tips:1 こどもは『親から受けた教育』よりも、『親が呪われているもの』を引き継ぐ。
たとえば、親が『教育』に関して強いコンプレックスを持っていたら、その子は何らかの形で、「学歴がないと生きていけない」と信じたり、逆に、「学歴なんていらない!」と、過剰に拒絶するようになる。
医者の子は医者になることが非常に多いが、それは「お金のかかった教育を受けさせることができたから」という部分よりも、実は「親の呪い」に大きな影響を受けている。親が施した教育より、親の狂気的とも言える、役職や、そのために必要となる学歴への信仰心が、呪いとなって、呪われた子の学歴を生む。
医者の子は大抵、医者にならなくては生きていけない、とどこかで感じているものだ。それから少し大人になって、多少の視座を広がったからといっても、やはりどこかで「自分が親から与えられた水準の生活は、子に与えなくてはならない」といった考えは抜けきらない。結果として、その呪いは「医者にならないといけない」という、生命危機に紐づいた強烈な切迫感に転じて、受験戦争に闘志を与えてくれる。
これも元を辿れば親の呪いだったりするんだけど、「低学歴に価値なし」的なストイックな考え方で努力してきた人ほど、その後の失敗の反動がすごい。
「承認される」ために、「承認しない」領域をつくって、自分を煽る。こうした行為は、死んで逃げ切れでもしないかぎり、いつか失敗した(と自分が認識せざるを得なくなった)ときに、大抵じぶんに刃が向いてくる。
これまで遠くかなたに投げてきたつもりの「尖った言葉」が全て反射してきて、今度はじぶんの喉にブッ刺さるのだ
Tips:尖ったものはあんまり投げない方がいい
・・・だから、大袈裟に聞こえるかもしれないが、彼らはほんとうに「医者にならないと人間でいられない」気がしている。呪いとは、呪われている人にとっては常に気になるもので、他者から見れば、どうしてそんな発想に至るのか、不思議でしょうがないものなのだ。
でも、やはり本人からすれば、見えないナイフを突きつけられて、『医者になれ、でなければ、還れ・・・!』と、脅迫され続けているように感じる。14歳の頃に親から受け継いだ呪いが、自分の口から変換され、今度は自分を縛ることに特化した強い呪いになっているのだ。
親は、程度の差はあれど、他の大人に比べれば四六時中、子とおなじ空間で生きている。そんな子には、知らないうちに、当然「親が呪われているもの」が感染するだろう。いくらマスクをしたとしても、いくら手洗い・うがいを徹底したとしても、もはや家庭内での「呪いの感染」を防ぐことは不可能に近い。親の学歴コンプは子に感染する。
こうして、子は、まったく同じ形ではないにしろ、親の呪いを引き継ぐ。もちろん、教育や、学歴、生活水準に関する呪いだけではない。お金に、人間関係に、世間に、空気に。呪いの種類は非常に多様で、もっと複雑だ。
親が執拗に、こだわっていることを──それは無意識であることが多い──、子は本能で感じ取って、「ああ、これが、このジャングルを生き抜く為に、ぜったいに必要なものなんだな」と学習する。子は、親が執着したものに過剰に反応する。客観的事実とは、全く関係なく。
「親が何に呪われているか」。
これが、子に最も影響を与えていると言えるだろう。
こないだ奢りにきた学校の先生が「保護者は子供の教育をなんでも漫画やゲームなどに責任転嫁しようとする」「でも、最も子供が長く見ているのは漫画でもゲームでもなくて親」「見るものに影響されるのが事実なら親の責任」「親が変わらないと子供は変わらない」などと言っていて、本質情報だ、などと、
— プロ奢ラレヤー🍣 (@taichinakaj) May 5, 2019
親が子になにを買って与えたか。そんなことばかりを多くのひとは教育の指標にしようとする。けれども。
Tips:2 最も、子がより熱心に、より長く触れ続けるものは、親が買い与えたおもちゃでも、優秀な教師でも、スポーツ用品でもなく、親そのものだ。
こうして、子の知的能力を左右するのは、教育にかけた予算や、時間なんかよりも、「日常的に親がどれだけ知的な会話をし、学び、その背中を見せているか」の方だったりする。
親がまともな背中を見せずに、ただ口だけで「あれをしなさい、これをしなさい」と強く言い続けて育った子は、生涯において比較的なにもしたくなくなり、比較的なにもしなくなる。
反面、ただ背中を見せてきただけの親が「お前は、生きてるだけでいいよ」と言い続けて育った子は、意外と、余計なことまでしっかりやるようになる。(※これらは、4000人に奢られただけの男の、ただの偏見に基づいたあるあるなので、真剣に捉えるのはやめてほしい)
今度は、子の目線から考えよう。親になっているのは限られた人たちだけれど、その一方で、例外なく、ひとは誰もが子である。
Tips:3 子とは、承認を求める生き物だ。
そして、たしかに現代は「承認」を奪い合う社会になってきている。だれかに、もっともっと認められたい。口にはせずとも、多くの人がそう思っている。それは、どうしてなのだろうか?なんのために?
大勢のひとが褒め称えたり、憧れたりする人生というのは、無限のグラデーションの中に存在する人生の在り方のひとつにすぎない。
それが全てではないことは、だれもが分かっている。それでも、どうしてか、やはり「承認されたい」と、心の底では思っている。なにが、そうさせるのだろう?
Tips:4 ひとは「10代の頃に手に入らなかったもの」に固執しやすい。
その典型例が「良好な親子関係」だ。そして、その「親子関係」で不足しがちな栄養素が「承認」だ。言い換えるなら、「愛された」という実感だ。
「認められたい」「愛されたい」というきもちは、「認められなかった、愛されなかった痛み」が、そのまま真っ黒なアザになってできている。
認められた、そして愛されたという実感は、「わたしの話を聞いてもらえた」という経験から生まれる。多くの現代人は、じぶんが生きるのに、いや、大人でさえも、「認められる」「愛される」のに必死で、なかなか人の話を聞いていられない。
子から、親になりきれない。それは、子に対してもそうなのだ。
10代の頃の、「愛されなかった」「認められなかった」という経験が、そのまま真っ黒なアザになって、大人になっても残り続けて、「愛されたい」「認められたい」という体験に執着させている。
Tips:5 愛されたい、認められたい。これが現代人にかけられた大きな呪いの1つだ。
親から子へ、そしてまた、その子が親になってもなお、先祖代々引き継がれていっている。
そこで、今、流行っているのが「親ガチャ」である。確かに、こうして親子関係が人格に与える影響を列挙してみると、その重要性はうかがえる。しかし、そんなことはどうでもいいことだ。
こうした、人格への強い影響を与える「親子関係」の呪いを、どうやって乗り越えていったらいいのだろうか。
ここから先は少しセンシティブな領域になるから、生半可な気持ちの人はここまでにしておいた方がいい。覚悟がある人だけ、読んでください。Tips:8まであります。
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