ぷろおご日記:6月20日 「居場所がない、というきもち」「年収200万では豊かに生きられない?」
「あなたは必要だ」と言われたいんだよな。でもそれは、海のしおっからい水で、喉を潤そうとするようなもんなんだ。居場所がない、というきもちは、「必要」では満たせない。
「あなたは必要だ」ということ。それと「ただそこに居てほしい」ということは、じつは似ているけれど、正反対だ。あなたに居てほしい、べつに必要はないけどね、ただそこに居てほしい。「あなたは必要だ」と言われたいひとに足りないのは、それなんだ。
だから、「あなたは必要だ」と思われたい、そう思われていることを納得するために「すごい」とか「立派」とか言われたい、そして、バカにされたくない、見下されたくないひとほど、「ただそこに居てほしい」に向き合わなければいけない。ただそこに居てほしいと思ってもらうには、ただそこに居てほしいというきもちを、まずは自分のなかで大切にしないとダメなんだ。
役に立ってるから必要なんじゃない。役に立とうが立たまいが、そこに居てくれたら嬉しい。このきもちを大切にしているひとにだけ、このきもちを持つひとが近付いてくる。だから、なんでもかんでも、必要不必要とかっていうんじゃない。お前は呪われてるんだから。
そして、みんなが欲しがる「年収」なんかも、じつは「なにかが買える」ということだけではなく、「わたしは必要とされている」と思いたい、そのきもちを満たすためのものだったりする。
『年収200万で豊かに暮らせる事は「絶対に」ありません。』という声に同調するのは、きっと「わたしは必要とされている」というきもちに、つよく惹かれるひとたちだ。
じっさい、豊かに暮らしてるひとはたくさんいる。
べつに年収200万円で暮らせ、って言ってるわけじゃないんだ。
ただ、「あなたは必要だ」という呪いにあてられていると、どうしても「年収」とか「学歴」とか、そういう「社会的必要性」みたいな幻想にすがることになってしまう。
それは呪いをとくようにみえて、じつはどんどん深みにはめているんだよ。必要だから、あなたは生きるんじゃない。必要ないかもしれない、いや、きっとない。でも、それでも生きていく。だって、おれは、おれがここに居たら嬉しいから。おれがここに居たら、嬉しいって言ってくれるやつがいるから。それでいいんだよ。
ひとから見える数字なんかで、そのひとは決まらない。分かることはあるよ。でも、それはどうでもいいことなんだ。豊かだなぁ、と思えるなら、それは豊かなんだ。ひとから見える数字や、ひとに測られる言葉なんか、関係ないんだから。
見栄は「必要とされたい」というきもちからやってくる。それが苦しみを生むなら、そんなのは、やめたっていいんだ。
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