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なかなか「人生が好転しない人」の共通点。

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のんびり生きていると、ついつい「まあ、待ってたらいつか全部が好転してくれるだろう」と、安易に希望的な観測をしてしまいがちだ。

けれども、「なかなか状況が好転しないぞ...」というときには、やはり何らかの原因があるし、その原因に着手することで解決できることも多くある。問題はすべて時間が解決するけれど、自分の手を動かせば時は早く進んでいく。なにもせず過ごすよりも、原因に着手して過ごす方が「すべてを解決する時間の力」は強くなるのだ。

さて、「着手すべき原因」、つまり「人生がなかなか好転しない原因」とは、いったい何なのだろうか?

ぼくは、この「好転しない原因」というものを、「精神の渇き」にあると見ている。よって今回は、「どうして精神が渇いているとうまくいかないんだろうね」とか、「どうしたら精神の渇きを潤せるんだろうね」とか、そういう話をしていきます。

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「喉が乾いてから水を飲むのではとうに遅い」という話があるけれど、それは「精神の渇き」にも言えることなんじゃないか、と思っている。

「喉が乾いてから水を飲むのではとうに遅い」というのは、つまり「喉が乾く前に水を飲もう」ということの言い換えなのだけれど、なぜ喉が乾く前に水を飲んだ方がいいかというと、ひとが「喉が乾いた」と感じるのは、「脱水状態になってから」であり、その状態は危険だからである。

たまに無人島に漂流した設定の映画とかで、「喉かわいた、ぴえん、あ〜、ダメって分かってるけど、海水のみて〜。あ〜、もうむり。ワンチャンいけるっしょ、ゴクゴク」とかやって、結局は塩分濃度がバグっておしっこ出なくなって毒素で死ぬ、みたいな展開がある。この「乾き」と「塩水」と、それによる愚行の描写は、ひとの精神の渇きをもよく表していると思う。

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ひとは「渇いている状態」では、正常な判断ができなくなる。だから、目の前に「渇きを潤すどころか、それを悪化させてしまう塩水」があると、それを分かっていながら、ついつい手を出してしまう。

それと同じように、精神が渇いてからそれを潤すのはとても難しい。ひとは乾いているとき、正常な判断ができなくなる。「塩水」を飲んでしまう。つまり、ギャンブルや、薬物に手を染めたり、安直に刺激だけを求めた人間関係を構築してしまったり、浪費したり、それらが複合的なトリガーになって、犯罪行為にまでも到るのだ。

こうなると、多くの場合には「負のスパイラル」に巻き込まれて、破滅できるところまで破滅して倒れ込む。できることなら、こうならないように避けておきたいところだ。

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思うに、人生を好転させるには「精神が乾いていないうちに、きちんと潤しておくこと」が大切なんだと思う。潤っているうちに、乾いたときの準備をしておくこと。あたりまえだけれど、「負のスパイラル」の対処法は、「そもそも陥らないようにする」しかない。だって、無限に回ってしまうんだもの。

これは「喉が乾いたな」と感じる前に、給水をしておいた方がいいことに似ている。精神が乾いてからでは遅い。水を飲むためには、水分が必要だからだ。大木を切り倒し、船を編んで、海を渡って、水を汲みにいく。その過程には、少なくとも「塩水を飲んでしまわない程度の潤い」が必要なのだ。

「服を買いに行くための服」がないと、一生そのまま全裸のままで過ごすことになってしまう。そういった状況に陥らないためには、服がまだ破けていないうちに「予備の服を買っておく」とか、「代わりに服を買いにいってくれる友人を作っておく」とか、そういうアプローチが必要になる。

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とはいえ、今まさにこれを読んでいる人の一部が「インターネットに転がっていた、なんか自己啓発じみたタイトルのエントリーをすがる思いで読んでいる」ことから察するに、ここしばらくを「塩水を飲んで過ごしている読者」も多くいると思う。すでに精神が渇いてしまっていて、「乾く前に水を飲めったって、もう遅えよ!」と言いたげなお前のことだ

そういう人は、一旦あきらめるしかない。できることは「えっ、こんな状況でも入れる保険があるんですか?」とか言って、甘い言葉に乗せられないこと。甘そうで、クソしょっぱいぞ、それ。

できるのは、とにかく「塩水を飲むことをやめること」だ。そこに救いはない。自己啓発っぽいエントリーを読みあさっても、明日にはまた、精神がカラッカラになっているだけだ。

とはいっても、「真に絶望的な状況」にある人は少ないと思う。少し冷静になって、周囲をきちんと見渡せば、綺麗な水溜りがあるかもしれないし、熟れた果実や、窪んだ植物のスキマにだって、少しずつ水分は残っている。

大抵の「絶望」というものは、そういった「そこにあるかもしれない『取りこぼし』を、存在しないものとして決め込んでしまうこと」から生じている。

だから、まずは冷静になり、塩水を掬う手を抑えて、「取りこぼし」に目を向けることだ。「次こそは、まだ潤っているときに、潤いを確保しておこう」という決意のもとに、あらゆる自責をあきらめることだ。自責している場合ではない。好転するには時間がかかる。だからこそ、冷静になる。塩水を飲まない。取りこぼしを探す。そして、潤った分で、海をわたる船を編む。そうして前向きに生きているうちに、誰かが救助にきてくれるかもしれない。

大切なのは、あらゆる希望を捨てないこと。ゲームを放棄しないこと。できることを見極めて、そこにだけ着手すること。取りこぼしを探すこと。

救助の手がないことを前提に、自分の動きを考えること。そして、救助の手が差し伸べられたとき、それが「塩水ではないか?」という判断を下せる程度には、潤いを保っておくこと。

渇いてしまった精神は、こうした「ギリギリの戦い」の中でしか渇きを抜け出せない。

まあ、何度もいう通り、一番いいのは、そもそも「潤っているうちに、潤っておくこと」なんだけどね。ピンチには陥らない方がいいです。そっちの方がダイナミックだから、なんとなく憧れてしまうのは分かるけどね。戦いが一番うまいのは、見せ場がないやつ。孫子とかも言ってたよ。戦わないやつが一番うまい。うまいこと、やっていきましょう。水分摂取はこまめに。夏場は特にね。


オマケ もうちょい具体的な話をするよ

ここからはマガジン読者向け。ちょっとくどいけど、まだ書きたいことがあるのでこっちに書く。実用編。僕たちは「潤っているうちに、どうやって『未来の潤い』を用意すればいいのか?」。そんなことについて、サクッと。この文章を書いたキッカケとかも。

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ぼくにこの文章を書かせた一つの出会い

「食べ物の保管に最も向くのは、隣人の腹の中」というアフリカのことわざと出会った。そのせいで、ぼくは今この文章を書かされてしまっている。

「渇き」というニュアンスは美しいと思っていて、そこには「充足」と反対のイメージがある。とにかくエネルギッシュで、けれども猪突猛進なところがある。色で言うなら黒で、いつも黒以外のものを求めて交わりつつも、相手も黒く染めてしまう。そういう不器用なやつだ。

渇きを悪いものだ、とするつもりはないけれど、できることなら避けて生きていけたらいいと思う。渇きは「遠くで見るくらいがちょうどいいもの」であって、いくら魅力的だからとってもブラックホールに近づけば呑まれてしまう。だから、ぼくは「渇かない」ことを書いた。
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「潤い」を未来に届けるには?

保存に向くのは隣人の腹だ。だから、僕たちは「潤っているうち」に、とにかく「他人の渇き」を潤していけばいい。だからといって「飲めよ!」と言うのでは暴力的だし、進められない。できることは、「潤っていることをアピールすること」と、「その潤い、ちょっともらえませんか?」と近づいてきた人に、自分の腹が痛くない程度に潤いを振る舞うことだ。

こうやって「保存」をするには、やはり「私たち」という枠組みが欠かせない。隣人であることを実感できないと、中々「保存できている」という安心感は得られないし、安心感のない場所に宿る果実は痩せこける。

さらに贈与には、公的なものと私的なものがある。公的贈与は結束を高める義務である一方、私的贈与は協力関係者を拡張する働きをもっていると考えられる。[ハルトマン]

私的な贈与を成立させることが「潤いを未来に保存すること」であるとすれば、公的な贈与(つまり、自分の所属する小さな社会に対する貢献など)は、そもそも「私的な贈与を成立させるため」のものである。公的な贈与を通して、ひとは私的な関係性を構築し(私たち、になり)、そうすることでやっと「安心感」を持って、隣人の腹を満たすことができる。

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結局、なにをしたらいいのか?

毎度のことでくどいけれど、ぼくは「結局、なにをしたらいいねん?」と聞かれると、もう「うちのスラムにくればいいじゃん」としか思えなくなった。もちろん、完全なものではないし、まだまだ不安の残る機能は多い。

群れをやらないことには、ひとりで生きていくことになる。ひとりで生きていくということは、他人の腹を「保管庫」として使えないということだ。お金は腐らないけれど、お金を使う感性は容易に腐っていく。そういうとき、「腐っていない感性」を借りることも、ひとりで生きているひとには難しい。

もともとは活気盛んな優秀な若者であった者が、ひとりで生きていくことを選んだゆえ、だれからも「まともな感性」を借りること(説教、とも言う)ができず、「餃子屋と電話と野菜嫌いにブチ切れるだけの老害オジサンになってしまう」という寓話になることは記憶に新しい。

となると、やはり僕たちは「感性が腐ったとき」に、隣人の手助けをしてもらう必要があると思う。どうにもならなくなったら殴ってくれ、そう言って「わかった」と言ってくれる隣人を持つことは、よりスムーズに生きていくためにも重要なことなのだ。

贈与は自己犠牲ではない。それは効果的な「資産形成の手段の一つ」なのである。大きな資産をただ銀行に預けておくより、どこかに投資することが「有意義な資産運用」であることと同じように。

投資と贈与の違いは「契約書の有無」くらいのものである。契約書というのは「他人」と安全に取引をするときに必要なものであり、隣人に1万円を貸すときに必要なものではない。「大丈夫?」と声をかけるのに契約書はいらないのだ。

大きな資産のない僕たちは「安心して贈与できる場所」を獲得しなくてはならない。目に見える大きな利益なんてものはないかもしれないけれど、それでいい。ただ「潤っているうちに」「じぶんが渇いてしまわない程度に」「潤いをばら撒いておく」だけなのだから。そうすることで、我々は「私たち」を構成することができる。公的な贈与そのものには旨みはなくとも、そこから生まれる「私的な贈与」には、いつかの「渇き」を潤してくれる力がしっかりと備わっているのだから。

アフリカの贈与に関する叡智と邂逅した。今日も出会いをやった。このマガジンでは「出会い」を書いていく。明日は何に出会うのだろう。レンズを磨けば、きっと明日も出会えるだろう。楽しみだ。

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