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【ウラ人生相談所】Vol.24 「ひとに愛されるには、どうしたらいいのだろう?」

親に愛されたい

「中3女子です」

『はい、今日は何の用事ですか?』

「あの、親に愛されたくって

『愛されてないんですか?』

「中学受験をさせてもらったり、そのための塾代とか、今も私立中学の学費を出してもらったりしてるんですけど・・」

『お金はたくさん出してもらってるんだね?』

「そうです。欲しいものとかも何不自由なく買ってもらってて。でもなんか愛されてる気がしないというか」

この「ウラ人生相談所」では、悩める市民たちが「オモテでは聞けないこと」を、見知らぬ浮浪者に相談している様を、文字起こしダイジェストでお送りする。

相談したいひとは、詳しくはここから↓

#ウラ人生相談所 で他のも読めます。


今回はここ↓から引用。【87回 25:55】

(文字起こし すぺしゃるさんくす 書遊びマン)


愛とは何か

『お〜。愛って何ですか?w』

「え〜わかんないです」

『あ〜じゃあ愛されることは出来ないですねw {殴られたいんですけど、殴るって何ですか?}って人は、殴られることは出来ないじゃないですか。

てことは、愛されたいんだったらまず愛とは何かってことを決めないといけなくて。

どうします?今日は何にします?愛を』


「えぇ〜」

『例えば{愛されてんな〜アイツ}って友達いるでしょ?そいつはひらがなで言うと何されてんの?』

「弟がいるんですけど、私より弟の方が手にまわってると言うか」

『お、もしかして弟は愛されてるんですか?』

「そんな気がします」

『弟も自分もお金はたくさんもらってるわけじゃん?てことはまずお金ではなさそうだね?じゃあ自分になくて弟にはある親の対応って何ですか?何を見て{弟は愛されてんな}って思うわけ?』

弟はサッカーのクラブチーム入ってるんですけど、そっちには親の当番とかがあるんですよ」

『PTAの仕事みたいなやつね』

「そうです。それをやってもらってる」

『あ〜なるほど。親は弟には自分の体と時間を使って何かをやってるんだ』

「そうですね」

『自分にはないんですか?』

「なんか部活の試合とかも観に来てくれたことなくて」

『あ〜なるほど。{自分の部活は観に来ないくせに弟のサッカーは観に行くんだ。へ〜愛がねぇな}って思うんだ』

なんか対応が違うな〜みたいな」

『なるほどなるほど。親が来るとか来ないとかに関連した何かが愛っぽいですね。愛がわかってきたぞちょっと。24歳にしてちょっと愛がわかってきた。

なぜ親が大事なものに見えるのか

じゃあ例えば{わたし部活で試合があるから来い}って言っても来ないんだ』

「そうですね。なんか試合の案内の手紙とかも、受け取ってはくれるんですけど試合には来ないです」

『あ〜自分だけ来ない!弟のは行くのに!愛がないね!w』

「ww」

『なるほどな〜。それは難しいかもね。なんか好きなアーティストとかいる?』

「好きなアイドルなら」

『好きなアイドルのライブ行きたいでしょ?だけど別に興味ないアーティストのライブ行きたい?

「・・行きたくないです」

『うん。じゃあしょうがないねw {行けって言われても・・}って思っちゃうじゃん』

「はい」

『今なんで親がすごく大事なものに見えるかっていうと、今はまだ関わってる人数が少ないからなんよ。大人とか友達とかって数えてもせいぜい100人いないわけでしょ?』

「そうですね」

『これから学生おわったりとかしたら関わる人数がどんどん増えていくわけ。そうすると1人あたりの大切さってどんどん減ってくのよ。

子供の時は親ってすげーでけぇ存在で、親に愛されないと世界に愛されてない気持ちになるわけ。でもこっから長く生きてくると大切な人って他にもどんどん出来てくるじゃん』

「そうですね」

『そうしたときに親が自分の何かを観にきてくれないってそんなに大事じゃなくなると思わない?』

「確かに」

親の気持ちを変えるっていうのはあなたが別に好きじゃないアーティストのライブに行かないのと同じで、あんまやってもしょうがないのよ。

あなたがアイドルだとしたら、今来てるファンの人たちにもっと頻繁に来てもらおうとか、周りに布教してもらおうとかを考えるわけじゃん』

「あ〜」

『それはアイドルじゃなくても同じで、自分にくっついてきてくれる人を増やすと親が来なかったってことはどうでもよくなってくるんだよね。今よりは。

そういうところからタッチしていくのがいいんじゃない。愛がわかったわけだから。愛がわかったってことはどうすれば私が愛されるのかってことがわかったってことだから。それはもう進歩ですよね(ブチッ)(通話終了)

_____

愛とは、


愛されるとは、わたしの話を聞いてもらえることだ。

話を聞くという行為は、相手へのもっとも献身的な、身体と時間の奉仕であって、これ以上ないほどの充足感を、その相手に与えることができる。

「私は今、話を聞いてもらえている」という経験が、どれだけ人にとって重要か。このことを、意外と忘れている人が多いような気がする。

「話を聞いてもらえてない」という経験を重ねると、その人はどこかに「拗らせ」を孕んだままの人生を送ることになっているような気もする。

「話を聞いてもらえず、それを拗らせたまま、大人になってしまった人」は、これからを、どのように生きていけばいいのだろうか?

堀江さんみたいに、誰でも大勢に話を聞いてもらえるわけでも、ないわけだし・・・ね?

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