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12/18 「つまり、『うつは甘えじゃない』という考えは危険であり、『うつは甘え』である。」

うつを弁護する理屈で「うつは甘えじゃない」が流行りだが、うつは甘えじゃねえか?と最近はおもう。

うつは甘えだが、最低限の「甘える機会」を獲得できないから、甘えてもしょうがない場面で甘える状態になるのであって、うつ患者に『聞くアヘン』を与えるために「甘え」を悪にするのは結局ジリ貧だ。

うつを拗らせるのは、むしろ「自分自身の甘えを、甘えとしてそのまま受け入れることができないから」じゃねえか?

『うつは甘え』だし、甘えをやってこなかったからこその『うつ』なんだし、結局は大いなる力を身につけたり、レンタルしつつ、着実に甘える機会を創出していかないと、ずっとうつのままなんだよな。

甘えるには力が必要なんだ。無力な人間に甘えることは許されない。甘える機会を獲得した人間が、さらなる力を獲得する。甘え格差。

というわけで、甘え格差を脱却していくには、どうしたらいいんだろう?というところを、無い頭と、やたら膨大で緻密に積み上がった人間観察データから、考えていってみる。

まずは『うつは甘えじゃない』の危険性についてだけど・・・

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