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8月23日 「きみだけの感情を、たいせつにする、ということ。」「脱ちいかわ。そして、脱ハチワレ。」
連日、きみだけの感情について書いているけど、それだけ、いま、きみだけの感情、そして、それとの向き合い方というものが、重要になっているんだよ。
このへんを引用しながら、きょうはもっと、きみだけの感情について考えてみることにする。
じぶんの感情を、みんな、きもちよくしまってくれる箱を、じぶんではないどこかにさがして、「見つけた気になっている」ようにおもえる
これについて、すこし実態を追ってみると、理解が深まるかもしれない。まさに、このとおりに、ひとびとが動いていることがわかるはずだ。
引用RTを追ってみよう。
大人になっても親を憎むひとは、今この瞬間から自分の意思決定のもと生きられる、という事実を拒絶し、「親が完璧でない」という当然の事実を、「親が悪い」と拡大解釈し、親を憎み続ける事で、あたかも「自分は何も選択できなかった」かのように捉え、責任を逃れる機関の発明を、どこかでし終えたひと
— プロ奢ラレヤー🍣固定ツイみろ (@taichinakaj) August 20, 2022
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ふだんは「発信する側」のアカウントだ。
「いいね欄」をみてみる。
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このひとのいいね欄は、まだまだ続いていたし、他のアカウントも、たいてい、こういう「いいね欄」になっていた。(よわった素人のいいね欄を載せるのは酷なので、勝手にさがしてみてくれ)。
一体、何次下請けなのか分からない誰かの感情を表現した言葉を、またさらに下請けして、劣化コピーして、つぎの下請けに回していく。
そして、またその中から、みんな、なんとなく無難に「マネしやすいもの」を拾い上げて、ほかのひとの「考察まとめ」を、まるで、じぶんの言葉のように、引用RTするわけなんだよね。
これはまさに、
じぶんの感情を、みんな、きもちよくしまってくれる箱を、じぶんではないどこかにさがして、「見つけた気になっている」ようにおもえる
この記述のままになっているよね。
そう、いまの世界は、みんな「ちいかわ」なんだ。じぶんの言葉をもたない、つまり、じぶんの感情と向き合えない。
だから、わからない。だから、じぶんの感情を「見つけた気にさせてくれるひと」のとなりにいく。そして、となりをみながら、生きていくんだ。
さて、きょうの話はここからだ。
きみが、きみがこれから、きみの感情に向き合う。そのために必要なこと、そのやり方について。脱ちいかわ。そして、脱ハチワレ。
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