外資系企業人事部長の部下へ宛てたHR Letter「グローバル企業での働きかた」第3話 自己犠牲の精神

第3話 自己犠牲の精神

全体最適のために個人が我慢しなければならないことがあります。このような場合のことをここでは「自己犠牲の精神」という言い方をします。「自己犠牲」(Self-sacriface)という言葉に極端な印象を受けるかもしれません。しかし、この言葉はグローバルに通用する概念です。自己犠牲という概念は、高度で、時に複雑化するため、とかく間違って理解されがちです。今日はこの言葉について考えてみましょう。

自己犠牲の精神はストイックで古臭いものだと感じるかもしれません。しかし、単なる貧乏くじではありません。自己犠牲には全体最適のために小さな自分を捨てるという意味も含まれています。小さな自分とは目の前の利益を求める自分です。つまり、一時的に自分を抑えることによって、より大きな成果を生み出すことを狙うということです。一見不利益になるように見えることでも、中長期的には自分もメリットを享受できることがあるということです。自らの視点をどこに置くかが非常に重要です。

もう少し具体的な例をあげてみましょう。

いやなことを、自分があえて引き受けなくてはならないことがあります。しかし、そのことは組織にとってはプラスになります。組織にプラスになることはやがて自分にもプラスになります。したがって、長期的には自分にもプラスです。しかし、それを何故自分がやらなくてはいけないのか、他の人がやるのを待っていればよいのではないか、という考えもあります。もし、全員がこのような考えになれば引き受ける人はありません。従って組織的には問題になり、自分にもそのマイナスは帰ってきます。誰かがやらなくてはならないわけです。

以前、グローバルで活躍できるためには「Trust」と「Respect」が求められるという話をしました。誰しも組織の中で尊敬される人になりたいと願うわけですが、そのような評価は単に仕事ができることだけでは得られません。「Trust」と「Respect」の概念は、仕事を超えた人間的魅力やコンピテンシーに起因するところが大きいからです。その点、自己犠牲の精神をもつ人は確実に他者から「Trust」と「Respect」が与えられます。それは、その人の見方が全体最適を理解し、私利私欲を超えたもっと大きな視点の高さにあることを感じられるからです。ですから、我々人事という「人を扱う業務」に携わる人にとって、自己犠牲の精神とは学ぶ価値のあるものだと思います。

外資系企業人事部長の部下へ宛てたHR LETTER「グローバル企業での働きかた」プロローグ・目次 に戻る

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?