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大村家菩提寺、本経寺訪問(2021/6) @長崎県大村市

蔵出し投稿です。
2021年6月のことですが、大村の知人の案内で、藩主大村家の菩提寺である日蓮宗の本経寺を訪ねました。
場所は以下の通り。長崎空港から約3.4キロの所にある日蓮宗のお寺です。


【日蓮宗萬歳山本経寺とは】

大村藩初代藩主の大村喜前により1605年(慶長10年)に建立が始まり、1608年(慶長13年)に伽藍がほぼ整い開山した。大村藩は喜前と父の純忠が熱心なキリシタン大名であったことから領内の寺社が多く破却されていたが、江戸幕府のキリシタン禁教政策が厳しくなる中で家門存続のため喜前が日蓮宗に改宗した。その上で大村家の菩提寺として当寺を建てたもので、開山にあたり肥後国熊本の本妙寺住職日真の高弟日恵を初代の住職として招いた。

(Wikipedia「本経寺」より一部抜粋引用)

大村藩初代藩主、大村喜前により慶長十年(1605)建立。喜前は父、純忠同様に"ドン・サンチョ"の洗礼名をもつキリシタンでしたが慶長十年(1605)に領内の宣教師を追放し、神社仏閣を再興。自身は翌年(1606)に公式に棄教し、親交のあった加藤清正の勧めで日蓮宗に帰依しました。


本経寺本堂。正面両側に大ソテツがあります。


境内にある大村藩主大村家墓所。国指定史跡です。



本経寺には大村藩主歴代とその一族の墓が並んでいますが、大きな墓石が林立し、最大で6メートルを超す巨大な墓石が建っており圧倒されます。寺の前には長崎街道が通っており、ここを通過する長崎奉行から見えるように…仏教徒であることをアピールする狙いがあったといわれています。





三代藩主、純信公の墓。6m超で圧倒されます。


四代藩主、純長公の墓。三代藩主、純信公には子がなく
正室の実家である幕府勘定奉行の伊丹氏から
正室の弟である権吉を養子とし、四代藩主とします。


こちらも6m超の純長公の墓。


2代藩主、純頼から3代藩主、純信へ。
3代藩主、純信から4代藩主、純長へ。
・・大村家は2回続けて「御家断絶・改易」の危機に瀕しますが、どうにか切り抜けています。御家は続いていますが藩祖、純忠の血筋は3代で絶え、4代以降は幕府勘定奉行の伊丹氏の血筋となっています・・。
この2回にわたる御家断絶の危機については、後日別記事でご紹介したいと思います。


ちなみに、本経寺には大村純忠と正室、おえんの墓はありませんが、
後妻の”しんほふ”の墓はありました。大村の知人に教えてもらいました。

純忠公の後妻、しんほふ様の墓。


純忠後妻の”しんほふ”は近年の「千々石ミゲル墓所調査」に際して、ミゲルの四男である千々石玄蕃を養子に迎えたことで知られています。純忠の三男、純直の母でもあるようです。

そして、初代藩主、喜前と藩祖、純伊すみこれ(純忠の2代前)の墓は御堂の中にあります。

初代藩主 喜前公(左)と藩祖 純伊公(右)の墓。
お堂の中に2基の五輪塔があります。




こちらの墓所は行かないと実感できません。とてつもなく墓石が大きくて圧倒されます。
長崎の歴史にご興味ある方、お越しの際には是非とも訪れて欲しい場所です。

では、今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。


※この記事は2021年6月のFacebook投稿を加筆・修正したものです。


*日蓮宗萬歳山本経寺のHPはこちら。


*長崎の観光情報はこちら。


*記事中にある「千々石ミゲル墓所調査」については第1次~4次の報告書のPDFデータが「全国遺跡報告総覧」で公開されていますので、ご紹介します。



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