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江藤新平と佐賀の乱 (2023/2/26 「軍事学的に見る佐賀の乱」講演会を聴いて)

先日のことですが、長南政義先生による「佐賀の乱」の講演会が開催されるときき、佐賀へ行ってみました。
主催は以前よりイベントに参加させていただいている佐賀戦国研究会様。(この会はいつも、実に質の高い講演会、勉強会を民間で開催されています・・)



講師は戦史学者の長南政義先生。昨年10月には、同じく佐賀戦国研究会主催の講演会の第2部で樋口隆晴先生とのトークで登壇されましたが、今回、満を持しての単独での講演会開催となったそうです。
私は軍事には暗いのですが、前々から江藤新平に強い関心を持っていたので参加させていただきました。

江藤新平と言えば幕末~明治維新期に欠くことのできない人物であり、鍋島直正(閑叟)公率いる佐賀藩がアームストロング砲を以て新政府軍に加担して以降、彗星のごとく中央政府に現れ、その抜群な能力によって初代・司法卿として現在に通じる司法制度の基礎を(あの明治初期の混沌とした時期に)確立させた人です。征韓論に端を発する明治六年政変で野に下り、翌明治7年、故郷の佐賀に帰国すると島義勇とともに不平士族に担がれ佐賀の乱の首領となります。
佐賀の乱は大久保利通内務卿を中心とする明治政府の軍隊に鎮圧され、江藤新平・島義勇とも斬首の上梟首(さらし首)という極刑に処せられました。
(江藤新平はその清廉潔白な性格からか尾去沢銅山汚職事件で大蔵大輔、井上馨を辞職に追い込み薩長閥から恨みをかっており、また大久保利通からその才を恐れられていたようです。しかし斬首、梟首という極刑に処したというこの件を以て、私は大久保利通という人物をあまり好みません・・。)


佐賀城跡の鯱の門。
佐賀城では政府軍と佐賀軍との間で激しい攻防戦が行われました。



その後江藤・島とも名誉が回復され、現在の佐賀では、佐賀の乱の首謀者である「江藤新平」「島義勇」とも「佐賀の八賢人」として称えられており、英雄として奉られています。

ちなみに、佐賀の八賢人とは・・
鍋島直正、島義勇、江藤新平、副島種臣、大木喬任、佐野常民、枝吉神陽、大隈重信
の幕末~明治期に活躍した佐賀藩出身の偉人8名の総称で、佐賀城本丸歴史館では「佐賀八賢人おもてなし隊」が結成され、寸劇などが行われています。


佐賀城本丸歴史館においての佐賀八賢人のポスター。


さて、長南先生のお話。
私の認識が甘かったのですが、佐賀の乱は1ヶ月余で鎮圧されていて、江藤新平が途中で戦線離脱し鹿児島の西郷隆盛の下へ決起を促すため赴いているのは知っていても、その戦闘の規模については詳しく知りませんでした。
長南先生のお話では、佐賀の乱はその規模からいっても「佐賀戦争」と言ってよく、初めての不平士族の反乱が九州の各藩に拡がらないよう明治政府が迅速に反応したことが勝因の1つで、政府軍は指揮官の野津鎮雄少将が前線に出て指揮を執ったのに対して佐賀軍の指揮官である江藤新平が戦闘中に戦場離脱したことは最大の失態、軽挙であるとのこと。

(江藤新平は大変な秀才であるのに、佐賀の乱に際しては「佐賀が起てば鹿児島・高知もこれに応ずる」とかなり他力本願的な甘い見通しを立てていたのが以前から気になっています。江藤自身どの程度の勝算があったのか。
女の私でも、戦闘継続中に指揮官が抜けるのはどうかと思うのです。江藤家は「手明鑓」という佐賀藩の下級藩士の家系で、家は貧しくとも藩校の弘道館に通っていたそうなので武芸なども一通り学んだと思われますが、もしかして秀才すぎて男同士の力技の”喧嘩”というものをあまりしたことがなかったのかも・・あくまで想像ですが。)

佐賀軍は、政府軍の優勢な火力に対して地の利を活かして善戦したそうですが、いかんせん、2月28日に海軍海兵隊が佐賀城を占領し鎮圧されます。
長南先生の講演は数字を使っての両軍の兵力の分析や地図を用いての戦闘経過の説明、勝因敗因の分析と、実にわかりやすく、正直に申して、これほどの戦いだったと今回の講演会で認識を新たにしました。聴きに行った甲斐がありました。


佐賀城鯱の門門柱に残る弾丸跡。


講演会の後で佐賀城本丸歴史館に立ち寄りましたが、鯱の門に残る弾丸の跡を見て胸が締め付けられるような、切ない苦しい気持ちになりました。
「たとえ正義のためだとしても、人が殺しあうことほど不幸なことはない」との思いをあらたにしました。
佐賀の乱で散った佐賀軍、政府軍の戦没者の御霊の安らかならんことを祈りたいと思います。

また、佐賀までお越しいただいた長南先生、いつも質の高い学びの機会を提供下さる佐賀戦国研究会の皆様、ありがとうございました。


*長南先生の佐賀の乱の記事は、以下の雑誌(バックナンバー)で読むことができます。


*佐賀戦国研究会のブログはこちら。


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