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“当たり前”を考える。

 僕は大手運送会社の協力会社に所属し、宅配ドライバーとして働いています。完全出来高報酬制で一個配達完了毎に165円。毎日150件〜200件の荷物を配ります。朝7時に荷物を積み込んで9時半に配達スタート。終わるのは遅い時で20時半頃で、休憩はほとんどありません。
時間指定に追われ、不在は日常茶飯事です。もちろん不在は1円にもなりません。元請け会社やお客様は無理難題を押し付けてくる時もあります。そして言われます。「運んでるだけでしょ?」「金払ってやってるんだから、荷物出してやってるんだから当たり前だろ」
そんな毎日に疲弊していた時ふと思いました。
当たり前とはなんだろうか?

 昨今は、便利すぎる世の中になりました。
通販で物を頼めば、次の日には届きます。
大手チェーンの牛丼屋に入れば5分もかからずに牛丼が自分の前にやってきます。しかも一杯たったの500円です。
コンビニは24時間やっているし、スーパーに行けば当然のように肉、魚、野菜、カップ麺にお菓子が生活用品が置いてあります。
無料で楽しめるコンテンツも沢山増えました。
YouTubeにX、Instagram。サブスクリプションの登場で音楽も月額を払えば聴き放題です。
そして、私たちはそれらを当然な顔をして利用しています。

 しかし、僕たちが生きる”当たり前”の裏では、沢山の命や心が犠牲になっている事に気づきました。
安い賃金で搾取されている人がいます。無駄に殺される動物達がいて、動物を殺さないといけない人がいます。過剰なサービスを求められ、自ら命を断つ人もいます。都市開発の為、木々が根こそぎ重機で刈り取られ、その結果近年多発し自然災害。地球は悲鳴をあげているのは、ご存知でしょう。
全ては我々が求める”当たり前”の為に。


 その事に心の底かろ気づいた時に、僕は生まれて初めて今までの自分の行動に強い罪悪感を抱き、反省しました。

食べきれなかったら捨てればいいやそんな風に思った事はありませんか。
サービスに対して、「お金払ってるから当たり前でしょ」というような傲慢な態度をとった事はありませんか。
誰も見てないから、バレなければいいやとポイ捨てした過去はありませんか?
出世や己の地位のために他人を蹴落としたり、はたまた自分の心を犠牲にしていませんか?

 僕は、未来のためにできることとは、身近な”当たり前”に目を向けること。
そして、その事実に感謝できるようになること。それが第一に必要であり、圧倒的に現代人、特に私を含む若い世代に足りていない事だと思います。
つまり、人間に対しても、動物や自然に対しても、地球に対しても思いやりやリスペクトを持つ事が大切だという事です。

最後に

 ”当たり前”を作り出す過程が見えにくくなりました。その結果、どこか愛に飢える、そんな人々が増えた気もします。そんな今だからこそ一度立ち止まって身近な”当たり前”について考えてみませんか?きっと様々な気づきがあるはずです。感謝で涙が止まらなくなるかもしれません。悲しみや憎しみ恐怖もあるかもしれません。怒りが生まれるかもしれません。しかし、そこに向き合う事ができて初めて、僕たちは人を、地球を、そして自分自身を愛せるのではないでしょうか。
世界は全て繋がっているのですから。








#未来のためにできること

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