『世代の対立』人間のほんたうのすがた
この論文は昭和二十二年に発表された。
福田は、自らの属する「三十代」と「四十代」及び「二十代」を区別する。が、もちろんこの類型化はあくまで比喩であると福田自身断っている。重要な点は年齢ではなく、それぞれの現実把握の様式及びその相違である。
結論から言うと、人間や自己のエゴイズムから出発してものを見ているのが「三十代」の特徴であり、イデオロギーや図式を信奉するがゆえにそこからはみ出るエゴイズムを恐れるのが「四十代」の特徴であり、未だ人間や自己の内にエゴイズムを捉えていないのが「二十代」の特徴である。
福田はそもそも、軽々しく自己批判を行う者を信用できないと述べる。なぜならそういう人間は、立場が変われば容易に社会正義やイデオロギーという美名に惑わされるからである。また福田は、いかなる時も変わらぬ節操を信じている者も信用しない。なぜなら、彼らは一つの役に過ぎぬものを本来の自己と同一視しているからである。もちろん前者は「四十代」のことを、後者は「二十代」のことを指しているのであるが、両者に共通しているのは、自己の内に強烈なエゴイズムの存在を自覚していない点である。
そういう意味で、福田は「四十代」も「二十代」も信用していない。
ではそのような福田が信用する人間とはどのような者であるか。
福田が信用するのは順応主義者のみである。では福田の言う順応主義者とはどのような人間か。それを説明するために福田は戦争中の自らの生活を語りはじめる。
福田はこのような自分の態度を「順応主義」と呼ぶ。この「順応主義」にとっては、「もつとも労力少く、もつとも報酬多き職業」が最上のものとなる。
福田は決して「自己の全心を投じて悔いなき、意義深き、しがひのある職」を求めたりはしなかった。ときには「全心を投じて悔いなき職業の存在を夢みる不見識」を抱くこともなくはなく、またそのような職業を探している風に装いすらしたが、つねに本心では「もつとも労力少く、もつとも報酬多き職業」のみを探すことに徹していた。このような福田の心理は如何なるものだろうか。
福田は、社会の圧力に抗して、自分のなかにある「個人」を必死に守ろうと戦っていたのだと思う。万が一誤って、「意義深き、しがひのある職」などに就いてしまおうものならば、自分の時間と他人の時間が混ざってしまう。個人の時間が社会の時間に解消されてしまう。それでは、反抗にならない。抗議にはならない。
福田は、放心に身をまかせながらも、日々克明に日記だけはつけていたと言う。そして、その一種の虚脱状態は、「自分の時間をすつかりかきみだしてしまつた現実といふものの正体とその悪意とを、かへつてあやまたず見ぬくための最適な条件となつた」。(『世代の対立』福田恆存全集第一巻)
福田は見抜いた。「現実といふものの正体」こそ、ほかならぬ人間のエゴイズムであることを。
民衆にはもちろんのこと、軍人にも官僚にも、軍需成金にも政治家にも「主義」など何もありはしない。そう装っているだけだ。福田の眼にはその奥に、ただそれぞれのエゴイズムが透けて見えた。
福田が戦争の中で見たのは、もはや国家と国家との戦いではなく、エゴイズムとエゴイズムとの戦いであった。それは「完全な内戦」であった。そのなかにあって、自分以外に自分を衛るものは何もないことを福田は実感した。
この頼りなさこそ、福田にとって「人間のほんたうのすがた」であるように思えた。立場が変われば、意見も主義も変わるような頼りなさこそ「人間のはんたうのすがた」であると感じた。
頼りなき自我から出発せよ。福田が我々に残した一つのメッセージである。
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