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科学は飲んでも科学に飲まれるな④私の嫌いなことばについて

 私の嫌いなことばに「潰しが効く」ということばがある。人間を金属のように血のかよわない無機質なものとみる見方に、強烈な嫌悪感を覚える。

「人材」ということばも嫌いである。これも資本家の論理で人間社会を見たときに使用されることばだが、人間が生きることの何たるかを見失わせるに充分強力なことばである。

「汎用性のある人間」というのも嫌いなことばである。できるだけ多くの現象を説明する理論をすぐれた仮説とみなす科学の考え方を、そのまま人間に適用するような、その短絡さがそもそも嫌いである。

自分の道を行き、行き詰ったら、いさぎよくこの世から去ればいい。その覚悟がないから、「潰しが効く」ような「人材」になり「汎用性のある人間」を目指そうとする。そして道に迷い、中間に浮遊する。

今の世の中をみると、この中間浮遊層があふれている。かれらの究極の目的は「うまく処世し、長生きすること」である。真に偉大な人達と、その日その日を生き伸びることに懸命な人達との間に、この中間浮遊層があふれている。私もそのなかの一人であった。

私はそのことを自覚したから、自分の時間のほとんど全部を、書物を通して、真に偉大な人々と、仕事を通じて、その日その日を生き伸びることに懸命な人々と、接することに捧げてきた。なぜか。とにかく中間浮遊層から距離をおくために、そして資本家の論理に潰されないために。

そしてあるとき気がついた。「潰しの効かない」場所で「人間」臭く「特殊な宿命」の中で必死に生きるという生き方があることに。かれらの生き方のほうが、「うまく処世し、長生きする」中間浮遊層の生き方よりも、かっこいいと感じた。

潰しなんて効かなくていい。そういうあなたの方が、人間臭くてかっこいいから。少なくとも私は、そういうあなたを美しいと思っています。

私の眼の中から中間浮遊層は消えていた。

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