今を楽しむ、今を生きるという考え方

昔、何かのゲーム(確か、すばらしきこのせかい、だったような)のカフェのマスターも言ってた「今を楽しめ!」という考え。この考え方は自分的には好き。だけど、実際に実践できているかというと、正直なかなかそうできないなと考えているものでもある。とはいえ、自分なりに考え、こうしていくのが自分的にはしっくりくるな、という考えがまとまりつつあるので、備忘のために残しておく。

自分は性格的にはというか、親の影響からか、いや親から何か言われてというよりはとにかく子供時代が酷く実家から脱出したかったからか、「先の事を考えて今、準備とか何とかしないと」という思考になる事が多い。今何をしたいかはさておき、将来こうなりそうだからこうしておこう、今はこうしておいた方が良いという考え方である。

実際に進んできた具体的な内容としては、将来の選択肢が広がりそうな普通科の高校を選ばされ(これは親からそうさせられた所が大きい)、選択肢が広そうな有名な大学に進んだし、学部時代に情報を聞いて選択肢が広がりそうな大学院の修士課程にも進んだ。職業を選ぶ際にもとりあえず食い扶持に困らなさそうな進路という目線もあったし(本当の目的は別にあったが)、就職後も、将来仮に実家に帰らないといけなくなった時の事を考えると買うなら一軒家ではなくマンションを買おうとか、老後の事を考えるとお金は極力使わず貯蓄にまわそうという思考だったり、職場における自分の選択肢も、この分野がやりたい!というのではなく(いや、最初に意見表明したものの無視され配属先が決まり、その後ずっと頓挫しているという方が正しいか)、とりあえずこういう事が出来るようになっていると他の所でも活躍できそうでいいかとか、そういう思考になっている。

そうしてきた事で救われている事も多いとは思う。実際、実家から出る事も出来たし、望み通りの会社にも入れている。部署は希望通りではなかったけれどもその後自分なりに生きていく道を見出し、世の中的にヒットするような商品アイデアに恵まれ、買って頂いたお客さんからも感謝され、会社の中でもよいポジションをもらい、自分としては十分すぎる給与をもらっている。望んでいた人とも結婚でき、二人の子供にも恵まれ、持ち家も買い、自分の部屋や空間も持て、車も持ち、家族円満(たまに喧嘩もしてるし怒られるけど)で生活し、欲しいなと思ったもの(本やゲームとかでそんなに欲しいものもないけど)も自由に買え、ある意味何不自由ない生活が出来ている。

なんだけど、選択してきたやり方って、もっと良いものに出来ないのかな?という疑問がわいてきたのだ。というのも結局、今の自分を生きていないなと思うようになってきたというか、今の環境を疑問に思ってきたというか。環境というか、課題視しているのは仕事かな。いい生活はできているけど、今の人生の大半を占有している仕事においては、そのそもそもの選択肢が逃げな感じがしており、というのも自分から何かを選択しに行ってないというか・・・「選択肢が多くなりそうな」集合は選んでいるのだけれども、「これをやりたい」という点は選んでいないというか。なので、選んだり、意見表明をすっかりしなくなってきている。

その結果として、自分がいったい何をやりたいのか、分からなくなってきた自分がいる。とはいえ好きなこと(ゲームや読書、DIYやレザークラフト、犬の散歩など)はあるし、好きな食べ物・飲み物もあるのだが、じゃあ今何をやりたいのかは選べない。そういう状態に陥っている。休みの時にやりたいことは選べるので、特に仕事かな。そういう状態に直近陥ってしまったというよりは、数年来ずっとそういう状態にある事に、今気づいた、という色が濃い。

簡単に振り返ってみると、少なくとも大学生や大学院の時は自分から選択肢を選んでいたし、会社に入った後も希望の部署はあってそれを目指して頑張っていた時代もあった(入社直後の数か月くらいだが・・)ので、希望通りの配属にならなかった後、そこから回復しようとして望みを出すも、何度も頓挫し、その後今のようにだんまりを決め込むようになってしまった・・・のかもしれない。

ググってみるとこういう悩みを持つ人も割とおられそうには感じる。そういう人向けにこうすればいい、ああすればいいという記事も色々見つける。けれども、あまり自分にとってグッとくるものはあまりない。

そんな中で、少し前に「DIE WITH ZERO」という本を読んだ。とても売れ筋の有名な本で、出た当初からずっと知ってはいたし、存在も認知していたのだけれども、タイトルを聞いて「ああ、お金を残しすぎず適度に使って残さず死ぬのがいい、その分働くのはやめよう、時間は貴重だって事がひたすら延々いろんな例を交えたりいろんな角度で書いてある本なんだろうな」くらいのイメージで、読まず嫌いというか、避けてきていた。

けれども最近、資産の運用方針の記事:

でも軽く記載したが、とても仕事上でつらい事があり、果たして自分はこのままでいいのだろうかと考えるようになり、仮に上記の本のような選択肢を取った時にどうなるか考えたいと思ったことがきっかけで、中身読んでみるか、と本屋で立ち読みをしてみたのがこの本を読み始めたきっかけである。

するとどうだろう、第一印象というか、読む前の印象とは打って変わって、自分にとってすごく良い事が多く書いてある。

中でもよかったのは、「お金を何に使うかというと、思い出に残る事だ」という所だ。それだけでいえば、「モノより思い出」というCMもあり、思い出の方が重要だよねくらいで考えていたが、過去の思い出は何度も繰り返し楽しめるものなので、それは複利的にとても理にかなっている、という旨が記載してあり、確かになるほど!と思った。

そしてちょうどその後、ギリシャ・ローマ時代の古典哲学を読む中で、「過去、現在、未来とあり、過去は何物にも侵されない唯一のものだ」という考え方にも触れる中で、冒頭の「今を楽しむ」考え方と合わせて自分なりに結構ピンときたというか、色々繋がってきたのだ。

ざっくりまとめると、こうだ。

  • 今を本気で楽しむ。この時、単に快楽目線ではなく、思い出になるかどうかがポイント。お金も、思い出として残るものはあまり惜しみすぎずに使う。時間も、思い出になりそうな楽しい事には、惜しみなくしっかりかける。

  • すると、お金と今の時間は、単に過ぎ去っていくものではなく、思い出として記憶に残るものになる。

  • その記憶は、自分が記憶している限りにおいて、何物かにより奪われる事なく、複利的に自分を楽しませてくれ、かつそれが永続する。

  • 良い思い出は何度も思い出すことで、記憶としてもしっかり定着し、更に記憶として強固になる

  • 人生をこの連続とすることで、人生は良い思い出の連なりとなり、やがて年老いた時に人生全体を振り返ると、幸せな思い出ばかりになる。

なので、最近はこのような考え方にもっとしていってみよう、変えてみようとトライしている。

とはいっても、じゃあ湯水のようにお金を使ってよいかというとそうではないし(そんなに無いけど)、なかなか貧乏性の癖は抜けないし、しっかり良い思い出になりそうな事を最初から見抜くのはなかなか難しいので、あくまでトライではあるのだけれども、そもそもこの行為自体、自分的には何かの選択肢を自分なりに選ぼうとしており(思い出になりそうかどうか基準)、その結果がどう出るかとそのフィードバック込みで考えると、とてもいい事じゃないかなと思う。

特に課題視している仕事面で、実際やる事が変わる所まで行けるかどうかはさておき、仮にこう変えた時に自分がどう変わっていくかは、とても楽しみ。

それがやがては、セネカのいう、「人生を生きる事を学ぶ」道になるのでは・・・とも思う。

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