縊死を図った次の日の夜ごはんはポテトサラダ。

初めまして、田原涼音と申します。

今日は縊死、所謂首吊りを図った話を。

私は関西出身で、この春に新社会人として関東へ引っ越したばかり。理由はディズニーに気軽に通いたかったから。

3月の末に関西から関東へと引っ越しをした。4月はコロナの影響があり病棟に上がれずに過ごした。5月になりやっと病棟へ。スタッフの皆さんはとてもやさしかった。殺伐としているのだろうという私の創造を良い意味で裏切ってくれた。

でも初めての一人暮らしは怖かった。誰かいきなり侵入してくるのではないか、家族に何か不測の事態があったらどうしよう、大きな地震や天災があったらどうしよう。不安は幾らでもあった。

でも、憧れのディズニーは休園を継続していた。

職場の皆さんが優しいと言えど毎日新しいことの連続。疲れない訳がない。勿論、辞めたいだとかもう嫌だとかそういったことを考えた。一人暮らしをすることにも不安は積もっていった。でも、そういうことは当たり前だろうと思っていた。母にはそんな旨を電話し、愚痴を弱音を聞いてもらっていた。毎日Twitterを覗いてはパーク再開の情報がないか目を凝らしていた。

そんな中でパーク再開のアナウンス。私は心が躍った。何としてもチケット(パスポート)を手に入れようと考えた。

販売日当日、ちょうど休みだった私はスマホと5時間にらめっこして入園の権利を買い取ることができた。

私が自死を図ったのはその憧れのディズニーへ行けた翌日のこと。

今思い出してみても、なぜそこまでの行動に走ったのかよく思い出せない。しかし考えるに、今までの不安と夢を達成した安心感だったのではないかと思う。

自死を選択しようとしたのは今回が初めてでない。これでもう4回目になる。

ドアノブにロープを引っ掛け、結んで、出来上がり。その輪の中に首を通し、絞めていく。身体を巡る血の流れが止められたかのように、頭が膨張していくように、目玉が飛び出しそうになるのを感じる。久々の感覚。お気に入りの曲とともに朽ちていこうとおもった。

けど、できなかった。

だから今こうして文章を綴っている。

苦しくなってふと我に返った私は嗚咽と頭痛と共に母に連絡をした。こんな私を母は受け止めてくれた。1人でいるのがとにかく怖かった。自分に殺されそうで。

自死を選択しようとする時、最初は喜びと共に在る。しかしふと我に返ると、とても恐ろしくなる。まるでもう1人の自分に殺されそうになる感覚だ。

母と連絡の末、職場にその旨を伝えることにした。その日の夜は生きていくことに必死だった。何度も来る自殺衝動に耐えた。

次の日、職場の上司に伝えることだけを考えて出勤した。いつもは自転車で余裕を見て通勤する。車道に飛び込んでしまいそうだったその日はバスで通勤した。全てのものが自殺の機会に変換されていた。

朝一番に自死を図ったことや1人でいることの不安を伝えた私は、母に迎えに来てもらうことになった。その後、休職届とともに実家に帰った。

今は実家に帰ってきて3日目。

母と沢山話し合った。弟とイオンに自転車で買い物へ行った。父と畑作業をした。愛犬と触れ合った。大好きな卵焼きとポテトサラダを食した。

生きてて、あきらめなくて良かったと心底思えた。

自死を選択する人の中には、生きてしまったことを残念に思う人がいることも大いに理解できる。けど私は生きていて良かったと思えた。

今後、どのように生きていくのかわからない。きっとまた自死を図る機会があるのだと思う。


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