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ある時は、中華食堂の若女将として働く。

昨日も書いたが、私のオットは小樽で中華食堂を営んでいて、土日を中心に私も店を手伝っている。

彼と結婚するまで、私の家族や親せき、身近な人には飲食店を営む人はおらず、結婚して数年はとくに手伝うこともなかったので、しばらくは第3者的に家業を見ていた。

ただ、この1年くらい、彼と店を切り盛りしているお義母さんが、急に体調を崩すこともあったりして、私も徐々に店を手伝うようになる。
日々のラジオの仕事、ライターの仕事、そして中華食堂の仕事。私は何屋なんだろう?とも思った。

でも、これが楽しいんですよ。

よくよく考えたら、学生時代のバイトはほとんど接客業だったし、忙しい昼時、うまく客をさばくのは案外快感だったりする(わたし一人でさばく)。
客をさばきながら、麺を盛りつけ、運ぶ。レジに戻りお会計をして、すぐにテーブルの皿を下げる。
行列ができると店内を見渡し、あのテーブルはあと5分くらいで開くから、あのカップルを座らせて、こっちが開いたら次の家族連れを座らせて…と、手と足を動かしながらも私の脳内はつねにフル回転をしている。
けっこう私は、飲食店の仕事に向いているんだろう。

サラリーマンとして働いていると、自分がやりたくない業務も多々あるが、給料をもらっている身なんだし…と、本来の自分の仕事以外もこまごまとした業務をやってきた。
でも、自分の店(オットの店だけど)と思うと、こまごました仕事も含めて、すべてが楽しく感じる。だって、自分の店をもっと盛り上げるためなんだから!!そして、その努力は、すぐ目の前で接客するお客さんの笑顔で報われ、自分に戻ってくる。

ラジオのパーソナリティはリスナーが目の前にいないし、ライターとして書いたものも誰が読んでいるのかはわからない。
だからこそ、中華食堂で接客する目の前のお客さんとのやり取りは、私にとっては非常に大事だし、働いているということを実感できる瞬間でもある。

林 芙美子の代表作『放浪記』のなかで、カフェーで働くふみ子が、その日暮らしながらも生き生きと働く姿に大学時代から憧れていた。あの姿こそが「生きる」ということ、「働く」ということなんじゃないか、と。

今、私はそんな暮らしができている。

中華食堂に感謝!

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