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自由律俳句を何だと思っているのか ※約5分

最近、twitterで多くの出会いがあり、素晴らしい自由律俳句に触れる機会が増えました。
日に数百の自由律を拝見していると、ふと考えることがあります。

私自身はそもそも自由律俳句を何だと思っているのか。

日々、twitterで「#自由律俳句」というハッシュタグをつけて呟いています。
ありがたいことにフォロワー様も増えてきています。

でも「自由律俳句って何?」と聞かれたら、自分は果たして何と答えるのだろうか。そんなわけで、考えてみました。

前置きしておきますが、以下に挙げるのは、自由律俳句の定義というよりは、私が「何だと思っているのか」です。

1.見えるものを書き、見えないものを伝える
見えるもの…風景、発言、音、匂い、感触、味など。
見えないもの…感情、人の関係性、滑稽み、わびさびなど。

「音や匂いは見えないじゃないか」とはどうか言わないでください。
広い意味での「見える」なのですが、表現が引っかかる場合は、「起きている現象」と読み替えてください。

例:「クリスマスだというのに湿布買って帰る」

「どう思ったか」は書いていません。
クリスマスツリーが光る、サンタ姿の売り子が立っている、ジングルベルが聞こえる。そんな町並みで、湿布を買って帰る男の後ろ姿だけが描かれています。

でもここで伝えたいのは「湿布を買って帰ったことではなく」その時の心情です。
「どんな心情なのか」を語るのは無粋なので、控えます。

2.韻(リズム)を自分で作る
自由律俳句は、よく「5・7・5ではない俳句」と言われますが、これは「なんでもいい」というわけではないと思うのです。
決められた韻を使うのではなく、自分で韻を作る。
つまり、音読したときに、リズム良く読めて余韻が残るような句であるべきであろう、と。

「USB 2回ひっくり返して屈辱」
「USBメモリを2回もひっくり返して屈辱感」

音読してみてください。
下段の例を「自由律俳句ではない」とは言いませんが、上の方が韻をしっかり作っている感じがします。

3.長く感じさせない
俳句は17文字と決まっていますが、自由律は決まっていません。
そのせいか、とても長い句もときどき見かけます。
そして、それが自由律かどうかが論じられたりもします。

私は「長いこと」が問題だとは思いません。「長く感じさせてしまうこと」が問題なのではないでしょうか。

床がベタベタする以外は百点満点の定食屋のあたりでスピード落としてください

46文字です。
長いと感じますか? これは感覚なので個人差があるかもしれません。
私としては、以下3点を意識し「長い」と感じさせない構造にしているつもりです。

・どの文字も省略できない(無駄がない)こと
・流れるように意味がつながっていること
・省略されている事物があり文字数以上の世界が広がっていること
※省略されている事物:定食屋の料理の美味しさ・タクシーに乗っている事

私の思う自由律俳句の要素は以上です。
まとめてみます。

1.見えるものを書き、見えないものを伝える
2.韻(リズム)を自分で作る
3.長く感じさせない

シンプルにまとめようと思ったのですが、どうしてもしっかりと伝えようとすると長くなってしまうものですね。

最後に念を押しますが、私が「どう思っているか」であって、定義ではありません。
また、このペースでたくさんの自由律とふれ合っていたら、1ヶ月後には別の見方をしている可能性もあります。実はそれが楽しみであったりもします。
いろいろな見方を知りたいので、ご感想やご意見などあればぜひコメントをください。

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