丑三つ時の声
この記事を、深夜2時7分に書き始めた。
それはきっと、たまたまだ。
上京したとき、ぼくはまだ二十代前半だった。当時、勤めていたブラックな会社から転勤辞令が出たことがきっかけで、故郷の大阪を離れることになった。
東京での物件探しは友人につきあってもらった。ぼくは上ばかり見て歩いていた。田舎者まるだしで。
物件探しの前に友人は東京を案内してくれた。案内されたはじめての渋谷で、視界に飛び込んできたのは、謎の記号だった。
ぼくは、○|○|を見てオイオイと読み、109を見てヒャクキュウと読んだ。先に上京していた友人は「俺も最初はオイオイって言ってた」と共感してくれたので「オイオイっ、お前もか」と返した。
ぼくのはじめての一人暮らしは、築年数のわりにきれいなアパートで始まった。
二階建ての二階。1Kロフト付き。ベランダからは、目の前の畑を見下ろすことができた。アパートは最寄り駅から徒歩13分の閑静な住宅街にあったので、その周辺は人通りも騒がしさもほとんどなかった。
家賃は6万円くらい。予算は5万だったが、それまでに不動産屋に案内された物件がことごとくハズレだったので、思い切って決めたのだった。
東京3年目の夏の夜。ぼくは、その部屋で不思議な体験をした。
完全な夜型人間だったぼくは、深夜2時過ぎになっても普通に起きていた。その夜に自分が何をしていたのかは、はっきり覚えていないが、その体験だけは鮮明に覚えている。
「そういえば、今日はお盆か。で、今は深夜2時過ぎで・・・丑三つ時か。えっ、今って一年でいちばん“出る”時間じゃないか」
トイレで用を足しながら、そんなことを思ってしまって、ちょっぴり怖くなった。普段は怖くないけれど、意識すると妙に怖くなる。ぼくはトイレから出た後、気分を変えようと思って、テレビのリモコンに手を伸ばした。
その瞬間、きこえた。
小学生〜中学生くらいの女の子数人が笑っているような声が。
空耳ではない。ベランダの方からはっきりきこえた。そんなに怖い感じの声ではなかった。街の雑踏の中でよくきくような感じと言えばいいだろうか。
もちろん、ぼくは驚いた。こんな深夜に小学生の女の子数人が外を歩いているわけがない。目の前は畑だし、昼でさえそんなに人はいないし。しかも、お盆の丑三つ時。
しばらくしてベランダの窓から外を確かめると、人の気配はなかった。
以後、特に何も起こらなかった。そのアパートには、約6年住んだ。たまたま風の音か何かの音が、そういうふうにきこえただけなのだと自分に言い聞かせ、特に怖がったり気にしたりすることもなかった。
幽霊やオカルトはそんなに信じない方なのだけど、やっぱり、あの声があの日のあの時間帯にきこえたという事実は強烈だ。そして、あれはやっぱり人の声だったと思う。
考えても答えが出ない不思議な記憶。
あなたも一つや二つ持っていたりしないだろうか。
#エッセイ #一人暮らし #丑三つ時 #お盆 #はじめて借りたあの部屋
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