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1986年冬、路線バスは(とっくに)禁煙でした。 ─適切にもほどがある!─

(この記事の対象であるドラマ「不適切にもほどがある!」1話は現在TVerで無料で配信されています。恐らくシリーズ終了まで?)



TBSドラマ「不適切にもほどがある!」の第1話、「1986(昭和61)年冬、東京都葛飾区の中学教師がいつもの様に帰路の路線バス車内で喫煙し、座席備え付けの灰皿を使う」場面を”昭和にあった事実”として受け取っている記事や発言が大変多い様ですが、筆者は1960年生まれ東京育ちで、記憶とひどく違和感があったので、Twitterで投稿しつつ調べてみました。その過程で多くのご教示もいただきましたことを感謝致します。確認できた範囲で言えるのは

「全国の都市部・近郊の路線バスは1986年より数十年は前から禁煙だった」
と言う事です。

以下、要点をまとめておきます。


まず行政の上では、1956(昭和31年)の「旅客自動車運送事業等運輸規則」以降、路線バスは原則「禁煙」の表示をする事が義務付けられていました。当初あったが現行の条文には無い”ただし”以下の例外規定は、長距離バスや観光バスに当てはめられていたと思われます。


日本における禁煙・分煙・防煙の歩み(広島県医師会サイト資料)

"日本における第二次大戦後の禁煙の動きは、1956(昭和31)年「旅客自動車運送事業等運輸規則」の事業用自動車内の禁煙表示・禁煙表示のある車内での喫煙禁止・乗務員の喫煙の制限ではじまりました。"

喫煙の公衆衛生対策(1984年): 野上 浩志 大阪府立公衆衛生研究所

この1984年(「不適切にもほどがある!」の1986年より2年前)の論文の記述には、その時点の日本の喫煙規制状況について
”電車・バス等近郊交通機関は禁煙。 新幹線、特急車は一部禁煙。 病院待合室以外、公共の場所での制限はほとんどない(船、長距離バスも)。”
と書かれています。

鉄道もバスも、都市部・近郊区間か長距離かでずっと昔(ほぼ戦前)から車内禁煙/喫煙可の対応が分かれていたわけです。
混雑する近郊交通機関での禁煙は、論文の記述にある様に「防火・防災・事故対策」のためでした。


バス車掌の歴史を詳しく取り上げた本「バス車掌の時代」の表紙に使われている写真には、車内後部に「禁煙 NO SMOKING」の表示があるのがわかります。

本文で東武労組機関紙に発表された写真と説明されているものの、撮影年までは分からないのですが、勿論バスに車掌のいた時代であり、服装等から1950年代…つまり昭和20年代後半~30年代前半ごろでしょうか。またこの本の中では、1964年に「車内で喫煙した乗客に注意したバス車掌が、その客に頬を匕首の様なもので切られた」事件の報道があったことを、 ”信じられないことだが、乗客の(車掌への)暴行による障害も頻発していた”一例として記述しています(139頁)。


こちらのブログのページでは、昭和30年代の宗吾霊堂(千葉県成田市)行きでボンネット型、クロスシート(前向き座席)の路線バスに「禁煙」のプレートがあるのが見えます。


カラーに移行していく196~70年代の日本映画を調べてみると、多くの作品で日本各地の路線バス(ワンマン化が進行中)の車内に赤い字の「禁煙」のプレートがついているのが映っています。
また、1973年から76年にかけて少年マガジンに連載された劇画『愛と誠』でも、主人公がバス車内は禁煙であることを告げている場面があります。

詳細は調べた経過をこちらにまとめていますので、よろしければご参照ください。


(追記:3月1日)
1976年4月10日放送のTBS系放映ドラマ「Gメン’75」第47話 (amazonプライムの東映オンデマンド無料体験で視聴可能)に、バス車内は禁煙であることを注意するシーンがありました。車内後部に「禁煙」の表示があるのも見えます。


バスが登場する日本映画と言うと、清水宏監督が戦前の1935年に『有りがたうさん』、戦後3年目の1948年に『明日は日本晴れ』と、2度に渡り路線バスに乗り合わせた人々を描くロードムービーを撮っていますが、見比べてみると前者ではバス車内で喫煙しているのに対し、後者では明確に「車内は禁煙」になっているのは、そのバス路線個々の事情もあってでしょうが、興味深い描写の変化です。


実際のバス会社による映像資料として、昭和40年代京王バスの車掌教育社内映画「あなたは会社を代表します 自動車車掌作業基準」がyoutubeで見られます(この映画については前述の「バス車掌の時代」の中でも紹介されていました)。
12:39のあたりから、「禁煙の車内で煙草を喫っているお客様には、”車内は禁煙でございますのでお煙草はご遠慮願います”と、必ず注意しましょう。放置しては思わぬ事故の元となります」と。


こちらは神奈川中央交通で S62(1987)年5月15日制作と日付のある「安全運転とよりよい接遇」。家庭用ビデオで撮影した社内制作でしょうか…
本編が終わった後に運転手との雑談とか撮影素材までそのまま入っている感じですが、 その18:50頃に「車内での喫煙と、危険物の持ち込みは固くお断り致します」の録音アナウンスが聞こえます。
1987年5月なので「不適切にもほどがある!」の1986年のすぐ後ですね。


「不適切にもほどがある!」に登場するバスは”都バス”の名になっていますが、明らかに都営バスをモデルにした外見。主人公はそのバスには「灰皿あるし、どこにも禁煙て書いてないでしょ」と言う(1話)。
現在、板橋交通公園に都営バスの1975年式車両(1987年に除籍と記録があるそう)が保存されていますが、その撮影動画を見ると、車内前面左上に当時のものと思われる「禁煙」のプレートも残っています。(1:10頃)


こちらの動画では、昭和47年式~平成5年式の都営バス車内の写真が色々見られますが、座席の背に灰皿がついている様なものは全く見られません。
また、この動画の写真の中でも何枚か「禁煙」プレートが見えます。
一番わかりやすいのは0:55頃の"昭和54年式後期"の写真ですが、どうも車内後部の方についている場合もあるみたいですね。



ここまでで明らかな様に、1986(昭和61)年の東京下町の路線バスが喫煙可で灰皿もついていると言うのは、現実ではそれより何十年遡っても有り得ない描写で、考証の時期ズレと言うレベルではなく「なかった事をあった事にしている」レベルの”ウソ描写”と言っていいと思います。

一方この描写を「あの頃は子どもだったけど、バスで誰かタバコ喫ってたっけ?でもそう言えばあの頃バスに灰皿あったな」と言う感じで”現実にあったこと”と納得されている発言も多数見ます。
思うにそれは、旅行での長距離バスや、学校の遠足等で乗った観光バスの灰皿を見た記憶かも知れません。
観光バスと言う事であれば、昭和どころか平成全部、令和に2年入るまで全面禁煙ではありませんでした。これくらい扱いが全く違う存在。

そして更にややこしいのは、教えて頂いて知りましたが「路線と観光両用に作られたバス車両」(通称”ワンロマ車”)と言うのがあるんですね。貸切観光バスにもできるが、路線の方で増発等があった時は路線バスとしても運行されると。


ブログに説明があると教えて頂いた秋田のワンロマ車の事例だと、”1985年導入の車両までは灰皿があった(のちに撤去)”そうです。
あったとしても路線バスとして運行する時は禁煙のはずですが。

このブログの説明ではワンロマ車は学校の遠足で乗ることが多かったそうで、80年代ならそう言う所で灰皿を見た記憶が残る子どもは結構いそう。しかもワンロマ車は多くの場合「外見は路線バスの様だが、中に入ると補助席があったりして座席が多い」作りなので、「路線バスに灰皿があった」と言う記憶にもなりやすいかも。


「不適切にもほどがある!」の”灰皿付きで禁煙の表示もない”バスは劇中タイムマシンになるSFガジェットで、ドラマでは最終的にどういう扱いになるのかはまだわかりません。
しかし”昭和の「路線バス(2話の台詞)」「大型バス(3話の台詞)」を買い取り改造・活用した”車体だと説明されていて、なにより1話の主人公の反応からしても、劇中「主人公にも馴染みのある、1986年頃の東京に普通にあったバス」として描写されていると見ていいでしょうし、更に、ドラマ制作者の意図がどうあるかに関わらず、開始時の多くのメディア記事で、路線バスで喫煙+灰皿を”昭和あるあるな現実”だと鵜呑みにして紹介し、拡散している事はかなり気になります。

40年も経つと、長距離・観光バスに灰皿があって喫煙していたなら路線バスに置き換えても”時代のざっくり描写”としてそんなもの?
しかし六十代になった人間としては、狐につままれた気分。
何より、1986年よりずっと前から路線バスが禁煙だった数十年の出来事、歴史まで丸ごと「なかった」事のように扱われたと思った、からかも知れません。
調べてみると、そこには若い女性の多かったバス車掌の厳しい労働の中で「職務として車内喫煙を注意して顔を斬られた」様な受難もあったわけです。

このドラマは単に昭和を描く”時代劇”ではなく、令和の現在に至る「言語表現や文化・風俗の変遷を描く」ものだと、何度もテロップを出してエクスキューズしています。現在と昭和との変遷、比較がテーマであるなら、視聴者が周りの現実を見て確認できない過去の昭和の描写の方にウソがあっては、「比較」にならないのでは?

「不適切にもほどがある!」1話には、1986年と現在の比較としてもう一つ致命的と思われる”ウソ描写”=「バイトの時給上がってない」があって、Togetterまとめには資料を載せていますが、こちらのnoteでも後で別項を立てて整理・記録しておく予定です。

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