難病とは「価値観」だ
1. 思い込みがあると軌道修正は難しい
私は患者さんへ生活行動や思考のクセを整えるようさりげなく、深追いせず促すタイプの医者ですが、
そういう診療を行なっていて、つくづく感じているのは「患者さんの価値観が凝り固まっている場合の治療は難しい」ということです。
相手の価値観がどうであろうと、「この薬を飲めばとにかく病気は治ります」という単純な世界では決してないですからね。
例えば、患者さんが薬を減らしたいという要望があった場合、
本来であれば、薬を減らすために何らかの生活習慣改善、思考習慣改善へ主体的に取り組み、
その結果、何らかの健康効果があった場合に薬を少しずつ減らすというアプローチが望ましいわけですが、
その患者さんに「薬は先生(医者)にお任せして減らしてもらうしかない」という価値観を強固に持っている人は、
「とにかく医者にお願いする」という受け身的な行動しかとることができないわけです。
その患者さんが「薬を飲んでいるからこそ安定している」という価値観が強固な医師と出会えば、当然願いは成就しませんし、
仮に減薬に理解のある医師に出会うことができたとしても、
減薬のための主体的な行動は何も起こしていないので、減薬できるのは明らかな副作用で自覚症状が出ている過剰医療の部分だけであって、
自覚できていない薬の副作用部分を減薬することはできません。それゆえ減薬治療はよかったり、悪かったりを繰り返すことになるでしょう。
この状況において治療を一番難しくしているのは、難しい薬や病気の問題というよりも、
「医者に任せるしかない」「薬は飲んでいた方がいい」という強固な価値観ではないかと私は思うのです。
2. 思い込みがあると問題に気づかない
もう一つ、こんな話もありました。
ある施設にいる高齢の女性がもう何年も昼食の後の胃の痛みに悩まされていたんだそうです。
これまでに様々な胃薬を試してきたけど、どれもこれも効かないのだそうです。
そこで昼の食事を確認すれば、施設で出されるごはんは全部食べ、脂っこいおかずは全て残しているというのだと。
そうすると、もしかしたら朝のごはんが多すぎて消化しきれなくなっているのかもしれないと、周りの人が「朝のごはんを少し減らしてみてはどうですか?」と尋ねると、
「そんなに多くは食べていない。これで減らしたら何も食べないということになる」というのだそうです。
いや、減らすからといって何も食べないことにはならないはずです。
昼の食事の後の問題が繰り返されているわけだから、昼の食事と自身の身体の相性に問題があることは明らかなのですが、
この女性は断固として自分の食事を変えようとはしません。
要するにこの女性の中に「自分は普通の食事を問題なく摂っている」という価値観が強固にあるからではないかと思うんですよね。
こうなってくると、何をどう言ったところで食生活の見直しをはかることは困難で、効かない薬をあれこれといじっていくより他にありません。
…本当に、薬を飲めば食事がどうであろうと問題が解決するんであれば、さぞ楽だろうなと思いますよ。
でも現実は食事を変えないと薬の恩恵はなかなか受けられないんですよね。
それくらい食事の要素は自分自身を形づくる大きな要素なんだと思いますし、
その裏で患者の命運を握っているのは心の問題、すなわち「価値観の問題」だと私は感じるわけです。
3. 思い込みがから抜け出すことが出来なければ…
「心の快適領域(コンフォートゾーン)」と呼ばれる場所があります。
その思考に触れていれば気持ち的に楽だという意味で、今までと同じ価値観、今までと同じ文化で過ごそうという心の在り方です。
その場所にいることが自分によい影響をもたらしているのであれば、何も問題はないのかもしれませんが、
その場所にいること自体が病気の原因となっているのだとすれば、その場所から離れることが唯一の治療法です。
しかし今までの価値観から離れるのが怖い、今までも正しかったのだから、これから先もきっと正しいに違いない、
そんな理由で「心の快適領域」から離れることを拒み続けてしまう…。
それが難病の構造なのではないかと私は思うわけです。
もしも今あなたが解決することが難しい何かしらの問題と対峙しているのだとすれば、
その問題についての大前提を疑ってみることから始めてみるとよいかもしれません。
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