健康に生きることと好きなように生きることはどちらが大事か
1.好きなことをやって健康に生きる人
私は医師という職業柄、様々な健康法を追い求めては実践し、その妥当性を確かめていくという習慣があるのですが、
そのようなプロセスを通じて思うのは、究極の健康法は「自分自身が変わること」より他にはないなと感じています。
あらゆる良いと思われる健康法も、結局はその方法を通じて自分自身が自分自身の身体に興味を持つようになったり、自分が何をどうすれば健康でいられるのかを追い求めるようになっているのです。
ただの一つとして自分は何もせずに、誰かに何かをしてもらうだけで健康になるということはなかったはずです。
だからこそ私は医師として「主体的医療の普及」を理念におき、とりあえず薬で症状を抑え続ける行為を延々と繰り返したり、
根本的な問題に何もアプローチせずに目の前にある塊をただ取り除くというような手術療法などを中心とする西洋医学のやり方を問題視し、
患者自身が変わるためのサポート法を日々模索し続けています。
一方で自分の意志が大事というのであれば、「健康のことはほどほどでいいから、好きなように生きたい」という考え方もあると思います。
「自分は病気になってもいいから好きなように酒飲んで太く短く生きたい」
医師としてそんな台詞を患者さんから耳にする機会もあります。
やりたいことをやりたいようにして、健康長寿を成し遂げている方もいらっしゃいます。
西洋医学にこだわらない補完代替医療の世界で有名な帯津良一先生は「不養生訓 ときめきのススメ」という本を書かれています。
この本は、江戸時代の学者、貝原益軒が書いた「養生訓」の内容を踏まえた上で、自身の経験をもとに「自分の好きなことをして生きる」ことの重要性が説かれています。
普通の医者であればまず認めないであろう、大酒やタバコを認めたり、メタボであってもよいとおっしゃったり、はたまた女遊びまで、
なかなか型破りな内容ですが、理路整然とその理由について説明されています。
しかも帯津先生は、そのように好きな生き方を追い求めた結果、周りからの見え方はともかく健康で過ごすことができているというのです。
帯津先生は御年84歳、日本人の男性の平均寿命は優に超えられているのでその言葉にも自ずと説得力を帯びてきます。
さて、そうすると「健康を追い求める生き方」と「好きなように生きる生き方」。
はたしてどちらが本当によい生き方ということになるのでしょうか。
2.好きなことをやっているのに明らかに不健康な人
結論から言うと、私は「健康を追い求める生き方」がよい生き方だと思います。
なぜならば、「健康でないと好きなことが楽しめないから」です。
私が医師として現場で様々な患者さん達を診ていると、毎日浴びるように酒を飲んでいる人の末路は相当に悲惨なものです。
肝臓はボロボロであるのはもちろん、がんで何度も手術を受けていたり、やせていて栄養は自力で保つことはできない、はたまた脳の働きが衰えて正常な判断能力を失っているようにさえ思えます。
それでも「本人は酒が好きだから、死んでも本望だった」と言われたところで、私にはどうも心の底からは納得ができません。
きっと相当だるかったと思うし、しんどかったと思うし、人生の喜びを酒にしか見出せなくなるほどに視野狭窄に陥ってしまっていたと思いますし、
痛いし、酒を飲んでいない時間のすべてが苦しかったであろうし、とてもではないですが「いい人生でしたね」と心の中で呼びかけてあげることは私にはできません。
同じ好きなことをして生きているはずなのに、帯津先生とこの患者さんの違いはどこにあるのでしょうか。
それは、冒頭の話にもつながってきますが、「自分の身体に目を向けているかどうか」だと私は思うのです。
アルコールを飲むのはいいでしょう。それが好きな人はそれ自体をやめた方がよいというような野暮なことは私も言いません。
ただ本当に好きなのであれば、身体を害するまで飲むような真似は止めるべきです。
好きなお酒を楽しめるのは、健康な身体があってこその話です。その身体を害してまで身をお酒に委ね続けるのは身体への冒涜とも言える行為です。
本当にお酒が好きなのであればお酒で身体を害した時点で、自らの行動を省みて次は同じ間違いを繰り替えさないように気をつける、というフィードバックを行って行動を変化させるべきであるはずです。
お酒で悲惨な末路をたどるのは、身体からのメッセージを無視し続けたことによって起こった当然の帰結だと言えると思います。
逆に言えば、自分の体調を重視して、体調が保たれているというのであれば、好きなことをやって大丈夫だという話です。
だから「健康第一」で、その上で「好きなことをする」というのが良い生き方だと思うわけです。
3.健康を犠牲にしてよい場面はあるけれど・・・
もちろん、健康を犠牲にしなければならない場面というのも人生にはあると思います。
例えば仕事で大きなプロジェクトに関わっていて目標に向けて不眠不休の日々、
しかし今ここでその健康を害する日々を耐え抜けば、仕事で大きな成果をあげられて、その後好きなことをやっていくのに有利な状況に持って行くことができると、
そんな場面においては健康を害したとしてもやり抜くことも選択肢の一つとして入れてよいと思います。
ただその場合であっても、一定の時期やむなく無理をさせた分はそれを補うように身体に休息を与えることです。
決して未来永劫、健康を害し続けることを是とするわけではありません。必ず元のホームポジションに戻ることを基本とすべきだと思います。
実は人体の働きそのものがそのようなスタンスを取っています。
「ホメオスターシス」という言葉を聞いたことがあるのではないでしょうか。
体温、血圧、脈拍、血糖値など・・・外部の環境がどうであっても一定の状態に保とうとする身体の一連の化学反応のことを指してそう呼びます。
体温36〜37℃の状態にあるのが、言わば健康を大事にしている日常の状態です。
体温38℃で頭痛、吐き気、喉の痛み、咳、鼻水などの症状が出ているのは、大きなプロジェクトで不眠不休で頑張っている非日常の状態です。
非日常があること自体はよいのです。問題は非日常のパフォーマンスにかまけてそれを日常化させてしまっている自分の心の方だと私は思うのです。
好きなことをやるためには健康である必要があります。
少なくとも健康である方が好きなことをやるために有利です。
好きなことをやって生きていきたい方はそのことを忘れないでいてもらいたいと思います。
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