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オンラインコミュニケーションは社会を守る

1. 当たり前のようにつながれなくなったこんな世の中では

ソーシャルディスタンスとやらが、社会のスタンダードとして受け入れられるようになってしまったおかげで、

何をするにも距離感があって、直接の触れ合いを行うのが難しい時代となってしまいました。

いくら自分が気にしなかったとしても、相手が気にしていれば距離を詰めることで和を乱すことになってしまいますし、

気心の知れている間柄であればまだしも、そこまで親しくない相手との交流だと事前に距離を詰めてよいかどうか尋ねたとしても、

関係性にもよりますが、その場で本音を聞き出すことが困難な場面も多いでしょう。

しかし人間は元より、動物にとって同種の触れ合いを保つことは集団としての生命線であるようにも思えます。

このまま触れ合いを制限された社会が続けば、集団としての性質が歪み、

孤独を感じる人達も増えて、社会の病理として自殺者が増えたり、犯罪が増えたりなどという現実が現れるのは必然だと思います。

とは言え、そのことがわかっていても、社会としてこのつながりの制限を受ける文化を受け入れてしまった以上、

どれだけ声を上げたところで、これを逆戻りさせることは極めて困難だと思われます。

それならば「この制限社会の中でいかにつながりを作っていくか」という形で「適応」の方向性を探っていくのが現実的だと私は思います。


2. オンラインコミュニケーションは未熟なまま発展してきた

そんな中で、制限に対する反動であるかのように注目されているのがオンラインによるコミュニケーションだと思います。

それまでもオンラインによるコミュニケーションは十分に可能だったと思いますが、それが一層重要度を増した社会となったと言えるでしょう。

しかしソーシャルディスタンスが叫ばれる以前の時代のオンラインコミュニケーションは、

あくまでも「そういうやり方もある」という程度のオプション的な存在でした。

しかしリアルでの対面コミュニケーションが制限されるようになった今、オンラインでのコミュニケーションはオプションとしてではなく、むしろ「メイン」として位置づけられても不思議ではない存在となりました。

ところが元々はオプション的な存在として発達してきたオンラインコミュニケーションですから、色々とコミュニケーション法として未熟なところがあります。

例えば匿名性が保たれたままコミュニケーションが出来てしまうこととか、

リアルのコミュニケーションでは絶対言わないであろうことも、匿名だと言えてしまう質の違うコミュニケーションとなってしまっています。

勿論、本音が聞き出せるという意味で、匿名性の保たれたコミュニケーション自体の意義を否定するわけではありませんが、

ここでは、「リアルの対面コミュニケーション制限による不足を埋め合わせる存在」としてオンラインコミュニケーションのそうした側面を眺めた時に、

これは社会の病理を解消するには至らないし、場合によっては思いやりの欠如した言葉を直接的に浴びせられることによって社会が悪化してしまう可能性さえ秘めていると思います。


3. 社会の歪みを是正するために必要なこと

だから私はこれからのオンラインコミュニケーションは「まるでリアルでのコミュニケーションのような使い方を発展させていくべき」と考えます。

一言でいえば、そこに誰かがいるかのようにオンラインコミュニケーションを使うのです。

例えばビデオをオフにしたり、音声をミュートにして参加するような使い方は便利ですが、

そのような使い方を人間関係を構築しようとする場合にはやってはいけない、ということです。

リアルと同じようにオンラインコミュニケーションを使うということは、

服装も正すし、相手にメッセージを伝えようと必死に語りかけたり、相手の言葉をうなずいて聞いたり、

むしろ対面よりも情報量が少なくなる分、ジェスチャーを大きくしたり、はきはきとした口調でしゃべったり、

コミュニケーションする側の努力も要求されてくるはずです。

お互いがその意識でオンラインコミュニケーションを利用すれば、

それは社会の秩序を守る手段として大いに役立ってくれるのではないでしょうか。

勿論、本音はもとの気にせずつながれる社会に戻ることを心より願ってはおりますが、

現状私達が社会を守るためにできることとしては、この「オンラインコミュニケーションの質を高める」ということにあるのではないかと私は考えます。

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