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iPod最高!これぞサービス&ビジネスデザインの極み。【Web30年史】2001-02

デジタルデザインの未来をWeb30年史から考える。今回は2001-2002年周辺の出来事に触れていきます。

この頃はすでに企業やプロモーションにおいてWebサイトは当たり前になり、Webデザインを受託するプロダクションも活発になりました。ビジネスとしてのWebデザインは、印刷物の制作会社からの展開や、学生起業、フリーランスからの発展など、いろいろな形で産声をあげていきました。そして、モバイルの進化も始まりWebの世界に影響を与え始めます。

ちょうど僕はミュージシャンをやりながらWebをフリーランスで受託して、日韓ワールドカップのWebサイト制作に関わっていた時期でした。

その頃FOURDIGITは…
2001年、FOURDIGITが横浜で創業。すぐに青山一丁目のオフィスに移転。その少し先に僕もバイトでジョインすることになります。


マトリックスとNokia

2000年前後は、携帯も進化した時代でした。2G・セカンドジェネレーションになり通信速度が早くなり、一段進化を遂げました。99年に公開されたマトリックスで使われたNokiaの携帯!あのカシャっとなる黒いやつ!めちゃめちゃスタイリッシュでしたね。マトリックスは映像的にも世界観的にもものすごくインパクトがありました。そこに出てくる携帯の登場がとても印象的。

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現実世界でも携帯はもはや機械の端末というよりも、財布のように常に持ち歩く、側にある存在になりつつありました。女子高生のストラップやばくない?という時代。ベッキーを思い出すので興味ある人は、「ベッキー、携帯、ストラップ」で検索!


当時、世界のモバイルNo.1だったNokiaは、高級携帯電話のラインナップを作ったり、モバイルOSを作ったりと存在感があったし、北欧の会社ならではのスタイリッシュなデザインを持ち合わせていました。

その後、日本でもデザインケータイが盛り上がり、深澤直人さんがデザインしたINFOBARなども作られました。

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au ケータイ図鑑 より

Nokiaはこのあと色々あってモバイル部門をMicrosoftに売り、のちのWindows Phoneになる。Windows Phone。ビジネスとしてはいまいち?だったが、ここには別のデザイン性が宿っていて別のインパクトがあったが、これはもう少し先の話……。


さて、日本はこのあたりから、かのガラパゴス時代に突入する。ガラパゴスの名の通り、独自の進化を遂げていきます……。docomo、KDDI、SoftBank。携帯もPHSも結構みんな使ってた。僕もJ-PHONE(現SoftBank)のPHS使ってました。藤原紀香のイメージ。使い方は、通話とメール&写メールでほぼ100%といった感じ。


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そんな中、世界に先駆けて、docomoがモバイルブラウジング+アプリマーケットのi-modeを始めるわけです。なんとモバイルアプリが登場するという。あんまり言われないけどすごいことだったわけですね。


モバイル・インターネットのはじまり。携帯でWebが見れるぞ、使えるぞ、と。i-modeで壁紙・着メロ・さらにモバイルバンキングなどもスタート。モバイルバンキング、早いですね。


ブロードバンド元年

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SoftBank資料より

モバイルだけでなく、2000年ADSL、2001年Bフレッツもスタート。プロバイダー・ケーブルネットワークも盛況。通信速度はどんどんスピードアップ。

YahooBBの普及。駅前でYahooBBの赤い袋にもう機械を入れて配ってたね。電話回線につなぐと「ブロードバンドですよ〜」ってすごいですね。通信機械をチラシみたいに配るっていうテンション。スマホ配ってるみたいなもんですよ。

2001年はブロードバンド元年と言われ、家庭に普及したインターネットがさらに高速になり、リッチになっていった。


Webデザインのレース本格開幕

このころすでに、ほぼ全ての企業でWebサイトが作られ、企業情報を得る場所としての地位を得ていました。インターネットユーザーの増加に伴い商品を広める場所、新しい情報を得る場所として支持を得ていきます。人が集まれば広告が出る。かけられる予算も増える。

ブラウザやPCの発展に伴い、技術的にやれることも増えました。見栄えがよくて、見やすくて、使えるもの。そこで必要とされていくのが、プロフェッショナルサービスとしてのWebデザインです。


HTML・CSS・javascriptはもちろん、フォームなどのバックエンド、情報設計、ビジュアルデザインなどなど。容量や通信速度も踏まえてデザインをする必要があり、ブラウザもまだ乱立していたので、どんな環境で見ても崩れないように作る必要がありました。それぞれの専門性が必要とされ、規模も予算も増えたため経済活動として成立していく。そうなると、発展は加速していきます。


Webデザイナーは、いわゆる新しいデザイナーのジャンルかのように扱われて、ある種の憧れを持って見られ始めた時代でもありました。「Web Creator(インプレス)」 「Web Designing(マイナビ出版)」などの情報メディアも確立され、発信側と学ぶ側のエコシステムができていく。

市場の需要と供給が両面から補強されていく流れができた。僕も含めてこのころ始めたWebデザイナーは、こういった雑誌に載ったりするのに憧れたりしたわけです。

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日本では、IMJ、ミツエーリンクス、キノトロープなどが先行組。BA、ネットイヤー、博報堂 i-studio、SONICJAM、FOURDIGIT などは2000年前後。他にもたくさんの会社が次々と創業します。

デジタルハリウッドから早期に独立したIMJはJASDAQに2001年上場を果たし、Webデザイン銘柄として社会的に成立していきました(現在はアクセンチュアグループ)。

仕事の内容もコーポレートサイト、商品サイト、キャンペーンだけではなく、3キャリアのモバイルサイトなどユーザーとの接点が増えていきます。Webの特性である「インタラクティブ」であることを活かして、今までの広告メディアになかった表現をどんどん生み出していく。まさに華々しい時代が始まろうとしていました。


長く君臨するOS&IE6……!

話は変わって少しOSの話をさせてください。僕は漢字Talk時代からApple派なので、Windowsについてはどっちかというと苦労させられた印象の方が強いです。特にIEは………………(以下略)。しかしこれだけ根強いOSはあまりなかったので、少し触れておきたいと思います。Windows XPとIE6です。

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2001年はWindows XPが登場した年で、その後、サービスパック3まで更新され続け、2014年の終了まで13年間も存在を続けた。途中vistaってのがコケて、前のバージョンが君臨するという珍しいOSでもありました。

このOSのすごいところは、”完全に業務にフィットさせた”こと。業務用にカスタマイズされ、XP用のアプリケーションはかなりの数になりました。世界中の企業に広く愛され、業務に組み込まれ、人類というか経済活動におけるパソコン依存度が高まっていきました。

そして、同時にInternet Explorer 6が登場。でた!IE6。広く普及し、さらに業務に組み込まれたOSと共に長く君臨したブラウザ。2001年当時はIEのシェアがすごかった。90%ぐらいになります。Chromeはまだありません。

Webの体験はブラウザにずいぶんと影響を受けます。

初期のインターネットは、シンプルなテキストと画像のレイアウトでしたが、今やHTML、CSS、javascriptとそれぞれ進化した結果、かなり複雑なものを処理したり表示できるようになりました。ただ、どのブラウザでも同じものを表示するための、クロスブラウザという作業が必要だった。

Webの体験をリッチにしたいという思いと、どのブラウザでも同じようにしたいという思い、両者のニーズをついたプラグインがFlash Playerだったわけです。その盛り上がりはじわじわと進み、2004年から本格的に始まります。

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Appleの華麗なるデザイン

iPod……ああiPod。個人的にはサービス&ビジネスデザインの極みというか。僕にとっては、これこそがデザインか……と思わせる衝撃がありました。音楽をやっていたというのもあるかもしれないけど、今考えて控えめに言っても最高of最高。

どこを切り取っても素晴らしかったと思います。ハードウェア、ソフトウェア、プラットフォーム、プロモーション、マネタイズ。

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まずハードウェア。円のジョグダイヤル、白の体とイヤホンコード。80年代のハルトムット・エスリンガー(frog design)が提唱したスノーホワイト コンセプトの継承。Appleのデザイナー、ジョナサン・アイブは、機能主義派のプロダクトデザイナー ディーター・ラムスに影響を受けたと言われています。それが垣間見えるシンプルで機能的であり美しい黄金比のデザイン。

そして、胸ポケットに余裕で入るぐらいの小ささ。今考えると初代のiPodはデカいけど、当時はCDプレイヤー使ってましたからね。小さい!

そして、ソフトウェア。iTunesです。こいつがまたすごい。

ここにAppleのいう一連のUXデザインの凄みがあります。iPodはiTunesがあるからこそ単なるMP3プレイヤーじゃないんです。iPod以前にもいくつかのメーカーが出しているポータブルMP3プレイヤーがあって、僕もRioってやつ持ってました。

iPod以前は、CDからデータを吸い取ってメモリカードに曲を入れる作業が必要だったんですね。割と面倒な作業なんです。これを、一瞬にしたのが、このiTunes。パソコンにCD入れてドラッグするとiPodに曲が入る。なんて簡単!


さらに、プロモーションもセンセーショナルでした。


当時って、

MDやらCDウォークマンやらを持ち歩いてCDに曲が入っていて再生する。「ニルヴァーナのCD持ってる?」「貸して〜」みたいな。CDケースをパラパラして「レニクラのCDどこだっけ?」とか、「このCD傷ついてんじゃん」っていう。

別にそれが当たり前だった。それが当たり前だった中ですよ。


ジーパンで黒いタートルネックのおじさん(スティーブ・ジョブズ)がiPod取り出して「ほら、俺はポケットに1000曲持ってるよ」って。ええええぇぇぇ?!!「ポケットに1000曲」っていうパワーワード。今までポケットに1曲も入ったことないのに!



そしてCMも良かったですよね。カラーバックに白いiPodを持ったシルエットの人が踊りまくるやつ、覚えてる人も多いと思います。あれ、印象的でしたね。

iPodは音があんまり飛ばないのです。CDとかMDみたいな回転系と違うから、思いっきり踊って大丈夫。カラーとシルエットだと白が目立つ。それiPodっていうんだよ、いいでしょ。


さらに、忘れちゃいけないのが、ビジネスとして定着させる力。iTunesは音楽配信の基盤となりました。


思い出して欲しいです。前回の記事で触れた、あのNapterの悲劇。


音楽をデータ化すると権利問題がつきまといます。だからこそAppleは、iTunesから正しいデータをダウンロードすれば、正式なデータを持つものとして私たちが保証しようじゃないか。Appleは違法ダウンロードとは徹底的に戦いますよ、と明言したわけです。


ジョブズは音楽レーベルと自ら交渉して5大レーベルを説得し、iTunesにデータを乗せさせることに成功します。iPodの普及が、違法コピーの温床にならないように、独自のプロテクト方法も作りました。ソフトウェアでコントロールしたんです。Windows用のiTunesソフトウェアもつくり、プラットフォームをまたぎ、枠を超えた。この意思決定はすごいことです。


そして、ユーザーはそんなこと気にしないで音楽を思いっきり楽しむ、ミュージシャンは音楽を作り正当な対価を得る。活動すべき市場をつくり、市場とそこにいる人たちの、体験そのものを違和感なく作り出した。

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こうして2003年になると、iTune Music Storeが開始し直接楽曲のダウンロード販売ができるようになります。

当初は6ヶ月で100万曲の販売を想定していたが、最初の1週間で100万曲売れたのでした。当時のスティーブ・ジョブズはNapeterにも触れ、インターネットと音楽配信、コンテンツとテクノロジーの垣根を超える発言をしたらしい。


iPodでやられたことは、テクノロジーを見つけ、プロダクトだけなく人の活動にフォーカスし、欲しいものをつくり魅力を伝え、包括的に実現するためにステークホルダーに協力を求め、豊かなビジネスをつくること。そのビジネスを切り開くためにあらゆる道をつくること。

iPodの一連のサービスは、コンテンツプラットフォームなので、Appleだけでは成り立たない。楽曲の権利を持っている音楽レーベルやアーティストもいなければ成り立たない。ピクサー時代にエンタメ業界の土地勘があったにせよ、並大抵のエネルギーではなかっただろう。


こうして、2002年からiPodが発売され、この後の数年は、ケータイとiPodの2台持ちの人がたくさん増えました。あとから考えると分かりますね。そりゃ2台持つなら欲しくなっちゃうよね、iPhoneが……。でもそれは2007年までおあずけです。


次回予告

SNSがはじまり、コンテンツが民主化されメディアミックスなどがはじまります。ライブドア事件も騒がれていく中、Flashサイトは発展し、今までに見たことのない表現がどんどん生まれていきます。

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