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AmazonもGoogleも、時代の10歩先を行っていた。【Web30年史】1995-97

デジタルデザインの未来をWeb30年史から考える。今回は95-97年の出来事を中心に振り返ります。Windows95の発売を皮切りにパソコンが普及し、インターネットが多くの人に利用され、通信やハード・ソフトの進化がWebの世界とデザインを加速させます。チャンスを見据えて準備してきたプレイヤーたちがしのぎを削り始め、現在のGAFAMを形作っていきます。

その頃、僕は大学に進学。SFCに進学した同級生たちはパソコンを強制的に買わされていた記憶があります。僕は家にAppleのMacintosh LC2がありましたが、むしろワープロを使っていたし、基本的にバンド活動とセガサターンをやっていた頃です。

Windows 95の発売とテレホーダイ

企業のWebサイトが普及しプロバイダなどが商用化され、市場が大きく成長しつつある状況の中、1995年の8月「Windows 95」が発売されます。と同時に、僕を含むWebに関わる人たちを長年苦しめることになる…… Internet Explorer が登場します。

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Version Museumより

90年代後半は、パソコンの販売台数が一気に増加していきます。日本で「テレホーダイ」が開始され、一般家庭にもインターネットが普及していくきっかけとなりました。

最近の方にはピンとこないかもしれませんが、昔のインターネットは電話回線を使う仕組みでした。電話料金と同じで、長電話のようにつないでいる時間分まるっと課金されます。つなぎっぱなしにすることは稀で、メールを取得するとき、調べ物をするとき、ファイルを送るとき、という感じで「必要なときにつなぐ」スタイルでした。あまりにつなぎすぎると高額な請求がくるし、つないでいる間は固定電話が使えないという仕様。僕も大学時代にやりましたが、つい長いことネットしてしまって高額な請求が来る。母親に「何この電話代4万円って(怒!!)」みたいな。

そんな背景もあって、「テレホーダイ」はセンセーショナルでした。テレホーダイ=つなぎ放題。

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なのだけど……テレホーダイには、ある特徴がありまして……。夜の23時から朝の8時までという決まりだったんです。深夜の時間は使いホーダイ。つまり、深夜帯で無制限につなげることができる人たちの間でインターネットが普及していったわけです。

要するに、学生だったり夜中起きててもOKな人がインターネットにズブズブと引き込まれていきました。そりゃそうですよ、昼間働いている人が23時から8時までって寝てますよね。昼夜逆転できる学生たちがインターネットに夢中になっていく。ネットのゲリラ的なカルチャーは、この深夜のアングラ感にあったように思います。

何はともあれ、インターネットは華やかになっていきました。利用者が増えればコンテンツも増えるし、ビジネスにも応用する人も増える。利用者とネット閲覧がどんどん増えて広告も増えるし、Yahooのような検索や情報サービスも増えていきました。可能性は無限大。

Amazonの誕生とドットコムバブル

Amazonは創業が早い。Windows 95の発売と同時期にAmazonが始まりました。やっぱりこのレベルの人は波を掴むのが早いですよね。しかも当時のジェフ・ベゾスは、金融マンからの起業ですよ。

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2010年のジェフ・ベゾス Wikipedeiaより

いきなり戦略的に「まずは本から売ろう」という選択はかなりすごい。ただでさえ「これから!」という実験的な市場で、まだECもあまりないのにいきなり集中戦略を取るあたり、10歩ぐらい先にいってる。Amazonは3年でIPO。利益を残さず再投資する会社として、あらゆる分野に投資してガンガン事業を広げて行きました。ECでは本だけでなく全てのものを扱い、AWS、Amazon Music、Prime Videoなどあらゆるマーケットに展開。今やAmazonなくしてリモート生活も難しい。

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通信関連銘柄が多いNASDAQ総合指数の変遷 Wikipediaより

Amazonも誕生した1990年代前期から2000年代初期のこの時期は、「ドットコムバブル」と言われ、多くの企業たちが生まれます。90年代後半は「インターネットはビジネスになる」ということで、お金が異常なまでに集まりました。後のドットコムバブルの崩壊でたいていの会社は厳しくなりますが、Amazonや当時始まったばかりのGoogleなどは生き残ります。このバブル崩壊を生き残る感じは、とても学びになるのではと思います。他のプレイヤーと比べて「絶対に必要とされる何か」があったのではないか……。


Appleにあの男が帰ってくる

Windows 95が大ヒットして、MicrosoftがOS・ソフトウェアという市場で完全に幅をきかせていきます。その上でインターネットを人々が活用している状況でした。当時のMicrosoftは圧倒的な存在だったように思えます。そして今のMicrosoftの競争相手。AppleとGoogleが97年に動き始めます。

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スティーブ・ジョブズ(2007年) Wikipediaより

スティーブ・ジョブズはAppleを立ち上げ、「砂糖水売ってんじゃねーよ」と元ペプシのスカリー社長を自ら連れてきたものの、逆に自分が会社を追われてしまう!壮絶な話があります。ジョブズはAppleを追われた後、ルーカスフィルムを買収したんですよね。これが後のピクサーです。そこにジョン・ラセターがいたから、こいつにやらせようって、それで出来たのが『トイストーリー』です。ピクサーってAppleのスティーブ・ジョブズが作った会社なんですよ、知ってました?


ここはWebの歴史という主旨からするとサイドストーリーですが、とても面白い話です。ジョブズのピクサーは今は当たり前のフルCGアニメーション映画を作るんです。当時はそんなのあり得なかった。でも、やった。

会社のカルチャーを変えたり、偉大なチームを作るとき、環境やルールを変えてしまう。会社が大きく方向転換をするのは、かなりエネルギーと信念がないとできません。ましてや、今までにないフルCGアニメーション映画をつくるぞ、ともなると相当なエネルギー。


その後、NeXTSTEPというOSをつくるチームを経て、ジョブズがAppleに復活。当時経営が傾いていたApple社は、再び、ジョブズというカリスマを引き戻し魂を注入しました。そしてそこから、そうです、あのボンダイブルー iMacの登場。そして、ジョナサン・アイブの活躍、iPhoneに続く……。いやー痺れますね。デジタルデザインの歴史の中で、スティーブ・ジョブズ第二期のAppleは本当にすごいことをやってくれます。


もうひとつの巨人、Googleを作った学生たち

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時を同じくして、もう一つの巨人 Google が誕生します。人の手による検索システムではどうにもならないぐらいWebサイト・ページが増えてしまったことを解決するために、ロボット検索システムを生み出しました。それまでの人力をベースとしたカテゴリ検索ではない新しい仕組みです。


検索行動の特徴をGoogleはうまーく掴んでいました。自分から調べるってことは、すでに欲しがっているってことじゃない?ここに出す広告を売ればいいんじゃない?というビジネスモデル。さらに驚異的なのは、入札式であるということ。

例えば「ハワイ旅行」って調べるユーザーは、そりゃ、ハワイ旅行を検討してますよね?はい、ここに広告出したい会社いますよね?じゃ、値段高く出す人をたくさん上部に出しますね〜、オンラインで入稿してくださいね、よろしく!ってわけです。


このモデルを生み出したGoogleは急成長し、ドットコムバブルを生き残り、この莫大な利益を元に、現在、検索、Andriod OS、ブラウザ、世界のほとんどのデータを牛耳り始めているわけです。恐ろしい。すごい。

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4D西垣とAndroidのキャラクター

最近、デザインイノベーションやデジタルトランスフォーメーションという言葉がありますが、本当にイノベーティブだったりトランスフォームしている事例はまだあまりないように感じます。Googleのように一つのソリューションから他の誰も持っていないビジネスモデルを生み出し業界構造を変えてしまったこと、これこそGoogleがイノベーティブであると言われた所以です。

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Version Museumより

せっかくなので97年のGoogle の初期画面を見てみましょう。「Search Stanford」スタンフォード大学内での検索機能。もろに学生スタートアップ感がありますね。

デザイン性という感じもなく、デフォルトのUIと、Google のワードアート?、パワポで作った感が満載です。冒頭から「This is a demo」とあるので、本当に機能プロトタイプなんだろうと想像できます。画像も軽量重視といった感じでしょうか。


Google のインターフェイスのいいところは昔も今も変わっていません。できる限り素早く使えること。早く結果を表示し、リンク先に飛ばしてあげること。今はブラウザURLのとこに入れたら検索になるし、自然といろいろなところで検索機能を静かに提供しています。昔よりもGoogleのホーム画面を見なくなりましたよね。

初期画面のロゴがショボいとかそういうのは置いておいて、機能としてのデザインは秀逸です。ユーザーにとって検索が機能することが全てである、という割り切りは淀みないクリアなデザインだと思います。そして、検索結果画面の変化の流れを見ていると、いったん実装した機能もなくなっていたり、トライ&エラーを繰り返して、常に進化することを重要視していると感じます。


Webは一般化され、デザインされるようになる

ここから数年後、97年にもなると企業サイトも当初の簡易的なつくりから、だいぶ情報量も増え、写真、動き、インターフェイスとしても洗練されていきました。

日本でも「文化庁メディア芸術祭」の第1回が1997年に開かれ、デジタルアーツ部門でimage diveのWebサイトが優秀賞を受賞しています。日本で2000年前後に起業したりWebの仕事をやっていた人たちは覚えているでしょうか。

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現在の imagedive.co.jp より

個人的にはだいぶ衝撃を受けました。今までに例に挙げてきたサイトのように、ビジュアルの美しさみたいなWebサイトはこの頃まだ存在しなかった。あくまでもテキスト主体のものが多く、写真もガビガビしてたり、いわゆる情報としての写真であって、美しく見せるサイトは少なかった。

image diveのサイトは、美しい写真だけでなく、さらに気持ちよく動くサイトだったと記憶しています。インターフェイスの軽快さ、写真の美しさ、動き、にびっくりしたわけです(誰かアーカイブ持ってる人連絡ください!)。


あらゆるWebサイトが作られ、ネットビジネスに発展し、インタラクティブメディアと言われるWebデザインの時代に突入します。

Webは新聞やテレビ、雑誌などと同じく企業広告メディアのひとつとして扱われ、企業の情報を発信する役割を強く持ち始めます。広告代理店の中にインタラクティブ部門が作られ、Web広告とリッチなWebサイトを担い、Webのトラフィックを多く持つヤフーなどのメディアが広告メニューを作り代理店が販売する。

そういったプロモーション予算が多く取られ、Webにも広がっていく時代になっていきます。

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Yahoo! Japan INTERNET ARCHIVEより

Webプロモーション時代のはじまり。Yahoo! JAPANにもどんどん広告枠が増え、トラフィック競争のようになっていく。当時のYahoo! JAPANはまだ広告枠が一つ(上の画像のリンク切れの部分)ですね。ところで、Yahoo! JAPANロゴの左隣の「クール」ってなんでしょう……?Yahoo! Japan も今のようにメディア・サービスという感じではなく、検索主体のサイトだったことがわかると思います。

次回予告

普及したWebはコミュニケーションを変えていく。一方的な情報発信だけでなく双方向性という側面が開かれ、Webのバージョンアップ。そう。Web2.0の気配。Webの主役は企業側から、パソコンの前に座っているユーザー、あなたたち一人ひとり。という時代へと徐々に移り変わっていきます。

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