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さくら(独唱)

こないだシンガポールから来客がありました。
3月の終わりぐらいに日本に来られてよかったと言ってた。「とっても良いシーズン、SAKURAがビューティフルだし、いたる所に花が咲いてるし天気もグレート、幸運だわー」みたいな話をしてました。

でもね〜、これ俺、なんか足りないな〜って思ったんです。それなんか桜のこと分かってない、というか、ビジュアル的に綺麗とかそういう話かよ、という感じで。まぁこっちも「イエー、サクラ綺麗よかったねー」みたいな薄い返しだったんだけども。

「なんか足りない」ってのは、こういうことかなと。
まず日本は4月が新学期だからさ、3月は卒業とか別れとかがあるよね。そこには人間の活動の中でのいろいろなドラマが存在する。一人一人の物語と感情がある。桜は、咲き始めてから散るまでの時間は短い。桜が咲くと花散らしの雨が降る。そして、あっさりと散る。散った花びらが川を埋める。
そして、次は新緑の季節。4月になると、植物が息吹を強くしていくし、新しい年度の出会いと不安と期待と入り混じったエネルギーが生まれていく。
こういうことが桜の時期と共にある。

だから、僕たちの脳内には、桜の花びらが舞っている中で、別れがあったり、涙とか笑顔とか約束とか旅立ちとか、そういうものと一緒に桜が存在している。視界を埋める華やかな世界観と寂しさや儚さや一人一人の物語も含めて、ようやく日本人が感じる「美しい」になる。だから桜は特別なものになるし、心に響くものなんだと思います。

高階 秀爾「日本人にとって美しさとは何か」という本に書いてあった一説にこんなニュアンスのことが書いてあった。

日本人は昔から美しいものは何かというとき、川沿いに座ってて、夕焼けが向こうに見えて少しやさしい風が吹いていて、ふと水の音がして、鳥が赤い夕日に飛び立ち、その影が少しずつ小さくなっていく、そんな風景を美しいなという(正確には覚えてないけどだいたいこんな)

僕はこういう美意識が「用の美」に大いにつながっていると思っています。情景と文脈を美しいと感じる力。

だからすごい大事にしないといけないな〜って思うのと、これをシンガポールの人に英語で説明できるといいなと思ったりしたけど、いきなりこの説明をし始めたらウザがられるから、天気のスモールトークで十分か……という気持ちが入り混じった。
以上です。


本コラムは、アジアを中心に展開するデザイン&テックカンパニー「フォーデジット」の社内報にて連載中のものを抜粋して掲載しています。

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