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Answer「p2」

「p1」(前話)



 2023年9月30日。

「こんな時間にだれよ?」
 テーブルの上をそのままに、立ち上がって玄関口に向かう。無視しようにもキッチンの電気が漏れているだろうから、居留守は決め込めない。
(まさか苦情?)
 ここ数年、来客どころか宅配便すら会社宛にしているくらいで、他に思い当たる節がない。
(大家さん、とか)
 この時間に?――時計はまもなく日が変わろうとしていた。
「はるか~」
 情けないような、小さく響くその声は、
「美咲⁉ うそっ」
 鍵を開けようとして脱ぎ捨てたハイヒールが目に留まり、なんとなく整えてから、胸に手を当てひと呼吸ついた。半信半疑でのぞき穴に目を凝らすと、眉を八の字に歪めた美咲の姿がそこにあった。
「マジか」
 思わず漏れた言葉と共に鍵を回してドアを開ける。
「いた!」
 ドアが開くと同時に安堵する美咲に「どうした?」と、そのままの感想に、苦笑いになる口元を抑えた。
「よかったぁ…別人だったらどうしようかと思った」
 言いながらドアの隙間に大きなスーツケースを挟み込み、強引に割って入ってくる。その荷物の意図は…と目を見張るが、必然的に受け入れる形になった。
「あんた、同じ所に住んでんだもん。びっくり~。ま、おかげで助かったんだけどね」
 早口に捲し立て、美咲は靴を脱ぎながら「なんか拭くもんない?」と、スーツケースのキャスターを指さした。
「あぁ」
 言われるまま、キッチンペーパーを濡らして手渡す。

 キツネにつままれたような面持ちでリビングに戻るはるかは、テーブルの上を見てぎょっとする。こんな過去の産物手帳、見られでもしたら厄介だ。とりあえず手帳と鍵を箱の中に入れ、急いで洗濯物の下に押し込んだ。いや、この洗濯物こそどうにかしなければ…とは思っても、今さらどうにもならない。
「あ~疲れた」
 すぐ後ろに聞こえる美咲の声に焦りながら「なにもないよ」と答えてしまう。
「大丈夫。あ、ビール飲んでた? あたしも欲しい~。てか、とりあえずお風呂貸してくれない?」
 テーブルの上の缶ビールを見、ひとまず勘違いしてくれたようで安心するも、お風呂?――確かに万全ではあるが、見計らってきたのだろうか…と疑いたくなる。
「とりあえずシャワー」
 遠慮する気配すら見せない美咲は、久しぶりだというのにまったく時間を感じさせなかった。自由奔放な昔のまま…髪の色を除いては――。
「いや。そうじゃなくて、さ」
 この突然の訪問にどう反応すればいいのか、我ながらおかしな顔をしているだろうと困惑していると、
「あ。久しぶり?」
 笑顔で返す美咲に、こちらも呆れて笑うしかない。
「もう。相変わらずなんだから」
「懐かしい? でもとにかくシャワー浴びたいのよ~。話はそれから、ねっ」
 この調子にいつも巻かれてきたのだ。
「どうぞ」
「サンキュ。着替えはあるから、気にしないで」
 まったく気にはしていない…が、冷蔵庫の前にどっかと広げるスーツケースに「ちょっと、あんまり大きな音立てないでよ」と、ついキツく言い放ってしまう。
「あぁそっか。壁薄いもんね~」
 悪気はないのだろうがなんだか釈然としない。だが「相手は美咲だ」と思えば諦めもつくから不思議だ。

 のぞき穴からは確認できなかったが、スーツケースの他に「Tax-Free」と書かれた大小さまざまな袋はなにを意味するのか。単なる帰国にしては仰々しい。そして相変わらずのブランド物のバッグ。
(まぁ海外生活が長ければそうなるか)
 美咲ははるか自分おかげで、、、、、某有名製薬会社の研究開発職の男性と結ばれ7年前から海外移住している。「さみしい」の「生活しにくい」のと連絡をくれたのは最初の半年ほどで、それからはずっと音信不通だった。
 里帰り――だったらまっ直ぐ実家に帰るはず…それにあの勢い。
(今帰ってきた、みたい…な?)
 そんなことは美咲がシャワーから出てくれば解ることだが、それよりもなにより、ばっちりメイクにセンスのいい服装で、髪も真っ赤のすっかりアメリカナイズされた美咲の姿に、7年前と同じアパートに変わらず独り身でいる自分が「どう映っただろう」とそちらの方が気がかりで頭が回らなかった。

 それにしてもつい先ほど思い出していた友人のひとりが、まさかひょっこり目の前に現れるとは「魔法」か「キツネ」としか思えないシチュエーションに、よろよろとソファに腰を下ろす。
 とりあえず落ち着きたいはるかは、目下にある洗濯物を畳むことにした。洗濯物が減ると同時にまた、先ほどの箱が現れ頭を抱える。
 美咲が目にしたら、絶対にただじゃ済まない…そう思って鍵をとろうとして、箱をひっくり返す。
「いっ…た」
 動揺しているのか、思うように箱を掴めずに足の上に落とし中身が散乱してしまう。
「くぅ」
 いくら厚紙と言えど中には結構な重さの本が入っているようなもの、相当に痛い。涙目で、右足の甲をさすりながら手帳を見下ろし「今さら年度順に並べている暇はない」と、几帳面を発揮する前に適当に箱の中に重ねた。最後に「こぎん刺し」の手帳を拾い上げ、随分と子どもっぽいことをした…と、もう一度ページを捲った。
「え、なんで?」
 つい先ほど、ハートマークに囲まれた「ハロウィン予約」と書かれた箇所に力強く書き込んだ「予約不要」の文字の上に、くっきりと二重線が引かれている。
(わたし…じゃない)
 心臓が早鐘を打ち、思わずあたりを見回してしまう。
「こわっ」
 だが、考えても仕方がない。そろそろ美咲も出てくる頃だと、一旦箱の蓋を閉め、今度はソファの下に忍ばせた。

「はぁ。すっきり」
 化粧を落として出て来た美咲は、なにもいわずに冷蔵庫の前に立ち「いただきま~す」と缶ビールを取り出していた。そんな姿も「相変わらず」ではあったが、幾分やつれているようにも見えた。
「ちょっとぉ、冷蔵庫の中なにもないじゃない。これでどうやって生活してるわけ」
「余計なお世話」
 改めて部屋の中を見回す美咲に、余計な詮索はさせまいと「どういう風の吹き回し?」と、先手を打って疑問を投げた。
「あ~。――別れた」
「えっ?」
「な~んかつまんないから、帰ってきちゃった。そういうわけだから、アパート見つかるまでしばらく厄介になるわ」
「えぇ⁉」
「しっ! ここ、壁薄いんだから」
「あぁ」
 自分の部屋だから「知っている」と突っ込みたいのもそこそこに、
「厄介って」
「大丈夫よ、お金はあるの。迷惑はかけないわ、しばらく置いてくれるだけでいい」
 それがすでに迷惑…とは言えない。なにがあったか知らないが、なんとなく現れた時から想像はついていた。だがお金があるならなぜホテルに行かないのか…という意見も、すべてが美咲の行動――そう思うと、なにを言おうがあとの祭りだ。
「せめて連絡くらい…」
「あ~ごめんね。携帯、途中で捨ててきちゃったからさ、もうはるかしかいなかったのよ。男もいないようだし、いいよね」
 改めて部屋の様子を窺うその姿にぐうの音も出ない。
「捨てた?って、一体なにが」
「そういうのもさ、明日でいいよね。とりあえず明日から忙しくなるから、寝るわ」
 いうが早いか美咲は、牛乳を飲むように缶ビールを傾け、ちゃんとベッドに向かうのだった。

「わたしもシャワー浴びてさっさと寝よ…」
 考えても仕方がない。
 クローゼットの上の棚から薄い肌掛けを引っ張り出し、既にベッドの中の美咲に「おやすみ」と声を掛けて引き戸を閉める。おしゃべりな美咲が「話したがらない」のには、よほどの理由があるのだろう。そうは思っても、気が重い。
 シャワー後、静まり返った部屋の中は、散乱した荷物とスーツケースさえなければいつも通りだった。
 家主がソファとは――そういえば美咲は、昔からベッドじゃないと寝れない体質だったことを思い出す。そんな感覚も懐かしい。
 ソファに座り、すっかり生ぬるくなって汗をかいている缶ビールを喉に流し込むと、なんだか他人の家にいるような緊張感で胸がむかむかした。
「いたっ」
 先ほど箱を落とした右足の甲がズキン…と痛んだ。
「そうだ、箱」
 この一連の出来事の先端に、手帳がぶら下がっている。
 箱を開け、鍵を取り出してテーブルの上に置き、もう一度先ほどの手帳を開いた。
(やっぱり!)
 二重線が引かれている。途端、自分の好意を無碍にされたようで腹立たしくなる。
(なんかムカつく)
 はるかは再びペンを取り出し、ハートマークの隣に、

ハロウィンは行かない方がいいからね

 八つ当たりに書き殴ってピシャリと閉じた。

 なんとなくその行為自体をも封じ込めたくて、手帳を詰めると素早く蓋を閉じ急いで鍵をかけた。
(さてこの鍵。どうしたものか――)

まだまだ未熟者ですが、夢に向かって邁進します