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#03 わたしについて

前回前々回と自分のストーリーについて執筆している。
そして今日は私の就職活動からその後についてお話ししたいと思います。
このストーリーの中に、自分が目指すべきビジョンも大きく影響しています。

ダメダメな私を助けてくれた1社

大学時代の自分はとにかく他人軸で何かが起きると、基本人や環境のせい。
そんな価値観で生きていた学生時代でしたが、動機は何であれ、
「私はこれをやるんだ」と一旦火がつくととんでもない集中力とパワーを発揮するという強みも。

大学生だった当時、就職活動でMRになりたいと思っていた私。就職氷河期に加えダメダメマインドだったのにも関わらず、20-30社選考を受ける中でなんとか1社に内定をいただくことが出来ました。
ダメマインドの私(少なくとも今の私は当時の自分みたいな学生を取ろうと思えない) の可能性を信じてくれ、内定を頂けたのです。

この出来事は人生という大きな枠を俯瞰で見た時に、巨大な見えない力の計らいだったなと感じていて、心から感謝している出来事です。この経験や、夢に向かって努力している人がつかんでいる成果を見ていると、
「がむしゃらに一点集中で努力し続ける人には必ずなんらかのチャンスが巡ってくる」と強く信じています。

楽しかった研修時代

希望していたMR(医薬情報担当者) にもなれ、晴れて社会人生活が始まります。
私は関西で働きたいという欲求がなく、それよりも漠然と「外に出たい」という思いが強かったので、東京での半年間の研修は楽しみそのものでした。
会社にもよるのですが、製薬会社はMR認定試験という試験を受けるために数ヶ月間、新人向けにみっちり研修が行われます。

MRって薬学部や理系学部以外の人でもなれるので、文系学部の人達にもお薬や病態の知識などを叩きこまれる訳です。前半は病態など一般的な概論で、後半は会社の出している製品の研修などでした。
研修時代は天国みたいなもので(笑)、勤務時間は朝9時から18時くらいまでで終了、泊まり込み費用も会社負担、朝昼晩の食費も会社負担、そして勉強しているだけでお給料とボーナスまで出る・・夜は同期と毎晩のように飲み会(私はしてなかったけど) という最高な環境。本当に恵まれていました。

当時はとにかく新しい環境・新しい人たちの出会いに囲まれていて、毎日が刺激的で楽しみでしかなかったです。上京してお金がなく、マンスリーマンションで1週間1000円で暮らしたこともいい思い出(笑) 
そこから研修が終わると、現場に配属され、営業活動が始まっていく訳です。

目指すところは何だったのか

私は大阪出身で、当時甘い考えだったので、総合職なのにも関わらず
「出身地の大阪の近くに配属してほしい」と会社に希望を出していました。
(外に出たいという考えには矛盾しているのですが・・)
当然希望が叶うわけもなく、配属されたのは、埼玉県。縁もゆかりもない土地です。この頃から薄々気づいていたのですが潜在的に気づかないようにしていたことがありました。それは、

・私は本当にこの職業に就きたかったのか(就職理由を聞かれて話している時にしっくりこない)
・薬に本当に興味があったのか
・仕事をおもしろいと感じられているか

ということでした。答えは全部NOでした。ですが、これまで必死に勉強や受験、就職活動を乗り越えてきて「NO」という答えを見るのが怖く、
しばらく自分の心に気づかないふりをしていました。

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配属後の燃え尽き症候群

正直、営業職という仕事になりたかった訳ではなかったので、
与えられる数字に全く燃えるものを感じられませんでした。
これまで乗り越えてきた受験勉強での点数や内定試験の合否などは、全て目の前のゴールを達成するためにクリアしてこれたのですが、いざ夢を達成してしまったあと、何を目標に頑張ればいいのか全くわからなくなってしまったのです。

「営業数字は会社から与えられたもの、給料をもらっているからには数字を達成するのが当たり前!だから頑張れ!」と自分に鞭を打ってみたこともありますが、結果3年くらい本当のやる気は出ませんでした。
さらに、良くも悪くも営業職は個人の頑張りで頑張ることもできるし、サボることもできるという仕事。当時の私は最低でした(笑)モチベーションが持てないと同期に長時間電話をして時間泥棒をしたり、どこかのパーキングで停めてスマホいじりやゲームをして客先に行かずに帰る・・なんてこともよくありました。でも本当は、

・自分が打ち込めているものがないこと
・心から仕事を楽しいと思えていないこと
・営業数字や仕事に対して打ち込めない自分自身

など全てが嫌だったのです。 今みたいに新規営業として毎月数字を確認される訳でもなく、数字の確認もゆるく、個人でモチベーション管理をしないといけない環境だったがゆえ、一番キツかったのを覚えています。

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周りの人への感謝

仕事はそんな状態が続いていたのですが、結果、この仕事は7年半ほど続けることができました。それはひとえに、支えてくれた上司や同僚・心優しいお客さんがいたからです。このどれか一つも欠けていれば、すぐに仕事をやめていたことでしょう。
ただ、会社の人間関係も最初から100%だった訳ではありません。教育係の人とウマが合わなかったり、人の悪口を言い合ったりする人が中にはいる・・という環境でしたが、結果、全てに感謝できているのが今です。

仕事に対しても3年ほどは苦しかったのですが、少しずつ成功体験も積めてきて、「営業って面白い!」と思うようになっていきました。
車の中で一人でスマホしたりサボったりしているより、お客さんに会いに行って話す方が面白い!!純粋にそう思えるようになりました。

ただお客さんに会うのは面白いし楽しかったのですが、
「薬が好きで心からこの仕事でずっとやっていきたいか??」と言われると、
 NOでした。特殊な業界ではあるので一緒にいる人も必然的に業界の中の人と付き合う・・という風習があり、業界に染まれていない自分に、どことなく違和感を感じてしまっていました。

会社の外の世界を見たい

平日は月曜から金曜まで仕事、仕事終わりは上司と飲みながら時に愚痴大会。休日は(関東に友達が少なかったので)家でゴロゴロしているか、会社の同期とどこか遊びにいく・・という日々を繰り返していました。
ですがある日、「なんか世界せまくね!?」と思った訳です。
昔から自分と違う価値観やコミュニティ、今いる環境とは違う環境を見たいという欲求は人一倍あった子だったと思います。この時も、
「業界(会社) の外の知り合いと繋がりたい!!」と強く思っていました。

この思いを実現してくれたW君との出会いについては、次回・・。

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