見出し画像

#01わたしについて

昨日、noteを初めて執筆した訳でございますが、早速ネタ切れ感あります・・(泣)そんな今日は、「わたし」という人間についてお話したいと思います。

生まれながらにして「癒しの子」だった 

1987年5月1日.大阪生まれ。子供の頃は人一倍食べるのが好きで、2歳で大人1人前ほどは食べていたらしい。当時の写真を見ると相当デブで顔はぱんぱん、でもかわいい(笑)そして生まれたその瞬間から、「癒しのオーラ」が出ていて、人に癒しを与える子だったそうです。

画像1

子供の頃の記憶は、正直あんまりなくって、「母親が厳しかった」ことくらい??実は母親は、いまでこそ子供に全くの関心がありませんが、昔はスパルタママでした。

幼稚園受験からスタートする「お受験」の繰り返し

幼稚園の受験に始まり、小学校受験、中学校受験・・と一般の人と比べるとお受験の回数ははるかに多い人生を歩んでいるかなと思います。
小学校も中学校も公立の子って地元に友達がいるんですよね?小学校から私立だったのでその感覚がわからず、小学校ではそのことが少し寂しくもありました・・。

共働きの、鍵っ子。

両親は共働きで鍵っ子。集合住宅に住んでいたので、幸い祖母・同じ歳のいとこの家も近くにあったので、だいたい学校から帰るとばあちゃん家か、いとこの家にいました。たまに一人で留守番をして、配達員などがくるととても怖い思いをしていたのを覚えています。今だに疲れて眠ったりすると、家に誰かが侵入してきて飛び起きる夢はよく見ます。完全に昔の留守中のトラウマだと思います(笑)

画像2

ひねくれていた小学生

我ながら小学校時代はとっっってもひねくれていたと思います。
さらに偏見かもしれませんが、私立の小学校って親もエリート思考だったり共働きで子供の面倒を見切れていなかったりで、「表向きは何も悪いことをしないけど実は性格がひねくれている子供が多い」印象でした。
小学校の時にはいじめ、学級崩壊が横行していたし、明日は自分がハブかれるかもしれない・・という環境で友達と接していたのでオープンに相手を信頼して話をした記憶がありません(笑) この頃は早く中学受験をしてこの人たちと早く別れたいと思っていました(笑)

心の綺麗な人たちに出会う

中学になると、小学校の時の友達の縁を切って、1からのスタート。
書いていて気づきましたがこの頃から、「何か新しいことを始める時は一人でやる。全く新しい環境に身を投じることが好き」だったのかもしれません。
中学に進学すると心が優しい人たちばかりで、私のワガママを嫌な顔ひとつせず聞いてくれる友達に出会いました。(友達の許容範囲の広さに甘えてワガママ、自分勝手をしても怒られない、嫌われない・・そんな安心感を感じていました)
そしてなぜか小学校の時の発表会の時に友達が弾いていた木琴がやたらとかっこよく見えて、中学では吹奏楽部のパーカッション(打楽器)を始めました。

画像3

吹奏楽って王道はサックスとかフルート、  トランペットで女子人気も高いんですよ。そんな中、打楽器をピンポイントで狙って入ってくるのはよっぽどの変人で、もちろん競合も少ないのですぐパートに入れてもらえました。
(人気のパートだと抽選漏れなどが発生する) 

そんなこんなで中学・高校は素敵な仲間に恵まれながら、部活動に明け暮れていました。

悩みに悩んだ進路

小学校の頃からなりたい夢は「やくざいし(アルバムには「やくざ いし」と書いてて怪しい・・) 」なぜなら、資格があってくいっぱぐれないのと、高給だから、と母親が常に言っていたからです。親の希望を自分の夢のようにして、「私はやくざいしになりたい」とか言っていました(あかん痛すぎる・・泣) 。おんとし、小学校3年生。そして高校2-3年の頃には、いよいよ進路を決めないといけなくなってきました。私の学校は一応進学校だったのと、親が口すっぱく「私立の学費は払えない。家から国公立に」と言われていたので、私の選択肢は、

・家から通える国公立大学であること
・食いっぱぐれない資格がある職業に関係する学科
・文系よりも理系

ざっくりですがこのあたりに絞られました。
これまで人生において、目標のためならコツコツと努力できるタイプの人間だったので、大きな失敗をしたことがありませんでした。

ですが高校3年生のいわゆる大学受験の時に、当時の人生において大きな挫折体験を味わいます。 

続きは次回・・ 

この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?