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悪性褐色細胞腫を患う友人の手記を読み。

(49歳の誕生日に書いた文章です)
今日、私は49歳になり、このタイミングで友人からとある文章を読ませてもらった。

日本では数少ない難病を抱えた友人の、母としての、そして人間としての、何かを飛び越えた、何かを突き抜けた、「病という日常」が綴られていた。

流麗な筆致に、まるで死の陰影など翳りも感じさせない清々しさで、いく度にわたる長時間の過酷な手術の現状や、終わりの見えない病と連れ立って一歩一歩よろめきながらも歩む姿、我が子にかける愛情と病気との煩悶、病室の様々な難病を持った方々とのある種生々しいやりとりなどが描かれていた。

「なぜ病が、自分を選んだのか」

これは友人の言葉であるが、思わず私自身も、自分の病について省みさせられたところである。

初めて幻聴が聞こえた10歳の時から、統合失調症とはもうかれこれ今日でおよそ40年である。

急性期、陽性症状の激しいタイプの私は、それはそれはもう症状が派手派手で、ぱっと見明らかに「狂人」であった。

その派手な時期の治療が終わった頃、ちょうど30歳の時であったが、歩けない喋れない書けない、と言った廃人の状態にもなった。

そこから回復しても、陽性症状はしつこくついて回り、地獄という地獄はあらかた見たような気がする。

ずいぶん経って陰性症状になり、自分自身の寄って立っていた「反骨精神」すら瓦解し、自分自身の尊厳を徹底的に失い、卑下と自己否定の波に飲まれた。

その時ですら、陽性症状はしつこくついて回った。
声に怯え、目に怯える暮らしが始まった。

そして今、慢性期である。
残念ながら、陽性症状は残留した。

いよいよ、「この病を持つ者としてどう終わって行くか」といった具体的なことを、真剣に筋道立てて考えなくてはいけない時期に差し掛かってきた。

長旅ではあったが、自分の人生の畳み方をきちんと考えておかないと、自分も周りも困ってしまうという、統合失調症を巡る旅の、船着き場が、朧気に遠くに見え始めたところである。

「なぜ病が自分を選んだのか」

恥ずかしながらも、一時期は健常者を呪った。
どうせ明日は我が身だ、みんな統合失調症になってしまえ、そう思った時期もあった。

自分の障害が、目に見えるものだったらどうだったろう。
例えば手がないとか足がないとか、そして頭は健常で、だったらもっと違っただろうか。
そんなバカなことを思ったこともあった。

しかし今になって思うのは、この病気に罹患したのは、身内の誰でもなくて、自分で良かった、ということである。

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