きょうだいが感じるそれぞれの不公平

うちの幼稚園児の娘は園でコロナウイルス陽性者が出たためしばらく休園中。自宅でのんびり過ごしている。
幸い濃厚接触者には当たらないため来週には登園を再開できるはずではある。
一方、小学生の息子の方はまだ奇跡的に学校で臨時休校になったり学級閉鎖になっていないため普通に登校している。

わたしは内心、息子には本当に申し訳ないと思っているけど
休園になってしまい、数日間とはいえずっと一緒に家にいるのが娘でまだ良かったと思った。

さすがにひどい話じゃないかと思われそうだし息子にはもちろんこんなこと思ってるとは絶対に言わないが、これに関してはわたしにも葛藤がある。

もしも息子の学校が急遽休校になったとして、家で過ごすとしたら息子はYouTubeとゲーム三昧になると思う。
と言ってもまだ素直なので時間制限を設ければちゃんと守るだろうし、その間息子はとても静かだと思う。

これは今まさに家にいる娘も全く同じだし、我が家としてはなにも問題ないんだけど、これが数日間続いたらきっと小学生の息子に対しては
「きみは元気なんだからそろそろ自主学習するなりサッカー(習い事)の自主練習でもしたら?」
などと言い出しかねない。

幼稚園児の娘にはそんなこと言わないのに。
不公平だよね。

むしろ普段のスケジュールを鑑みれば小学生の息子の方こそここぞとばかりにゆっくりさせてあげるべきだとも思う。

でもわたしはここ最近、8歳の子供と5歳の子供を生活リズムや態度において平等に見てあげなきゃいけない難しさに揺れているのだ。


ステージが違うきょうだいたち

きょうだい(兄弟・兄妹・姉弟・姉妹)がいると、年の差によると思うけど様々なシーンでどちらかがどちらかに合わせなければならない場合が出てきてしまう。

これは喩えだけど、遊園地のアトラクションで「対象年齢7歳以上しか乗れません」というものがあればうちの場合8歳の息子は乗れるけど5歳の娘は乗れないから(もちろん話し合いは挟むけど)二人ともにこのアトラクションは諦めてもらうとか、
逆に「ここは6さいまでのおともだちしかあそべないよ」という小さい子向けのキッズスペースで5歳の娘だけを遊ばせて8歳の息子をただ待たせるわけにはいかないから二人ともこの場は諦めてもらうとか。

上のはさすがに喩えばの話ではあるけど、この理屈でいくと「小学生の息子と幼稚園児の娘は、それぞれ致し方ない理由で学校または幼稚園を休んでいるのだから同じような過ごし方をさせるべき」となりそうなんだけど、

勉強も習い事の自主練習もさせずに?
普通に元気なのに?

と、勉強と習い事というタスクを持っている息子に対しては思ってしまうと思う。
でも多分こう思ってしまって「きみは勉強やサッカーの練習をやるべき」と喉まで出かかっても、
(娘にはこんなこと言わないのに息子には言うのはどうなんだろう。しかしなにもやらせないのはどうなの…?)などとよぎり一旦黙ると思う。

では娘にも幼児向けの自宅学習なり習い事なりをさせれば平等性が保たれるのでは?となりそうな気もするけど、我が家は子供たち自身が「これをやりたい」と自ら申し出ない限り習い事等をやらせることはないので、まだ何もやりたいことが見つかっていない娘に新しく何かを始めさせる予定は今のところない。


サッカーは息子が自分から「やりたい、頑張る」と申し出て再三の話し合いの末始めたことなので親としてはなおさら「頑張るんやなかったんかい?自主練は母に言われないとやらないんかい?」と思ってしまうのだ。

でも折を見て「習い事忙しくて大変だなって思ったことない?きついなと思ったら正直に言ってね」と聞くようにもしている。
散々話し合った末に自分で「やる」と決めた手前、本当にきついときや辞めたい時にそれを言い出せなくなったら困るので。


上の子のあどけなさ、下の子の貫禄

下の娘は特に忙しくもなくのんびり過ごし、上の息子は勉強に宿題に習い事に忙しくしているので、一見息子だけが忙しくしているように見えるけど、上の子で忙しければ親もそれに伴い忙しくなり、もちろん下の子もそれに連れ回されることになる。(まだ小さいので)

先ほど
“きょうだいがいると様々なシーンでどちらかがどちらかに合わせなければならない場合が出てくる”
と書いたけど、うちの場合スケジュールという点において短絡的な言い方をすれば

「のんびりと過ごす下の子に上の子を合わせる」

「忙しい上の子に下の子を合わせる」

の二択になり、後者を選んだことになる。

上の息子は、わたしたち両親との話し合いの末自分から望んでこうなったけど、下の娘は特にこうなることを自ら望んだわけではなく、言ってしまえば自動的に付き合わされる形となった。

今のところそれぞれから現状を不服に思っている印象は受けないけど、それぞれ文句は言わなくても大変に思う部分がないとは言えないと思う。


話が少し逸れてしまうかもしれないけど、息子の仲の良いお友達のほとんどが上にきょうだい(兄か姉)がいる。いくらたまたまとはいえ幼稚園の頃から今までずっと、仲良くなる子はほぼみんな第二子か第三子だった。

ちなみに娘のお友達は今のところ下にきょうだい(弟か妹)がいる子と、娘と同じく上にきょうだい(兄か姉)がいるパターンが半々くらいな印象。

これはわたしの個人的な見解なんだけど、
上にきょうだいがいない所謂第一子の“あどけなさ”の部分と、上にきょうだいのいる所謂第二子、第三子(それ以降も)の“貫禄”の部分ってあると思っていて
※この表現で適切かどうかわからないけど、わたし個人的にはこの表現が一番しっくりきました。またこれはあくまでわたしの周り調べです。

上にきょうだいがいる下の子たちって、なんだかんだ上のきょうだいのスケジュールだったり趣味嗜好なんかに合わせざるを得なかったり影響を受けたりするから少し大人びてるところがあると感じていて。

小学生くらいだと特に感じやすいのが、上のきょうだいからの受け売りであろうちょっと意気がった言葉遣いや、ませた趣味、上のきょうだいと一緒にやることでおのずと鍛えられた身体能力や体力等…

第一子っこである息子はそういう意味で“揉まれていない”から、ある程度厳しい道で揉まれる経験も必要なのかなとも思ったり。息子がどう思うかはわからないけど…ここが一番難しいところかと思う。


ないものねだりまでは補えなくても

うちの下の娘にわたしが感じる“貫禄”の部分は、貫禄というより“要領の良さ”と言った方が的確かもしれなくて、娘はとにかく兄と母(息子と私)のやりとりをよく見て学んでいるなと見ていて思う。

特に感じるのが、息子はわたしの事情はお構いなしに自分の注文をゴリ押ししてきたり通らないと文句を言ってきたりしてよくわたしとバトルになったりしているんだけど(例:今日はカレーと決まって材料まで買った帰りに「おれ今日カレーの気分じゃないんだけど餃子がいい」とタイミングの悪いクレームをつけてくる等)、娘はそういう類いの文句を言ったこともなければ、兄の予定に毎度振り回されてもまだ文句一つ言ったことがない。
わたしと息子のやりとりを見て「わたしはママに怒られるようなことは言わないでおとなしくしとこ」と思ってそうしている気がする。
でも当然かもしれないけど、文句を言ってこないから不満がないのだろうと安心しきってはいけないなとも思う。

休園になり、甘えん坊の娘はわたしと一緒に家にいれることを始めこそ喜んだけど、家事してる間は相手してやれないし兄は帰ってきても宿題だ習い事だで忙しくて遊ぶ暇はないしで、日数が経つと明らかに退屈の色が出てきた。

気ままに過ごしているように見える娘にも、もしかしたら「わたしも何かやりたいな」「お兄ちゃんは色々やることがあっていいな」という思いを抱えているかもしれない。もちろん特に抱えていないかもしれないけど。

年齢や状況が違うとどうしても平等にしてあげられないケースが出てくるのも事実で、どうしても埋めてあげられない部分に関しては申し訳ないけどどうしようもできない。
上の子には上の子の、下の子には下の子の苦労があるだろうなと思う。
でもなんとかして、少しでも不公平感を軽くできるよう努力はしたい。
息子にも娘にも、それぞれのステージでこの子たちなりに楽しんでほしい。当たり前だけど本当にそれに尽きる。

ということを長々書いたが、結局は“うるさく言いたくなってしまう息子の方が休校になってしまわなくて良かった”に関する言い訳を、じっくり丁寧に書いただけのような気がしてきたし、娘とずっと一緒に家にいるのもこれはこれで大変です。すみません。

言い訳はこのくらいで。


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