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私が人生で初めて「手術」を受けた時の話

私がちょうど40歳になる年の5月。
今から5年ほど前…
ふと思い立って、「子宮頸がん」の検査を受けてみました。

子宮頸がんの検査は、割とマメに行っていました。
30代の頃から、年に1度は検査を受けていたのです。
もちろん、結果は「異常なし」。

しかし、5年前の検査の結果は、「異状なし」ではありませんでした。

「要精密検査」

という結果でした。

「うちでは詳しい検査ができませんので、大きな病院に行って精密検査を受けてください」

そう言って、医師は総合病院の紹介状を書いてくれました。

そして受けた、精密検査。
結果は、

「子宮頚部高度異形成(しきゅうけいぶこうどいけいせい)」

というものでした。

「異形成といっても、3種類あります。軽度であれば、自然消滅することが多いのですが、多恵さんの場合は消滅せずに、ガンになる可能性があります」

若い女医さんは、私にそう告げました。

「今なら、子宮頚部を円錐状に切除することで、異常細胞を取り去ってしまうことができます」

「手術、ですか」

これまで健康そのものだった私は、恐怖を感じました。

「うん、手術といっても、開腹しないからね。下からの処置になるから、2泊3日で退院できますよ」

簡単簡単、と女医さんは言いました。

「で、いつにする?6月くらいやったら大丈夫かな?」

女医さんはそう言いましたが、

「いえ、5月に生まれたばかりの子猫がいますので…もうちょっと大きくなる頃、7月くらいでお願いします」

当時、我が家には生まれて間もない子猫がいたのです。
母猫がいるので、心配ないとは思ったのですが…
夫に猫の世話を任せるのは、心配でした。

女医さんは、パソコンでスケジュールを調べながら、

「そしたら、7月の21日にしましょうか。そのくらいだったら、大丈夫?」

「はい、いけると思います」

かくして、手術日は2016年の7月21日、ということに決まったのです。

息子には、

「ちょっくら2泊3日で入院して、手術受けてくるわ」

と言いました。
あくまで、気楽に。

「へ?母上ちょっと何言ってんの。入院?」

息子はビックリ。
ま、当然でしょう。

「うん。でも簡単に終わるから、心配ないって」

「手術の日、病院行くわ」

息子は、当時17歳。
当時のことは、今でも、

「あれはビックリした。何が『ちょっくら2泊3日で手術』やねん」

と言います。

手術の前に、症状と起こりえるリスク、治療方針などの説明がありました。
「家族の方を連れてきてください」と言われたので、夫を連れていきました。

そして、7月20日。
入院する日がやってきました。

夫は仕事だったので、実家の母に病院まで送ってもらいました。

「申し訳ないけど、今日は会議やねん。明日は休み取ってるから、絶対病院に行くから」

その日の朝、夫は済まなさそうに言いました。

「うん、しゃあないよ。会議行ってき」

仕事人間の夫なので、まぁ仕方ない。
当日は来てくれるというので、私は特に気にしませんでした。

入院した日は、特に何もすることはなく。
スマホでドラクエ3をやったり、ネットを見て過ごしていました。

あれは、午後6時くらいだったでしょうか。

「よっ。調子どう?」

突然、夫が現れました。

「え?なんで?会議やったんちゃうん」

私はビックリ。

「いや、社長が『奥さん入院したんやろ?行ってあげて』て言うてくれたから」

「そか。それはそれは…。とりあえず、一服行こか」

私は夫を連れて、外に出ました。
病院の敷地は、完全に禁煙だったからです。
もちろん、携帯灰皿も持参していました。

「病室わからんかったから、受付で聞いたねん」

「そか、そういや病室がどこか、言うてなかったな」

私もどこか、抜けたところがあります。

夫と二人、タバコをふかしながら…

「ちゃんとご飯食べてよ。あと猫のご飯も頼むで」

私は念を押しました。

「洗濯は退院してから全部やるから。下着は今あるやつでいけると思うから、全部洗濯機に入れといて」

「わかってる。ちゃんと食べるよ」

心配でなりませんでした。
夫は自分ひとりだと、面倒がってきちんとご飯を食べないのです。
酒とつまみ程度。

「とりあえず、多恵はちゃんと体治して。倒れられたら、俺が困るから」

夫なりの、精一杯の励ましだったのでしょう。

しばらく話してから、夫は帰宅しました。

その日の夜、息子からLINEが届きました。
どうやら、動画のようです。

イヤホンを着けて、動画を開くと…
息子と、息子の友人たちからのビデオメッセージでした。

「かーさーん、ちゃんと治してや!」

「退院したら『大富豪』やろうぜ!」

「お大事に!みんなで待ってるから!」

私は、息子の友達とも仲が良かったのです。
当時、みんなで集まってはトランプで遊んでいました。

息子、そして息子の友人たちからの温かいメッセージに、目頭が熱くなりました。

そして、7月21日を迎えました。
実家の母、夫、息子がかけつけてくれました。

夕方行われた手術は、無事成功しました。
開腹はしないので、20分程度だったと思います。

病室へと向かう途中、ストレッチャーの上で、私は麻酔から覚めました。

「切ったやつ、見てきた。まるで鳥皮みたいやったわ」

息子が言いました。
どうやら手術後、医師から説明を受けたようです。

「しばらくは経過観察やって。ちゃんと検査行かなあかんで」

夫も心配してくれました。

後に母が言うには…

「あの子(息子)な、『術後の説明があるから、2名の方は別室に来てください』て言われた時、すぐに立ち上がったねん。私が行こうと思ったら、あの子の方が早かった」

ということだったんだそうで。

息子は息子なりに、思うところがあったのでしょう。
息子がちょっと大人になったようで、私は嬉しくなりました。

そして、翌朝。
退院前の診察を受けて、私は無事に放免となりました。
夫は仕事だったので、母が迎えに来てくれました。

帰宅すると、まず猫たちが迎えてくれました。
変わらぬ猫たちの姿に、私はほっと一安心。
子猫たちも、夫が子猫用フードを与えてくれていたようです。

そして、私を迎えてくれたものが、もうひとつ。

洗濯物の山!!!

夫は、私が言った通りに、洗濯物をそのまま置いといてくれました。
まぁ、それでいいのです。

夫は、洗濯が苦手な人なので、ヘタにさせると洗濯物が大変なことになるからです。
シワを伸ばさない、形を整えない、ハンガーにシャツを2枚無理やり干そうとする…
実話です。

休む間もなく、私は洗濯機のスイッチを入れました。
無事に退院できたことに、感謝しながら。

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