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夢の後始末

 私の両親はその当時基準でかなりの晩婚だった。結婚年齢も母の出産年齢も2010年代の平均に近い。そんななのですんごいジェネレーションギャップというのが私と両親の間には存在した。このギャップは例えば両親より10歳も年下の人とだったら多少は軽かっただろう。何せ両親の生まれは戦時中だから戦争が終わって薄明るくなりかけた世界に生まれた人とは決定的に何かが違う。その「何か」というのをはっきり書くことはできないけど生活全般に対する感覚的なものだ。そういう違いを私は子供時代によその子供のお母さんに接してなんとなく感じていた。
 実家を売却するのには実家を建築したメーカーの不動産部に連絡すればよかった。話は早くて電話したその一時間後には担当者が実家のチャイムを鳴らした位だ。もちろんメーカー直結だから実家の設計図面もどんな建材を使ったのかもばっちり把握していた。見積額の提示や売却先の決定も早かった。○月×日に引渡しをお願いしますという話まではとんとんと進んだ。
 が、何から何までうまくはいかない。
 私はキッチンシンク下の収納を開けてみた。鍋やフライパンが「みっしり」という表現そのままに詰まっていた。その一つ一つを改めて見ると、何故か穴が開いていて鍋本来の機能なんて果たせないだろうというものもいくつかあった。そんなもの捨てろよと言いたいところだったけど母は既にホームに一足先に移っていて冬も近くて日が落ちるのが早い暗い実家の中に私は一人きりだった。いや娘も一緒だったけど。
 呆然としていても始まらない、とにかく機械的に家の中を片付けなくては。引渡しにまだ猶予はあるものののんびりとしてはいられない。
 と、涙目でシンク下を片付けるのだけで一週間かかった。(不燃ゴミの回収は週一回だけだから)
 シンク下だけで一週間。この他にまだ両親の使ってたタンスが数棹、押入れの中にシーズン毎の布団が家族の人数分は言わずもがな、その他の収納という収納に詰まっている衣類生活用品もろもろのもの。…私は家の広さに途方に暮れた。体感の面積で建て替え前の実家って現実家の半分位しか広さが無かったような気がするんだけどあんな場所にどうやってこれだけのものが詰め込まれてたんだろう。そうだそういえば建て替えの時に取り壊しちゃったけど独立型のプレハブ物置もあったけなあ。
 新しくなった実家は母の設計だった。(何故両親共同の設計じゃないのかは父の性格とパワーバランス故としか言い様がない)前の実家は本当に古き悪しき昭和そのまんまの大人が数人一緒に住むことなんか考えてない間取りで収納も殆どなく、何故か台所にタンスと下駄箱と洗濯機が置いてあるというカオスだった。時代は移ったから周囲に今時風の新しい家が建つのを多分母は怨念めいた感情でも持って見ていたんだろう、そういう怨念が収納たっぷりの広くて綺麗な家に結実したのはわかったけども「収納たっぷり」というのは要は「ゴミがたっぷり」ってのと同義だ。
 途方に暮れてぼんやりしていると元両親担当のケアマネさんの来訪があった。数百円分の料金の未収があったとかで訪ねてきたのらしい。このケアマネさんとも特に母の要介護度の問題であれこれやりあったけど母がホームに移ってしまったのだしもう過去のことだ。表面上は大人のやり取りで軽い世間話をしたりもした。
 この家を売却することにしたんで片づけが大変ですよあはは~と苦笑いするとケアマネさんは言った。
 「ああ家の片づけなんて一人でやるもんじゃないですよ、それで倒れられる人もいるんです。片づけ専門の業者さんってのがありますからね」
 業者!
 「ゴミ屋敷」という言葉はあってもその片づける様子がテレビのバラエティで流れるようになるのはその時点ではまだ先のことで、私はその日その瞬間までそんな業者があるなんて思いつきもしなかった。
 ケアマネさんが言い残した業者の名前をタウンページで探してみるとその片づけ業者は市内にあった。
 電話すると業者は片づけ人員四人、それに中型のトラックという構成で実家にやってきた。
 そしたら早いこと早いこと。家電も布団もベッドもあっという間に家の中から運び出された。こういう片づけに不慣れな女一人に猫の手以下の乳児とでは比較のしようもないけどとにかく素早く手早かった。
 「あのうこれどうしましょうね?」
 と片づけ人員の一人のお兄ちゃんは言った。彼が指し示したのは玄関のシューズボックスに詰まっていた紙の靴箱だった。改めて見るとその中はからっぽでそんな箱がいくつもあった。空箱がわざわざ置いてあるのは何らかの意図があるんじゃないのかとお兄ちゃんは汲んだのらしい。
 「いえもう全部捨てて下さい」
 私はきっぱり言った。そうやって残ったのは「これだけは取っておいてくださいね」と言い渡した母のわずかな衣類と、夫が迎えに来る日まで私と娘とで実家で過ごすのに必要な本当に最低限のものだけになった。
 私は母の衣類を持ってホームに向かった。事後承諾的にあれとかこれとかそれとかは処分させてもらいましたからねと母に言うと母は返した。
 「若いもんはものを大切にしないから」
 それは違う、絶対に違うと私は心の中で叫んだ。体型が絶望的に変わっちゃってもう着られないような三十年前のブラウス、誰が着るあてもないような自分の少女時代に仕立てた着物なんかを何十年もタンスの中で腐らせておくのは「ものを大事にする」というのとは絶対に違うと。
 片づけ業者のボスの人と話すとこんなことを言っていた。
 「僕らよくいわゆるゴミ屋敷ってのの片づけにも行くんですけどね、そういう屋敷の主さんってのは要するに病気なんですよ」
 このおうちなんて全然綺麗ですようとその人は笑ってたけど紙一重なものはあるんじゃないかと私はこっそり思っていた。実は今でも思っている。

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