柔らかい記憶 / 自分は何者かへの問いかけ
前回も紹介した、Nさん(70代、女性)のもう一つの詩を紹介します。
Nさんから、回想の感想を詩で頂いたときは、驚きました。しかし、Nさんは、自分にとって詩は、趣味を超えて生きていく上でなくてはならないものだったと語っていました。「全部、詩に表わしてきた」と。そして、他者とつながる楽しみでもあったようです。
Nさんの気持ちがまっすぐに、詩から伝わってきます。前回の詩も、良かったらぜひ読んでみて下さい。70年生きてきた人の正直な詩です。
柔らかい記憶
回想プログラムで
私の心は ずいぶん軽くなった
トラウマのように 小さなことを
いつも思い出しては
自分を笑っていた
私の良い所は?ときかれても
はずかしくて 言葉に出せなかった
私は何者?
自分では わからなかった
ただ 多くの友人 仕事の同僚たちが
私をいつも助けて思ってくれた
大病をしながらも 多くのことを
学び続ける人生を
神様は 与えてくれている
「柔らかい記憶」ってなんだろう? Nさんが言うには「心地よい記憶と受け止めている」とのこと。詩なんだから、厳密に意味を固定してはだめだなと反省です …
「自分が何者か」という問いかけは、若い頃はこれからの未来へ向けて、壮年期は自分の役割は何だろうと現在へ向けて、そして、高齢期になると自分は何をしてきたのだろうと過去への問いかけになると言われています。
70代のNさんにとって過去を振り返ることは、「自分は何者か」問いかけることと同じだったといえます。回想をする過程で、周りにいた人々と互いに助け合ったこと、笑いあったことなども思い出し、「自分は何者か」分からないとしても、多くの出会いで人生は出来ていると感じたのかもしれません。また、Nさんにとって喜びは、学び続けることだったともおっしゃっていました。
「自分は何者か」問う人も問わない人もいると思いますが、それは時を重ねるに従い変化していくものなのだろうと思います。今、分からなくても、自分の人生がいつか教えてくれるときまで、今日を大切に生きていくことが私たちに出来る精一杯のことなのかもしれません。
Nさん、ご協力ありがとうございました!
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