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【散文・考察】詩や短歌の経過観察(2023/3末)
短歌を始めて約11か月がたった。
白鳥の短歌
今年は白鳥が集まる池に行って見にいかなかった。
空から聞こえてくる声だけを聞いて、帰ってしまったのかと思うと同時に旅の無事を想う。
3月11日の短歌
毎年詠んでいこう。
3月のアウター短歌
そろそろ春物クリーニングのセールが始まる。氷点下の世界を生き抜くために必要なジャケットを送り出す春は、ありがとうと来冬にまた会おうの季節。春の軽さは気分も軽くする。
短歌を詠むとき、言葉にならないわずかに心に感じたものを表現するときと、最初にテーマや題を決めて詠むときでは、違う短歌ができる。両方を使って詠めたらいいかもしれない。
3月11日の詩
その時の記憶を残す形で書いた。こういったものはやっていきたい。
自立の詩
もとになった短歌。
3月のアウター短歌と以下。
冬はいいけど、春もいい。春は自立の季節。
創作メモ
詩を書く方法をあれこれと模索しているけれど、どれもしっくりこない。
離れすぎても近づきすぎてもうまくいかない気がして、その中間の感覚がつかめない。
話しは変わるけれど。
日本神話にツクヨミという神がいる。アマテラスの弟神、スサノオの兄神であり月とか夜とかそのあたりに関係する神。けれど、ツクヨミに関してのお話はほとんどない。アマテラスとスサノオばかりで、その間のツクヨミはない。
これは日本神話に共通することで、3つの神の真ん中はたいてい同じ扱いとなっている。
詩はこのツクヨミのポジションのような存在なんじゃないか、と勝手に思い始めた。
言葉にしていない、目には見えない、大切なものであったり本質に近いようなものであったり。それをツクヨミ以外の存在で表現することによって、ツクヨミを感じ取る。こういう関係性。たぶん、ツクヨミを説明したところでそれは本来のものは伝わらない。
まずは表現したいことを明確にしつつも、そのことから離れてみたり、その周辺を歩いてみたりすることかもしれない。
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