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【散文・考察】詩や短歌の経過観察(2022/12末)

短歌を始めて約8か月がたった。
やり方を変えてみて、ちょっと変わったような気がするし、あまり変わっていないかもしれない。ただ、ひとつの短歌にたいして時間を費やして向き合い、その世界で試行錯誤する中で生まれてくるものがあるようだ。その方法が今のところあっている気がする。静かな短歌。

けれど、やっぱりよくわからないことだらけだ。
つかめたようで、それをつかもうとするとつかめてない。つかめなくて、ぶらぶらと散歩してみると、落ちていたり。

向き合った分だけ、詠んだ実感があって、ちょっとした達成感もある。

自然に関すること以外の短歌はうまく捉えることができていない。基本のスタイルが人間脇役なので、これは続けていきたい。

他の人の詠んだ短歌であまり反応しなくなった、と思っていたけれど、ツイッターでいろんな人の今年の五首を読んでみると、いいなぁ、と思うのが結構ある。選抜組はやはりそれなりのものがあって、本人が選ぶ今年の秀歌。

自分も選んでみよう。

詩のほうも変化している、と思う。
書いたあと、これはうまくいったのか、いかなかったのか。よくわからない。これは数か月たって客観的に読めるようになってから読んでみないとわからないだろう。

やっぱり目に見えるものを優先して書いてしまう。目に見えないものを感覚的に感じられるイメージで、という指針のもと試行錯誤している。

あたらためて詩ってなんだろうか、と思う日々。短歌より長文で散文・雑文とは違う存在。基本はそんなに長くないもので、表現しようとするとき余計なことは書かなくていい、というのは、長文の小説・エッセイ・散文とは違う。ある程度の大きさを求められていない。長すぎても世界があまり持たない。

そして自由。この自由が一番難しい。難しいというか捉えどころがないというか、正解がないというか。

来年も黙々とやっていこう、というのは変わらない。

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