寂れた湯治場と、週末逃避行について
東京にいるとファッションやら自分の容姿やらに固執してとても疲れる。
「他人と自分を比べるなんて愚かなこと絶対にしちゃだめ」
って、いつだったか黒柳徹子が言ってたけど、多分一生無理だ。
周りを見渡せば、綺麗でキラキラしている人たちで溢れているし、おしゃれして外へ出ても、なんだか自分の格好がチグハグに思えて、変じゃないかな…ってそわそわしてしまい、人の目を気にしながら歩いたり。
テキトーな格好で外に出ようならば、窓ガラスに映る、自分の冴えない姿を見てゾッとする始末。
上京して早6年は経つのに、いつまでも私は垢抜けない田舎娘のままだ。
そんな毎日に嫌気がさし、週末はよく逃避行をする。主に同年代…10〜20代くらいの若い層がいなそうな山奥の田舎や寂れたような町を好んで旅に出る。
特にお気に入りは、山奥の湯治場だ。
湯治客が主なので、若くて元気な人種は殆どいない。だから、服や顔や体型のことを一ミリも気にせず、ただただ目の前の景色と温泉を楽しむことに集中することができる。
特に、山の露天風呂は本当に格別だと思う。
ブランドの服やバッグ、コテコテの化粧など、今まで自分を固めてきた、ありとあらゆる武装を脱ぎ捨て、大きな自然を目の前に裸になる。いかに自分が無力で、ただただちっぽけな存在かを思い知らされる。自然の前では、おしゃれも化粧も全く無意味なのだ。
露天風呂に浸かりながら、東京に置いてきた、お気に入りの服やアクセサリーのことを考えてみる。
ぜんぶ、くだらない。本当にくだらなくて笑っちゃうし何だか泣けてきちゃう。
やっぱり、東京には怪物が住んでいるんだろうなーなんて考えながら、温泉の湯でやたら白く綺麗に映る自分の裸を見て、愛おしいと感じたり。
山の露天風呂に入っている時だけは、自分の存在を心から好きになれる(気がする)
そんなこんなで今日も1日、武装を解くことができる秘密の逃避場所を探してる。
1人旅は、孤独や淋しさが最高のスパイスなので、端末のあらゆる情報を遮断し、敢えてここはアナログでいきたい…
紙の地図を広げ、目的の場所をマーカーで囲ってみたり。目的地までの道のりをメモ帳に書き込んでみたり。バスの待ち時間が不安で何度も何度も時刻表を確認したり。
孤独と不便は相性がいいなぁ、なんて考えながら週末予約している宿のチェックインの時刻を確認した。夏なので、伊豆特急で下田まで行ってみようかなと!楽しみ。
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