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ピプノセラピーを受けて15年経った今



●15年前の2007年に一度だけピプノセラピーを受けました


ピプノセラピーはセラピストの誘導によって催眠状態に入り、自ら潜在意識下にある前世の記憶までさかのぼって、魂レベルのトラウマの原因を知ったり、今世に影響する不可解な負の感覚を根本から癒したり、今世に生まれた目的や意味を知ることができる催眠療法です。

僕はある時代に生まれた前世の自分の一生をはっきりと思い出しました。
そのおかげで、今世において意味不明に自分の心を苦しめる感覚や、現実に起こる嫌な事象の因果や、自らの思考の傾向性や、何のために自分はこの世に生まれてきたのかという長年の疑問の明確な答えを知ることが出来ました。


その日の約2時間ほどのピプノセラピーで思い出した前世の記憶は、15年たった今でもハッキリとした映像が浮かぶほど、まるで昨日のことのようにリアルな感情を保ったまま思い出すことができます。
それは今ここにいる自分の魂がずっと昔に実際に体験したもう一つの人生が確かにあったという色褪せない確信となっていつでも簡単に振り返ることができます。


前世の僕の周りには、今世において僕の大切な人々もまたそこに生きていました。今世の妻は前世では生き別れた姉、娘たちは僕が連れていた孤児、そして父は僕らが身を寄せたお寺の僧侶でした。


彼らとの魂の関係を思い出し、今世において再び縁した意味と目的を知れたことは、その当時の僕にとって今世を生きる上での素晴らしい道標となり、今日までずっと僕の心の中心にあります。




●前世と今世の魂の絆


2007年の幼かった娘たちが成長し今日の2022年に至るまで、僕は娘たちの成長に新鮮な驚きを感じつつも、一方で記憶を再確認するような既視感も常に感じてきました。それはまさにピプノセラピーで既に見ていた成長した彼女たちの面影を同時に思い出していたからです。


今日美しく成長した娘たちを僕は15年前から知っていたという実感は、まるで前世と今世の二重の人生を体験しているような不思議な感覚と永遠の魂の存在に気づく学びがありました。
前世を知ることで、一度人生を終えて死別した最愛の存在と今世で再び一緒に暮らせているという常識では考えられない感覚が芽生えました。それがどれほどの奇跡か、それとも必然か、その宇宙の真理は全くわからなくても、ただ今ここで共に暮らしている幸運を思うと自然に感謝の念が湧くようになりました

その人がただ一緒にいるだけで、目の前に存在しているだけで、有難いという感覚。ただ在るだけ、ただ居るだけで嬉しい存在。それが15年前にピプノセラピーを受けた後から緩やかに自然に変化していった僕の妻や娘たちに対する気持ちです。

実際に僕という人間はピプノセラピーを境にして少しずつですが妻に対する思いや態度が確実に好転しました。本当に良い関係を築きながら辿って来たと思うし、お陰様できっとこれからも大丈夫だろうと思っています(笑)

好き同士で結婚した夫婦といえど、なかなかずっと良好にはいかない関係の根底に、そもそも元は他人なのだから分かり合えないのも当たり前という現世的な意識があります。しかし前世も共に生きていたとても長い魂の関係があると心から思えたとき、今ここの問題の本質に新たな光が差して、永遠の魂の流れから続いてきた絆を改めて見直して、前向きに互いの関係を再構築したいという心の変化が起きるかもしれません。(※前向きにお別れするという選択肢もあり)

実際に僕の意識が変わることで、妻の笑顔は確実に増えました。15年前どこか暗雲立ち込めていた我が家は、まさに再構築されていくように、日を追うごとに年を経るごとに以前の何倍も家庭内が明るく楽しくなり、やがて笑顔が絶えない今日に至りました。


前世を思い出し、今世で再び妻や娘たちと一緒に暮らせている奇跡を知ってしまった僕は、日常のなんでもない場面で喜びと感謝が自然に溢れる感覚に目覚めました。もしあの時ピプノセラピーを受けていなかったら… そんなことをたまに思い返すたび、僕は本当に幸運だったと改めて感謝の念が湧いてきます。


そして切っても切れない魂の絆が存在することを認識してしまった僕の死生観はこの経験を機に大きく変わりました。

簡単に言えばいずれ誰もが必ず死ぬという運命を恐れなくなったという感じです。
もちろん苦痛でもがき苦しむ死など恐怖でしかないし、絶望と悲しみで自死するなどは絶対に嫌ですが、死そのものはいつか来る通過点くらいにしか思わなくなりましたし、正直なところその先にある世界がとても楽しみと思ったりもします。




●ピプノセラピーで現れた前世の娘たち


前世でも出会っていた今世の二人の娘たちは、僕が保護した十人くらいの孤児たちの中の二人でした。
僕自身は最愛の姉(現世の妻)と行き別れた後の放浪の身で、皆それぞれに孤独を抱えた悲しい仲間たちでした。宛もなく放浪した末にあるお寺に辿り着き、そこに身を寄せた僕らはやっと安心して暮らすことができるようになりました。その時に味わった幸福な日々、皆それぞれに成長し、寺を離れる者もある中で、僕はそのお寺の絵師として残り、彼女たちも最後までそのお寺に残り、僕と一緒に暮らしました。
人生最高傑作を描き上げた時に一緒に喜んでくれたのも、その後に生涯を終える自分を看取ってくれたのもその二人の孤児でした。


前世の僕は彼女たちにとって父のようであり、歳の離れた兄のようでもあり、また孤独感を共感できる同士のような関係でした。
その僕が臨終を迎えるときの記憶があります。
付き切りで看病をしていた二人は床に伏せる僕のそばで何度も「お父さんお父さん」と泣きながら叫んでいました。その時の前世の娘たちの顔はまさに今世の成長した娘たちと同じで、15年前に見たままの面影に追いついてくる現在の娘たちを見ると終わらないデジャブを見続けているような不思議な感覚になります。

今ふとした時に娘たちの顔の向こうにその前世の面影を見てしまって、再び温かい切なさと有難い喜びが入り混じる二重の幸福感を感じることがあり、今も昨日のことのように、前世の自分が息を引き取った時の「お父さん」と叫んでくれた娘たちの声と魂の感動を思い出しては、「人は死なないんだなぁ」というなんとも言えない安心感を味わうことがあります。



●自分は何を成すために生まれてきたのか?


僕の死を悲しむ娘たちを見下ろすように、天に上がっていく自分。
やがて地球を見下ろし、暗い宇宙の先にある一点の光に向かっている自分。

僕は「あ〜終わった。」という感覚に包まれながら、今世の二人の娘たちとの深い縁をしみじみ感じていました。

長かったピプノセラピーが終わるとき、最後にセラピストの方が僕に質問しました。
あなたの前世の人生とは何だったのでしょう?そこにはどんな意味がありましたか?そして今世につながる気づきはありましたか?

僕の前世は特に華やかなこともなく、長い間愛情に飢えて彷徨った末に、やっと見つけた自分の居場所にささやかな幸せを感じるくらいの人生でしたが、晩年は血の繋がっていない娘たちの愛を受けて満足しながら生涯を終えたようですと答えました。
だから今度は本当の家族として暮らしてみたいと皆で決めて、今回同じ時代に再び生まれてきたようですとも答えました。

そして次の質問の「今世につながる気づき」については
「自分はなんのために生まれてきたのか?」という長年の疑問の答えが出ました。

僕が今回生まれてきた最大の目的は、絵描きで有名になることでも、父に認められるほど偉くなることでも、大事を成し遂げることでも、金持ちになることでもなかったんだと気がつきました。
ピプノセラピーを受けるその日まで、僕がずっと目指さなければと思ったそれらのものは全て今回生まれた最大の目的ではなかったんだと思いました。

僕が今回生まれてきた最大の目的。
それは

ただただ愛すること。
愛を実感し、愛を学ぶこと。
縁ある魂たちと愛を育み、収穫して、存分に味わうこと。
生まれた意味はただそれだけ。

その他のことは愛を経験する時にできる副産物であるから、
楽しいなら楽しめばいいし、
不要ならば捨てればいい。

なんだそんなシンプルなことだったのかと笑ってしまうほど
すっきりと清々しい気分で心の底からそう思いました。
そして僕はリクライニングチェアに横になったまま、滝のように涙を流していました(笑)


●永遠の魂に目覚めたら


形あるものがいつか必ず壊れるように、我々もいつか必ず土に還ります。
しかし、肉体が死を迎えても魂は少しも傷つくことなく永遠に在り続けるという信念をもし持てたら、きっとほとんどの人が僕のように、少しづつ目の前の当たり前だと思っていた物事が違う視点から見えてきて、やがて感動と感謝に気が付きやすくなり、生き方も考え方も心地よく変化するだろうと思います。


もし今「自分は何のために生まれてきたんだろう?」と誰にも相談できずに思い悩んでいる方がいたら、ピプノセラピーを調べて受けてみたらいいかもしれません。

ピプノセラピーで誰でも確実に前世を追体験できるとは断言できませんが、目に見えない大切なことに気が付き、今世を生き安くする良いヒントになるかもしれません。


僕がピプノセラピーで思い出した前世のエピソードはここに書くには長すぎるので他は割愛しますが素晴らしい感動巨編でした。

続きが知りたい方にはいつかご縁があればお話しします(笑)

そして15年ぶりにピプノセラピーをまた受けたいなぁと思っています。どなたかおすすめのセラピストさんをご存知でしたら、ぜひ教えていただけたら幸いです。


長文を読んでくださりありがとうございました。
一人でも多くの人が今ここで微笑むことができますように。

合掌🙏



●追記:ピプノセラピーを受ける前に…


ピプノセラピーを受けても何も見えなかったという人も周りにいたので、僕なりの前世を見た時の感覚を一例として書いておきます。
受けてみたいけど、不安… と思われる方のご参考になれば幸いです。


■セッション前の説明を受けている時にリラックスしていた。

■セッション中も部屋の外を走る車の騒音などは聞こえていて、リクライニングチェアに横になっている現在の自分は常に認識出来ていた。

■セラピストの誘導を聞きながら、意識半分が前世を思い出している穏やかな心の状態。

■全身脱力し、頭はあえて思考停止、心は放心状態になる様に意識していた。

■眠いのに眠れない時の、夢を見てるような、意識がまどろんでいる状態に似ている。

■前世はスクリーンの映像を見ているようなハッキリとした感じではない。

■頭の中で赤いリンゴを思い浮かべたり、昨日食べた晩ご飯の情景を思い出している時のような感じ。

■セッション開始からしばらくは、意味不明なビジョンが浮かぶので、ただの自分の想像の世界にすぎないのでは?という半信半疑な気持ちがある。

■疑いを持ちたくなる衝動からあえて離れて、ただ脳裏に浮かぶことを素直にセラピストに伝えていくうちに、意味不明だったビジョンが組み合わさり、やがてのその意味が分かり、点が集まり線となるように前世の人生の主要な出来事としてつながって、全く想像もしてなかった人生の全体像が出来ていた。

■2〜3時間くらいのセッションで序盤〜中盤は意識的に集中していたが、終盤は自然に意識が前世に集中できていた。


(※以上、今後また何か思い出したら加筆します)



前世を見れる!という期待をあまり大きく持つと、逆に緊張してしまってうまくいかないかもしれません。

僕の場合は当時「三国志」のゲームにはまっていたので、「前世はあのカッコイイ一騎当千の猛将だったらいいなぁ」などと期待して、ワクワクしながらピプノセラピーに挑みました(笑)

でも実際に見えたのはヒーローどころか、悲しみにうなだれた少年が、ボロボロの服と裸足で独りで砂浜に立っているというとても残念なビジョンで、困惑気分でのスタートでした(苦笑)

もしここで、「こんな前世は見たくない、これはきっと間違った想像」だと否定してしまっていたら、そのあとは自分自身orセラピー自体に対する猜疑心を少なからず引きずってしまうと思うので、そのまま集中できずに何も見れなかったかもしれないと思ったりします。(そっちを選んでないので実際のところはわかりませんが…)

もし期待通りではなくても少しも気にせず、何が見えても、見えなくても、セラピストを信用して、今この瞬間だけはとにかく素直に頭に浮かぶことを話すと良いと思います。

また、前世のイメージは、視覚的ではなく、聴覚的(音)や文字で感じる人もいるそうです。

僕の体験だけが正解ではありませんので、その点はくれぐれもご理解いただき、十人十色のピプノセラピーを楽しんでみてください。

🙏


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