見出し画像

今さらジブリ映画「コクリコ坂から」を見た感想


いや、今だったら「君たちはどう生きるか」見ろよって話で。

いいじゃん。

金曜ロードショーでやってたんだよ。


なでしこJAPANの試合見てたら流れで始まったんだよ。


そんで感想を箇条書き日記の記事に含めようと思ったんですけど、

当初の想定以上に思ったことが多かったので単独の記事として記録しておきます。




「コクリコ坂から」がテレビでやっていたので何の気無しに見ていた。

流し見だったので全体像を理解できたわけではないが、学生ながらに自分なりの思想や理念を持って活動しているキャラクターたちの姿はどこか羨ましかった。

主体的、というのだろうか。

僕の学生時代なんか社会に溢れたコンテンツを消費することで半分以上終わったようなものだ。

こういう生き生きとした青春時代を過ごした人々が現代っ子たちを見て不安を覚えるのも無理はないな、と思った。


あとちょっと感じたのは、

年頃の少年少女を描いている割に、『性』の香りをそんなに感じない。

物語の主軸に恋愛感情が置かれているし、

主人公がイケメンに頬を染めたりだとか、イケメンが女子たちに囃し立てられたりするシーンはあるけれど、

そこに軽薄な関係性を想像するような、ある種の隙みたいなものがなかった。

この描写は時代に忠実なものなのか、僕にそう感じさせる描き方がされているだけなのか。


現代において、人間関係というものは学生を悩ませる大きな原因となっている。

僕もめっちゃ悩んだ。

っていうか僕がめっちゃ悩んだ。


でも劇中の学生たちはそこに悩んでいる様子が見えない。(恋煩いはあったようだが)

男子も女子も変な意識せずにフラットな付き合い方をしているし、同性同士でも忌憚無く意見を交わし合っている。


思うに、『カルチェラタン』という帰属意識・目的意識を持てるコミュニティを共有していることが大きい。

自分がなぜ目の前にいる他者と繋がりを持っているのか。

そこに具体的な答えがあるのとないのでは関係の質に天と地ほどの差がある。

ただ彼氏や彼女がほしいとか、友達がいないとボッチだと思われるとか、フォロワーを増やしたいとか、

言わば人間関係のための人間関係を築きがちな社会に僕は生きている。

冷静に考えれば、他者との関係とは自分の目的に付随して生じるモノであって、
関係だけが自然に発生するというのはある意味異常事態と言えなくもない。

人間関係に悩むのは他者と共有できる目的を持っていないからだ。

生きる上での目的は何か。

僕たちはどう生きるか。


ちょっと宮崎駿に興味が出る夜だった。


…ってかコクリコ坂って何だったんだ。


えっ、聞き逃した?

「コクリコ坂」なんて単語、いっこも出てなかったことない?


と思って調べたら、主人公のメルちゃんが住んでた家が『コクリコ荘』らしい。


「コクリコ荘から」じゃん。


ちなみにこの「コクリコ坂から」、原作があるそうで。

映画版↓


原作↓



原作ファンブチ切れてない?


大丈夫な範囲これ?


しかも調べてたら、原作の舞台が1980年なのに映画版では1963年に変更

僕が気に入った『カルチェラタン』は映画版オリジナル要素で原作には一切登場せず。

風間くんは賭け麻雀士。


アニメ化作品で原作が解釈違いになることある??


しかもこれ、今気付いたけど


監督:宮崎吾朗の方じゃん!!!!!


つまり僕が見たのは「コクリコ坂から」でも「宮崎駿」でもないナニカだった。


いやでも本当に感動したし考える部分もあって、

正直僕の人生では数本の指に入る名作だと思ったよ。自分の感性は大事にしてこう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?