松永天馬・浜崎容子・おおくぼけい・藤谷千明『水玉自伝 アーバンギャルド・クロニクル』ロフトブックスを読む
アーバンギャルドの現メンバー(松永天馬・浜崎容子・おおくぼけい)による『水玉自伝 アーバンギャルド・クロニクル』(ルーフトップ/ロフトブックス)が刊行された。語り下ろしで、聞き手と構成は藤谷千明さんが行っている。『夜想 総特集 #アーバンギャルド 』(ステュディオ・パラボリカ、この時はまだ鍵山喬一、瀬々信が在籍していた)、浜崎容子『バラ色の人生』(ルーフトップ/ロフトブックス)も併読すれば、紙媒体でアーバンギャルドというグループの実態を知ることができるだろう。
アーバンギャルドというグループは、アーバン(都会の)+アヴァンギャルド(前衛)の合成語で、そこから派生して、アーバンギャル(アーバンギャルドの女性ファンのこと)/アーバンギャルソン(男性ファンのこと)によるギルド(組合)という意味も込められるようになった。元々は、リーダーの松永天馬が通っていた東京都立九段高校の演劇部が母体で(最近の松永天馬がドラマや映画の仕事が多いのは、出発点を考えれば自然な事なのである)、そこで瀬々信、谷地村啓、藤井亮次を誘って結成された。歌姫、浜崎容子が加入する前には、3代にわたる女性ボーカルがいた。アヴァンギャルドは、元々は軍事用語で最前線で闘う部隊を指し、その後、ダダイズム/シュルレアリスム/キュビズム等の革新的な美術の流派、象徴主義/超現実主義等の思想・文学の新しい動きにも使われるようになった。アンドレ・ブルトンをリーダーとするフランスのシュルレアリスト・グループが、新規加入と除名・脱退を繰り返したように、前衛を自認するアーバンギャルドも、メンバーの入れ替わりをたびたび繰り返している。アーバンギャルドが全国流通のCDを出すようになった頃、自分たちの音楽をトラウマ・テクノポップと称していた。アーバンギャルドの活動の中心は音楽で、テクノポップグループ若しくはバンドと言って良いが、ジャケットデザインやPV(プロパガンダ・ヴィデオと呼ばせている)、松永天馬に至っては『自撮者たち』等のSF境界的小説の書き手にして、役者・映画監督であり、浜崎容子はFORGIVE MEというブランドを立ち上げているし、おおくぼけいもまた戸川純avecおおくぼけい、頭脳警察、肋骨、雨や雨、映画音楽と活動を広げており、バンドという括りで語っていいものか、その活動が幅広すぎるのである。寺山修司が、短歌や詩作に留まらず、劇団・天井桟敷や映画制作にまで活動を広げたように、アーバンギャルドは、単なる音楽グループではなく、現在進行形の前衛芸術の運動体と見るのが正しいのではないかと思う。『少女は二度死ぬ』『昭和九十年』『少女KAITAI』のトレヴァー・ブラウン、『少女都市計画』のメイン・スハッチェ(このイラストレーターは、浜崎容子によるセレクトだと、本書で明らかにされている)、『鬱くしい国』の会田誠、『愛と幻想のアーバンギャルド(通常盤)』の丸尾末広……アーバンギャルドを追いかけていくだけで、現代の先鋭的なアートに出会うことができる。それは、アーバンギャルドが、音楽に留まらず、文化総体の、或いは生き方そのもののアヴァンギャルドを志向しているからだ。
『水玉自伝』を読んでいくと、これまでのアーバンギャルドの軌跡を追うことができる。アーバンギャルドの本格的な活動は、ボーカリストとして浜崎容子を迎えたところから始まる(最初は、松永さんからのmixiによるメッセージだったという)。アーバンギャルドには前史があるが、概念先行型で、実験的であり、歌唱力があり、作曲も出来て、シティーポップスにも親しんできた浜崎さんを迎える事で、ようやく全国に流通させる事ができる音楽になったと言えよう。速度感があり、これまでの日本のポップスを刷新するような楽曲「水玉病」は、草間彌生的な水玉と、デュシャンの「泉」を連想させるPVがYouTubeにアップロードされることによって、確実に感染者を増やしていった。『少女は二度死ぬ』『少女都市計画』『少女の証明』から成る初期少女三部作によって「前衛都市」の構築に向かったアーバンギャルドは、ユニヴァーサルと契約し、メジャーシーンに上り詰める事になる。(クラフト・美術担当だった藤井亮次は、家業を継ぐため、メジャーデビュー前に脱退している。浜崎さんのソロコンサートで、蝋燭や香水が売られたが、そこの製品だったので、脱退後も良好な繋がりがあるのだろう。)「スカート革命」でメジャーデビューしたアーバンギャルドは、『メンタルヘルズ』を発表し、心の闇を照射するような楽曲を収録する。松永の、現代の資本主義における幻想の少女というテーマは、ヴァルター・ベンヤミンと『寺山修司少女詩集』の交点から生まれたものだったと私は推察しているが、それによって、アーバンギャルドは、メンヘラ少女と結びついたイメージで捉えられる事が多くなった。しかし、アーバンギャルド自体が病的であったことはなく、神学とロシア文学の素養があった松永さんが、ドストエフスキーと同様、人間の心の奥底を見ようとしたという事だと思う。
ところで、2011年に起きた東日本大震災と福島第一原発の事故は、アーバンギャルドの作品にも影を落とし、『ガイガーカウンター・カルチャー』というアルバムに結実することになる。「さよならサブカルチャー」という楽曲が示しているように、単にサブカルを愉しんでいるのではなく、カウンターカルチャー(対抗文化)のように、原発を生み出す文明についても考えていかないといけないという松永さんの考えが反映されていた。「うまれてみたい」で再生への祈念を描き、「ノンフィクションソング」で「生きろ」というメッセージを入れたのも、時代的背景があってであった。この時期、メジャーの中で自由な表現が難しいという問題(「u星より愛をこめて」で「放射能」は駄目だが「ラジウム」なら発売できるとか。この時期のストレスは、後の自主制作版『少女KAITAI』の「原爆の恋」で爆発することになる)、谷地村啓の女性問題(本書によると、ファンの子に手を出す前に、メンバーの彼女に手を出す出来事があったらしい。音楽的には天才的な人だと思うが、これが元で解雇となる。ただ、本書での松永さん、浜崎さんの書き方は、今でも別の解決策がなかったか、自問している感じがする。)、渋谷AXでの乱入者騒ぎが原因の責任問題があり、さらに浜崎さんはこのアルバムは音楽としてどうなのか疑問を持っていたと本書で語っている。理念性の高いアルバムを出す一方で、空中分解の危機もあったようだ。この時期に「病めるアイドル」を出したのは、バンドとしてうまく行っていなかったからだったと、本書で浜崎が明かしている。鍵山喬一が離れたのは、バンド路線を志向していたが、「病めるアイドル」や『夜想 #アーバンギャルド 』など違う事を要求されたからのようだ。しかし、脱退なら脱退で、最後にファンの子にきちんと別れの挨拶をしてから辞めて行ってほしかったと、浜崎さんは語っている。最後のライブ会場で、ファンの子が横断幕をして待っていたが、別の出口から帰ったようだ。もしかして、照れ屋さんで、そういう事が気恥しかったのかも知れないが、人間の情を考えると、鍵山さんには今からでも遅くないので、何かコメントを出すべきだと思う(Twitter上に、ファンの子がツイートした横断幕の写真があり、アーバンギャルド公式がRTしていたのは、そういう意味だと思う)。
アーバンギャルドは、ベストアルバム『恋と革命とアーバンギャルド』を発表後、ユニヴァーサルから離れ、徳間ジャパンから『鬱くしい国』を、KADOKAWAから初のコンセプト・アルバム『昭和九十年』を、FABTONE Inc.から原点回帰の『少女フィクション』、ライブ・アルバム『アーバンギャルド2016 XMAS SPECIAL HALL LIVE 天使 des 悪魔』、スペシャルアルバム『愛と幻想のアーバンギャルド』を出している。これらのレーベルの移籍には、レーベルによる表現の縛りのない方向へという課題があったようだ(それでも不十分だったのか、危ない曲ばかりを収録した自主制作のライブ会場限定CD『少女KAITAI』を発表する。)。3万人規模の自殺者を出している日本を俎上に上げ、音楽表現で日本論を試みた『鬱くしい国』、このアルバムには表裏を使い分ける日本の二面性に着目した「さくらメメント」、スケールの大きな問題作「戦争を知りたい子供たち feat.大槻ケンヂ」が含まれており、全体主義的な表現することへの圧力を批判する「くちびるデモクラシー」を含む『昭和九十年』へと向かって行き、ポリティカルな表現は頂点を極める事となる。そして、一挙に原点回帰で、再度<少女>をテーマにした音楽的完成度も高い『少女フィクション』を発表する。この間、最初はサポート・メンバーとして、ライブ等で協力してくれていたおおくぼけい、彼は当時、ザ・キャプテンズに加入していた、が、本人の申し出により、正式にアーバンギャルドに加入することになる。『水玉自伝』を読むと、その際にザ・キャプテンズのリーダー、傷彦さんが、相当配慮ある応援をしてくれたようだ。傷彦さん、優しい。『水玉自伝』のおおくぼさんの部分を読むと、新宿フォークから始まって、様々なバンドのサポート、そしてザ・キャプテンズと相当な音楽遍歴をしてきた人だと分かる。筋肉少女隊やYMOを聴き、学生時代にはピーター・グリナウェイのような映像表現を撮り、安部公房に影響を受けたアングラ演劇をやり、鍵山喬一ともエアインチョコというユニットを組みという、趣味の方向性や人間関係の接点など、松永さんに繋がるものが多く、運命的な引き寄せなのかも知れない。そして、アーバンギャルド結成時からのメンバーであった瀬々信も、母親の介護の関係で去って行き(彼は東京近郊だけで活動する別のバンド、SYNDROME Zを組んだ。)、今やおおくぼけいが、アーバンギャルドのかなめの人となった。そして、自主レーベル前衛都市から発表された『TOKYOPOP』。松永天馬、浜崎容子、おおくぼけいによるテクノポップ・セットで作られたアーバンギャルドの新しい音に、わたしたち、アーバンギャル&ギャルソンは震撼した。そこには、クラフトワーク、YMOからのテクノポップを継承するとともに、隙のない緻密な構築物とでも言うべき決定的に新しい音があった。松永天馬による永遠に新しい言葉、浜崎容子による全てを包み込むような歌唱力、おおくぼけいによる21世紀のテクノサウンド。これらのトリプル・バランスが何を生み出そうとしているのか。誰が予想しただろうか。わたしたちは、未知なる創造の始まりに立ち会っている。
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