池田ひかるの絵画的世界について
池田ひかるさんの絵画を始めて眼にしたのは、Twitterを通してでした。おそらく、美術評論家の樋口ヒロユキさんをフォローしているから、流れてきたのだと思います。池田ひかる個展「村八分」の時は、案山子が描かれているのが特徴的でした。
よく思うと、案山子がドレスを着ているのは、異例の事です。もう何点か、見てみましょう。
上の2019年9月29日のツイートは、右下の絵が池田さんの作品です。兎も角、これら一連の案山子の絵画で、印象付けられ、その名前を覚えました。
池田さんについては、Wikipediaのようなものはなく、次のようなWeb記事から断片的に知り得るのみです。
https://seian-fineart.jp/ikeda/
卒展の《すべりだい》を紹介した樋口ヒロユキさんのはてなブログは、案山子以前の作風を知る上で、重要なもののように思えます。
案山子の時期までの初期の作品については、池田さんご自身がつくられたポートフォリオサイトで閲覧することができます。
この案山子が、グループ展「無人地帯」の時期になると、マネキン人形に変わります。
こちらは、制作途中の様子です。
何点か、絵画を閲覧してきましたので、こちらのnoteをお読みの方も、そろそろ特徴が判ってきた頃かと思います。
絵画の背景には、写実的な風景、どこか既視感のある事象がリアリスティックに描かれます。最近の作品ですと、プロパンガスだったり、少し錆びたとたんだったり、ノスタルジックな田舎の風景だったりします。
作品の主役は、案山子だったり、マネキン人形だったりします。案山子の時期は、個展のタイトル「村八分」が示しているように、案山子は孤独感や疎外感を表象しているように思えます。
村落共同体は、個人的な見解ですが、結びつきが強いほど、その外にいるものには冷たいものです。
少女のようにドレスをまとった案山子は、村の外れにたたずむ案山子のうちに、少女の孤独感を感情移入したものに思えます。その案山子は、写実的に描かれた周りの風景と違って、幻想的に見えます。
案山子のテーマによって、池田ひかるさんの絵画は、独自の方法論を獲得したのだと思います。
この案山子が、無表情のマネキン人形に変わる時、周囲に対する異化効果が強まり、不安感と不安定感を与えるものになります。こんな田舎の風景に、マネキンが出没するのは変だろう、というわけです。シュルレアリスムのデペイズマンを思わせます。
マネキン人形を見た時、思わず「凄い」と思いました。
私が連想したものは、ジョルジョ・デ・キリコの形而上絵画(ぬっぺらぼうが描かれます)と、安部公房の『壁』(マネキン人形が出て来ます)と、フレネシの「少女マネキン」です。
この時、池田ひかるさんの《マネキン4号 顔のないモデル》を、お迎えすることにしました。実は、案山子の絵を見ていた時期は、原画を購入する習慣などなく、気に入った画家の画集やポストカードを入手して愉しむ程度でした。
その後、《手鏡》という作品も、お迎えしました。少女が手鏡で、一人遊びしています。この少女は、幻影の可能性があります。これも、孤独を表現したものですね。
https://twitter.com/hiroyuki9999/status/1366614437692510210
そして、最近作。制作過程のわかるツイートを追っていきましょう。
少しづつ、少女の翳のようなものが、ぼんやりと見えて来ました。
制作過程が、幽霊はこのように人間の頭のなかで造られているということを明らかにしているように見えます。つまり、周りの光景、これは実際の風景の写実(右下のセイガタアワダチソウは、実際に見た風景のようです。Twitter上の対話で知りました。)や、記憶の再構成で造られる世界の隙間を、修復するように捏造された幻影が生まれ、隙間を埋めていきます。
私たちが観る世界は、客観的な写真で撮れるような世界と少し違って、主観性や幻想のようなものが加えられています。絵画は、それを見せてくれます。
完成品の作品名は《おやすみなさい》です。
私の場合、幼年期、父をすぐに亡くしたので、母方の祖母の家に住まわせてもらうようになりました。母方の祖父は、第二次世界大戦の際に、フィリピンのルソン島で戦死しています。母方の祖母の家は、山の谷間にあり、畑仕事をして、祖母は、私の母を含む五人の兄弟を育てました。土地だけは広く、困窮した際には地元の政治家に、山野を安く買い叩かれて切売りをしてしのいだそうです。田舎の家は、壁が傷むと、とたんを打ち付けます。本当は、壁を塗り直すべきなのでしょうが、そんな資金はありません。とたんは、こんなふうに赤く錆びていきます。
母は、嫁に行った後、出戻りのような恰好になったので、工場勤めで資金を貯めると、祖母の敷地内に青い屋根の小さな家を建てて、私と二人暮らしていました。都市ガスもない地域なので、地元のガソリンスタンドの人が、定期的にプロバンガスを運んで来ました。家の中の家だったので、一軒の家と見做されず、市の広報も届かず、長い間暮らしていたにも関わらず、村の寄合などからは排除されました。「うちんとこ、はちだね。」と母が耳元で呟いた事があります。
その頃、見ていた田舎の風景と、池田さんの描く風景が、どこか地続きのような気がします。池田さんの絵画を身近に置く行為は、ひとつには「一見、具象画だけれど、幻想絵画であり、アヴァンギャルドでもあるんだぞ」という認識もあるのですが、昔住んでいたところの記憶の補完の意味もあるように思われます。今では、もう会えない祖母や母の欠損を埋めるようにして。
この《おやすみなさい》も、身近に置くことにいたしました。
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