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memento moriを忘れない。

高校一年の秋頃だ。
文化祭で出会った一つ下の女の子とメールのやり取りをはじめたことがある。
彼女はとても垢抜けていて、友達も多く、そして自傷癖があった。
時折彼女は、カミソリで切って血だらけの手の写真を送ってきたし、彼女に腕をチクっと噛まれて血が出たこともあった。

死にたがってたわけじゃないし、学校でも家庭でも大切にされていても生きてるってわかるためにカミソリで切っていたらしい。
今でもよく理解はできないけれど。

それでもあの時見た彼女の血はあまりにも赤く奇妙に綺麗で、今でも僕の血はそれと比較して少し黒っぽく感じるしおどろおどろしい。

毎日寝ることが怖い。このまま目覚めないことを常に考えてしまう。
幸か不幸か、今じゃショートスリーパーになった。
人の声を聴いていない余計なことをずっと考えてしまうから落語やラジオを聴かないと寝られない。
人と寝る時でもイヤホンをして寝る。
歯を食いしばって寝るから、寝る前に血の滲んだ味を感じる。そうするとあの時の血の赤さを思い出すことがある。僕の血じゃなく彼女のだけれど。
"memento mori"はラテン語で「死を忘れるな」という意味だけれど、文脈としては「いつかは死ぬことを忘れるな、だから今日は楽しく飲んで食べた暮らそう」なんて結構前向きな言葉だ。
だから、出来るだけその意味を含めていつも噛みしめる。
"死を忘れるな"を忘れないように。

妹の休みに強制的に付き合わされて、森美術館の展示を観させられた。
目的はピクサーで、補助的について来たのが塩田千春の「魂がふるえる」展だった。

なんの興味もなしにその展示に足を踏み入れて、最初の大きな展示室。
船と赤い糸が織り込まれた大きな部屋に入って、その糸に囲まれた途端に、背筋がゾクゾクとし、身体から血の気が引くのを感じた。
あの時の彼女の血と同じ色だ。ドバドバと流れたあの血の色。

「この個展には無理だ」と、足早に進み2分もかけずに出口まで向かった。
途中にある黒い糸の部屋も、違う恐怖を与えられて足は早まった。

塩田千春的な死生観と、僕の死生観がなにか根本的に違うのだろう。その表現の違いに理性的ではいられなくなってしまったのかもしれない。
正しいとか悪いとかじゃなく。正しくなさならこちらの方が正しくない気がするし。
生まれたことを不幸に思うことがよくあるもの。

はっきり好きではないし、こんな作品が家にあったら耐えられないけれど、
これを好きな人とも仲良くなれたらきっと新しいことがあるんだろうと思ったので、
まだ観ていない人で観に行く機会があれば是非。

芸術なんてたかが表現。
でもその表現に殺される人もいるのかもしれないなぁと思ったという、
脈絡も何にもない文でした。

ps:妹はインスタ大好きでもあるのでちゃんとタイムラインに載せてた。それをタイトル画像にしときます。

#コラム
#エッセイ
#森美術館
#現代アート
#塩田千春
#魂がふるえる

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