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幼馴染がテレビに出ている

それがどうした?

と幾人かの方は思われただろう。

実際、それがどうした?なのだと、その立場になってわかった。

何のために、私の幼馴染を知らない人にそれを告げるのだろうか…

すごいね、と言うほど売れてる芸能人ではない。
そもそも、芸能人ではなく、中の人である。
Wikipediaが作られていない。
名前をググったら、ほんの数行の経歴が記載されていた。

へえ?あそこは産まれた土地じゃなかったのか…

小学一年から中学一年まで同じクラスだった。
どちらも4〜5クラスあったので、わりと低い確率をクリアしていたと思う。

高校までは何処だか知っているけれど、その後は知らない。
中学の同窓会で見かけなかった。 
と言っても、二十歳と四十五歳と還暦の三回出席しただけなので、別の開催時に来ていたのかもしれない。

子どもの頃から、男にしては色白のなかなか綺麗な顔立ちで、女の子に人気があった。
父親似である。
手紙を言付かったこともあった。

母親同士も当然知り合いで、彼の母親が、女の子から来た手紙を鍋の湯気に当て、糊を緩めて剥がし、盗み読みして元に戻すと言っていた、と母から聞いたことがあった。

この母親が姑になるなら、幼馴染とは結婚したくないと思った。

彼の方も歯牙にもかけていないだろうに。
漫画にあるような、ドキドキするような幼馴染関係ではなかった。

小学三、四年までは、他の子も交えてよく遊んだ。
私はお転婆だったので、男の子たちと探検ごっこをしたり、空き地で基地作りをするのが好きだった。

廃屋工場に忍び込んで、吹き抜けの二階から肝試よろしく飛び降りたり、高いブロック塀を猫のように伝って歩いた。

まるであの有名な映画のワンシーンを先取りしたかのような、軌道の橋の手前で線路に耳を当て、音を確かめてから橋を渡り切る、なんてこともしていた。

夕方、当時あちこちでさかんに進められていた、何かの建設現場の敷地内に入りこみ、ロードローラーの下に10円玉を置いておく。
日曜日に探しにいくと、ぺちゃんこに変形したそれがあった。

造成地の低い丘陵を崩した崖を、板切れに乗って滑り降りたり、神社の高い木の梢を何処までも登った。

そんな遊び友だちの中の一人だった。

彼がネギを嫌いなことを知っていたので、給食当番になった時には、彼の器にネギをたくさんよそって、嫌がらせをした。

おとなしい性質で、怒ることも文句を言ってくることもなかった。
彼が声を荒げたのを聞いた記憶がない。
思えば、あまり笑いもしない、泣きもしない、喜怒哀楽の少ない子どもだった。
優しい、というより、いつも何もかも何処か他人事のような顔をしていた。

勉強は中の上くらい、スポーツはよくできた。

テレビでも、表情は飄々としている。
どこかおどおどして見えるのは、あの母親を思い浮かべるからだろう。
いったいどういう経緯でテレビに出ているのかわからないし、この番組がいつまで続くのかしれないが、元気で頑張ってほしい。



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