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時空を超えてる人

三男の結婚式に列席するために3年ぶりに帰省した長男が自宅前で、少し離れた近所にお住まいの方を車の窓越しに見かけた。

ご近所と言っても、市道を隔てた町内会が別の方なのであまり頻繁に出会う方ではない。
小さな雑貨店を営むお宅だが、来客の時に慌てて和菓子を買いに行く程度で、子どもを連れて行ったことがない店だった。
かなり前にご主人が亡くなり店はたたまれた。

長男がその方を強く印象に残しているのは、ある出来事のせいだ。
三歳の頃、まだ彼が一人っ子だった梅雨の時分、私は日がな一日中子どもと二人でいるのに疲れてしまった。

ふと思いついて、下の部屋に彼を置き去りにして二階の寝室に引きこもった。
はじめは私がいないのに気づかず「おかあさんといっしょ」を視ていたが、さあらバイバイさあらバイ🎵のエンディングが終わるやいなや、母の不在に気づき、大きな声で呼び始めた。
ふだんなら、すぐに応答があるか目の前に現れるのに、その日は違う。
しだいに不審げな声色になり、洗面所や北の和室、南の客間をあちこち周り私を呼んでいる。
そろそろ降りて行こうと思いながら、もう少し離れていたい気持ちがした。
そのうち泣き声になり、さらに押し入れや風呂場のドアを開け閉めする音がする。
私は少し意地悪な気持ちになってわざと降りないでいた。
とうとう声も物音もしなくなったので、諦めたのだろうとまだしばらくベッドに横たわっていた。
外は雨なのだし…
そうするうちに、うとうとしたようだった。
二階の電話の子機の鳴る音に我に返った。
出ると、少し離れた近所で小さな雑貨店をしている奥さんが、名前を名乗った。

お宅の坊ちゃんが、傘をさして店の前を通り過ぎるのを見かけたけれど、どうもお母さんの姿がないようなので、外に出て声をかけてみた。
お母さんがいないので、お父さんの会社に行くのだと言う。
おばちゃんがお家に電話してみるから待っていてね、と言って待たせてある…

息子は泣いておらず、大人用の傘を自分でさして長靴を履いていた。
テレビも消して出ていた。
夫の会社までは車で15分〜20分、もちろん歩いて行ったことはないので市道や国道を通ることになる。
もしここで保護してもらえなかったら…

あの時、三歳の子どもを放置した自分の心象はうまく言葉にできない。
現代であれば、ネグレクトとして通報されてもやむを得ないだろう。

その事件は三歳の息子の記憶に刻まれたらしく、大人になってもそのことを覚えていた。
ただ、幸いなことに、ちょっとした冒険談として誇らしげなようではある。
もちろん、何事もなかったので笑い話として、家族で思い出話を繰り返しているせいもあるだろう。 
保護してくださった方の印象も強く残ったようだ、当時のままで。

車窓から三十余年ぶりにその方を見かけ、

あれ、もしかしてTさん?

と彼が訝しむ。

そうだよ、よくわかったね。

だって、ぜんぜん変わってないよ。
もう亡くなったかと思った。

その方には私と同い年の娘さんがいらっしゃるので、私の母、つまり、長男の祖母と同じ年頃である。
にも関わらず「変わらない」と彼は言う。

それはどう言うことなのか?

その方とは、毎朝ウォーキングで出会っている。
膝の手術をしたが、リハビリをして脚はまっすぐになったそうだ。
髪はかつらをかぶっているそうで、いつも整っている。
淡い花柄のブラウスを着てクリーム色のテーパードパンツを穿いて、可愛らしいデザインの帽子をかぶっている。
家の前の小庭で花を育てて、行き交う人に声をかけて差し上げている。

歳をとってないってこと?…

うん、あの頃からずっと「おばあさん」だよ。

そうか、三歳の息子にとっては祖母と同じ「おばあさん」に見えた…
そして三十六歳の彼も等しく歳をとり、年齢差そのまま「おばあさん」であると言うことなのか…

それにしても、三十余年も過ぎれば風貌は変わるはずである。
たった十年でも太ったり痩せたり、白髪になったり腰が曲がったり、我がことはさておいて老け込む人はいる。

きれいな人なんだな、と改めて思う。
特に美人と認識したことはなかったので、やはり、心がけなのだろう。




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