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文学散歩

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2024年5月の記事一覧

伊賀紀行3 「芭蕉足跡・生家跡編」

伊賀紀行3 「芭蕉足跡・生家跡編」

上野城下の赤坂町にあるこの家屋は、芭蕉の父が柘植から移住、兄が受け継ぎ明治の時代まで松尾家が住んでいました。現在の建物は伊賀地方特有の土間の構造から江戸末期のものと推定されています。(生家跡パンフより)

[芭蕉の年表]

1644 伊賀国に生まれる
1656 父松尾与左衛門が亡くなる
1662 藤堂新七郎家の嗣子良忠(俳号蝉吟)に仕える
1666 良忠が亡くなり、奉公をやめる
1672 「貝おほ

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伊賀紀行2 「芭蕉足跡 蓑虫庵編」

伊賀紀行2 「芭蕉足跡 蓑虫庵編」

上野城下の町中に、こんな絵がいくつも描かれていて、出迎えてくれます。伊賀、といえば「忍者」ですからね。

しかし俳句を嗜む私としましては、伊賀といえば「俳聖・芭蕉」が一等です。

伊賀は芭蕉生地なんですね。ですから、本記事(芭蕉足跡シリーズ)は、上野の町中さんぽしながら、また寄り道もしながら、芭蕉ゆかりの場所を訪ね歩いた、その記録となります。

そんなわけで、「うえのし」の駅から歩いて20分ほどの

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熊野古道 有間皇子墓

熊野古道 有間皇子墓

十九歳の有間皇子が絞首刑にされたと伝えられる熊野古道 藤白坂(和歌山県海南市)にお墓があるというので、行ってきました。

有間皇子(640~658)

飛鳥時代、孝徳天皇の皇子。658年斉明天皇が紀伊牟婁温泉に行幸中、蘇我赤兄が天皇の失政三か条を指摘しての扇動にのり、ともにむほんをくわだてることを約したが、かえって赤兄は天皇に密告したため、その一味とともに捕らえられ、紀伊に送られて殺された。原因は

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在原寺と業平道 在原業平

在原寺と業平道 在原業平

色のない人生はつまらない。といつも思っておりましたが、現実はほぼ無色です。

ところが、いるんですね。すごい色男が。在原業平という人。

在原業平(ありわらのなりひら)
平安時代の歌人。六歌仙・三十六歌仙の一人。父は平成天皇の皇子阿保親王。母は桓武天皇の皇女伊都(登)内親王。(中略)美貌と色好みをもって知られ、藤原氏への反発から奔放な生活を送った。『伊勢物語』の『昔男』は業平がモデルとされる」(「

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ローカル線の地下想像力 寺山修司

ローカル線の地下想像力 寺山修司

とんでもないタイトルをつけましたが、きわめてローカルな「万葉まほろば線」の某さみしい駅に、なんと寺山修司の足跡があるというのです。

ほんとか嘘か、そんなお話を聞きましたので、少し地下的な想像力を加えて、ご紹介します。

ここは、JR桜井線、またの名を「万葉まほろば線」といいます。
奈良駅~高田駅間を結ぶJR西日本の鉄道路線です。

14ある駅の北端の駅・奈良駅から南へ四つ目の駅が、天理市の「櫟本

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谷崎潤一郎『盲目物語』 高野山龍泉寺

谷崎潤一郎『盲目物語』 高野山龍泉寺

わたくし生国(しょうごく)は近江のくに長浜在(ながはまざい)でござりまして、たんじょうは天文にじゅう一ねん、みずのえねのとしでござりますから、当年は幾つになりまするやら。左様、左様、六十五さい、いえ、六さい、に相成りましょうか。

これは、谷崎純一郎『盲目物語』 の書き出しである。小説の語り手は、按摩揉み療治をする弥一という盲目の遊芸人で、浅井長政の妻となり、後に柴田勝家に嫁した信長の妹お市の方を

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津風呂湖百景6「池田克己詩碑 小野十三郎書」

津風呂湖百景6「池田克己詩碑 小野十三郎書」

「池田克己詩碑
 小野十三郎書

 疲れた駅からの五十丁
 月の木橋の上でようやく満月
 役場前の急坂で眞正面の満月
 火の見櫓も
 一本杉も
 まぶしくかすむ
 雪の満月

 池田克己」

吉野・津風呂湖畔の、静かで寂しすぎる吉野運動公園。そこで思いがけず遭遇した詩碑。小野十三郎書とあるではないか。小野十三郎氏は、大阪文学学校初代校長である。

池田克己は、1927年吉野工業学校建築科卒。詩人と

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