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チキンバスケット 2

勿体ぶるほどのことは無いのかもしれませんが(笑)

『チキンバスケット』

誕生秘話編です(笑)


話しはRJの前にやっていた

『そのばしのぎ』

と言う、
洋風居酒屋時代まで遡ります。

そのばしのぎについては
またいつか話しますが、
ざっと言うと

阪神淡路大震災で、
生まれ育った商店街が全滅。
プレハブ店舗として復興し、
再開発事業で立ち退く間の約二年間
経営していました。
(それまでは両親が京染店をしていました)

1月の地震から数ヶ月でのオープン💦
全くの

『構想 0 』

からのスタート😅

今考えても、

『震災復興』

と言うモチベーションがあったからこそ
成し得た暴挙だと思います(笑)

たった二年弱ですが
その経験が今の自分へと繋がっています。

とまぁ、そんな感じなんですが、

その時に、それはもう
大変お世話になった
恩人の様な方がおられました。

自分の母親を含め
瓦礫の中から沢山の人を救助し、
炊き出しをしたり、
家の修理を手伝ったり
困ってる人を見れば
分け隔てなく手助けをしてくれる、

そんな

瓦礫の中のスーパースター

みたいな人でした。

そのばしのぎオープンにも
たくさん手助けいただき、
一見さんお断りの卸売り市場を
紹介してくれたり(何者? 笑)
いろんな助言もいただきました。

オープンしてからは
そのばしのぎにも毎日のように
顔を出してくれて
多分大変だったと思いますが
お金を落としてもくれました。

ある日のこと、
その日のランチメニューは

『鶏の唐揚げ定食』
(そこは唐揚げ (笑))

いつもの様に
その方が来てくれました。

ちょっと強面だけど、
優しくて笑うと可愛い(笑)
そんな人だったんですが、

その唐揚げを一口食べるや否や
顔色が急変。

すぐに箸を置いて

「帰る」

と、テーブルに料金を置き
店を出て行かれました。

これはとんでもない粗相をしたんだ、
と、

その理由を尋ねました。


少し沈黙を置いた後、


「こんな家でも食べられる唐揚げ
金を出してまで食べたくない」


そう言われました。


ショックでした。

((((;゚Д゚))))))) ←まさにこんな感じ

何がショックって、

たったそれだけの言葉に
どれだけの

『情報』

が詰まっているか!💦

全ては理解できなくとも
事の重大さは一瞬で理解できました。


その唐揚げは
自分でも自信をもって
提供していたものでした。

レストラン時代の経験も活かし
それに自分なりの工夫も加えた
自分なりの自慢の唐揚げ。

決して不味くは無かったと思います。

だけど、
言わんとしていることはそれではなく…。


そこからはもう、
すぐに本屋に走り、
調べられるだけの情報を読みあさり
試行錯誤を繰り返し
その方にも何度か試食もしていただき

『うまいじゃん』(関東の方 笑)

と、
ようやくお墨付きをいただきました。


人の味覚は十人十色

その人がうまい、
と言ったから決して

『正解』

では無いと思います。


そこではなく、


何を求めて人はその店に
食べに来てくれるのか


復興気分で
なんとなくやり過ごしていた自分に
厳しくも愛情たっぷりの渇!

今でも新メニューを出す時には
必ず思い返します。


あ、
新メニューなんて
とんとご無沙汰ですが(笑)


それは食べ物に限った事ちゃうでー!

って、
各方面から怒られそうですが(笑)💦


はい!
精進します!
ε=ε=ε=ε=ε=ε=┌(; ̄◇ ̄)┘

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結局唐揚げ唐揚げ言うてますが

あくまでチキンバスケット、です(笑)

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